生化学 SEIKAGAKU
Journal of Japanese Biochemical Society

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Journal of Japanese Biochemical Society 90(4): i-ii (2018)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2018.90.4.i

追悼追悼

中川八郎先生を偲ぶ

1大阪大学名誉教授

2株式会社ANBAS

発行日:2018年8月25日Published: August 25, 2018
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Journal of Japanese Biochemical Society 90(4): i-ii (2018)

中川八郎先生は2017年6月13日にご逝去されました.享年85歳でした.ご生前のご功績を偲び哀悼の意を表します.先生は1956年大阪大学医学部を卒業され,「生命とは蛋白質の存在様式である」という須田正巳先生(当時同学部教授)が科学誌「自然」に書かれた言葉に導かれて基礎医学の道を選ばれ,1957年須田研究室の院生となられました.1961年同教室助手,1962年米国留学(ウィスコンシン大学Philip Cohen教授),1968年大阪大学蛋白質研究所助教授,1971年同教授になられ,1993年同研究所所長を務められ,1995年退官されました.その間,1994年には第67回日本生化学会大会会頭も務められました.ご退官の後はニッコクトラスト国民食研究所所長,(株)BML研究開発本部長,国際東洋医療学院長などを務められました.

先生は最終講義で「振り返れば環境応答機構の研究に終始した」と述べられました.その言葉通り,細菌酵素の基質誘導から動物の環境に対する適応,体内時計,リン酸化・脱リン酸化酵素によるシグナル伝達などの研究に携わられました.院生になられてピロカテカーゼの前駆体蛋白質の研究,竹田義朗先生(後大阪大学歯学部教授)のもとでのピューロマイシンやオキシゲナーゼの研究,加藤昭先生のもとでシスチンによるメチオニンの節約効果の研究,にそれぞれ従事されてシスタチオニン合成酵素の重要性に着目されました.留学時代はPhilip Cohen教授の元で甲状腺ホルモンがオタマジャクシの変態を促進することから,尿素回路の酵素,特にカルバモイルリン酸合成酵素を指標としてその機構を研究されました.帰国後木村博司先生(後久留米大学教授)と共にセリン脱水酵素とシスタチオニン合成酵素が別の酵素であることを証明され,1970年日本生化学会奨励賞を受賞されました.この研究では更にラット肝臓のセリン脱水酵素の結晶化にも成功されました.また,先生は細菌の基質による酵素誘導が動物でも起こることを,ラット肝臓のセリン脱水酵素のセリンでの誘導や終産物によるフィードバック抑制などで証明されました.外部環境に対する適応機構の解明を先生が考えておられた頃,小生は院生として大阪大学蛋白質研究所の須田研究室に入り,先生のご指導の元にラット肝臓の糖新生律速酵素phosphoenolpyruvate carboxykinase(PEPCK)の誘導が寒冷環境下で起こり,糖新生が促進されることを示す結果を認めました.寒冷による酵素誘導のメカニズムに自律神経(交感神経)と甲状腺ホルモンが関与することを認めたこの研究では更に,ラットの肝臓と腎臓でのPEPCK活性に日周リズムが存在することも明らかにすることができました.この研究結果などから先生は日周リズム(体内時計)発生機構の研究を始められました.1972年に哺乳類の脳・視床下部・視交叉上核(SCN)に体内時計の主時計が存在することを示唆する報告があったので,先生と小生は福田淳博士(後大阪大学医学部教授)の協力のもとにSCNの電気破壊がラットの摂食行動の概日リズムを消失させることを発見しました.先生は体内時計の温度補償性に「細胞膜の流動性」が関与するとの仮説から,膜流動性に影響を与えるインスリンの脳内投与が時計周期を乱すことを明らかにされました.先生は冬季うつ病の患者に内因性の時計の異常が認められるので,うつ病の治療に用いられるリチウム塩の作用点が時計の本体と関わることを予想され岡田雅人博士(現大阪大学微生物病研究所教授)との研究で,リチウム塩のラット脳内投与が時計周期を延長させることを見出されました.その標的分子の分離精製を試みて,細胞膜構成成分であるイノシトールリン脂質の代謝に関する2種類の脱リン酸化酵素がリチウム塩の阻害標的であることを突き止められました.また,シグナル伝達機構の研究が時計機構解明にも有用であることから,イノシトールリン脂質代謝系の解析を進められ,培養神経細胞でインスリンが神経分化を促進すると共にMAP2リン酸化酵素の活性調節を行うことを認めて,MAPキナーゼの精製にも成功されました.奥村宣明博士(現大阪大学蛋白質研究所准教授)の参加したこの研究では,細胞生物学的手法を導入してチロシンキナーゼ受容体に作用するFGFの産生,分泌,細胞増殖に対する効果などの解析を行われました.一方で先生はチロシンキナーゼ作用を調節するチロシンホスファターゼの解析に着手し,神経細胞から新しい酵素の分離精製とcDNAクローニングに成功されました.更に先生は発達過程の神経組織で高い活性を占めるチロシンキナーゼを発見し,癌原遺伝子産物であるSrcファミリーチロシンキナーゼ活性制御因子として機能することを見出されました.この流れでCskと命名する酵素のcDNAクローニングに成功し,Csk欠損マウスでの解析からCskがSrcファミリーキナーゼの活性制御因子として機能することを示され,チロシンキナーゼが神経系の発達過程で重要な働きをすることを明らかにされました.更にチロシンホスファターゼの研究やセリン/スレオニンキナーゼの解析やその生理学的意義の研究に邁進されました.

