質量分析による細胞膜マイクロドメイン脂質の定量的解析法
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細胞膜(形質膜)はさまざまなアゴニストとその特異的受容体との反応の場であり細胞内シグナル伝達の起点となっている.また,種々の物質輸送や細胞接着などに関わる機能性タンパク質を構造的に支持している場でもある.このようにさまざまな機能を担う細胞膜は,その構成成分の分布が一様ではなく構成脂質が異なるいくつもの局所部分が集合,集散しこれら膜タンパク質の機能を調節していると考えられている(図1A)1).具体的な例の一つにマイクロドメイン領域がある.マイクロドメイン領域はスフィンゴ脂質とコレステロール(Chol)に富み界面活性剤に不溶性であり,飽和脂肪酸結合グリセロリン脂質に富む流動性の高い領域とは区別される2).このマイクロドメイン領域についてさまざまな生化学的,物理化学的解析がなされてきた結果,マイクロドメイン脂質の組成変化による受容体タンパク質のオリゴマー化の調節等の例が複数報告されている3).
(A)細胞膜マイクロドメインは動的構造をとり,タンパク質の機能を制御している可能性が示唆されている.(B)細胞膜をコロイダルシリカビーズ法で分離後,界面活性剤不溶性画分を取得しその構成脂質をLC-MSを用いて解析する.(C)細胞全体(WC)と細胞膜画分(SCM)ならびに界面活性剤耐性細胞膜画分(drSCM)に含まれる各マーカータンパク質(レーンあたりタンパク質10 µgをアプライ)をウエスタンブロットで解析した.PPI:ポリホスホイノシチド,その他の略号は本文参照.[(C)はOgiso, H., Taniguchi, M., & Okazaki T. (2015) J. Lipid Res., 56, 1594–1605より改変]
このような細胞膜脂質の変化とそれに伴うマイクロドメイン領域の機能を解析するために,それぞれの脂質分子に特異的に結合する親和性タンパク質に蛍光タンパク質を融合させた分子プローブなどが開発され,それを用いて可視化する手法がとられてきた4–6)
.このような手法により生細胞において時間的,空間的な脂質分子の変化の観察が可能となっている.しかしながら,脂質分子種によってはその存在量に1000倍以上の差があるため,発現量の少ない脂質に対するプローブの場合用いる分子プローブの結合特異性が重要である.さらに分子プローブの認識部位は通常,脂質の極性基に限られており脂肪酸構造の異なる分子は区別できないこと,脂質分子の相対量の変化をみることはできるが絶対量の評価は困難であること,などの制限がある.このような脂質プローブを用いた手法を補うために,脂質分子を直接測定することのできる質量分析(MS)法の利用が有効と考えられるがこれにもいくつかの問題点があった.すなわち,細胞膜を高効率で定量的に回収することが困難であること,主要脂質の測定は可能であるが微量脂質の定量は困難であること,などが課題であった.今回我々はこれらの問題点を克服する一連の方法を開発した7).
一般的