脳による血糖調節についての研究では,糖欠乏状態を引き起こすグルコース利用阻害剤,2-deoxyglucose(2DG)を脳内に投与すると高血糖反応が起こりますが,この反応にはラットで日周リズムが存在することから,SCNの破壊実験を行ったところ,2DGによるこの高血糖反応自体が消失することが分かり,SCNが脳への糖供給調節中枢であることを明らかにされました.このような研究はSCNが体内時計のみならず,体内恒常性(ホメオスタシス)維持にも重要な役割を果たすことを明らかにし,その先の研究の方向性を指し示されました.

現在では近赤外光を用いて脳血流を測定することが普通に行われておりますが,この原理は田村守博士(後北海道大学大学院先端生命科学研究院教授)が考え出されたもので,島津製作所の協力で,先生は世界で初めて近赤外光CT装置を開発して,無侵襲的にラットの脳の映像化を行うことに成功されました.その他,先生は尿素サイクルやプリンの代謝調節やそれらに関わる酵素の研究から「摂食行動や性行動などの丸ごとの生化学」を含む幅広い研究を展開されました.この様に中川先生のご業績は環境応答機構の研究をその時々の最高の手段を用いて展開されてきたものであります.先生は細菌から動物に至る環境に対する適応機構や体内時計機構に関する先見性に富んだ鋭い洞察力に基づく先駆的な研究を展開され,後塵を拝する私共に数多くの研究の方向を指し示されました.

先生は,また,各種国際会議のオーガナイザー,招待講演者,各種国際誌の編集委員や科学的書籍の編集なども務められ,日本生化学会常務理事,第67回日本生化学会大会会頭や各種政府機関の委員を歴任されました.中でも須田正巳先生,早石修先生と中川先生がご一緒に企画され1978年内藤記念財団の支援で開催された“Biological Rhythms and Their Central Mechanism”はその後の体内時計研究に大きな推力を与えたものと評価されております.

今,改めて先生のご業績に対して敬意を表しますと共に,ご薫陶に感謝申し上げます.先生のご冥福をお祈り致します.

ご略歴

  • 1956年 大阪大学医学部卒業
  • 1961年 大阪大学大学院医学研究科修了(医学博士)
  • 1961年 大阪大学蛋白質研究所助手
  • 1962年 米国留学(ウィスコンシン大学Philip Cohen教授)
  • 1968年 大阪大学蛋白質研究所助教授
  • 1971年 大阪大学蛋白質研究所教授
  • 1993年 大阪大学蛋白質研究所長
  • 1995年 定年退官

その間,1994年には第67回日本生化学会大会会頭.

日本生化学会名誉会員.

ご退官後はニッコクトラスト国民食研究所長,(株)BML研究開発本部長,国際東洋医療学院長などを務められた.

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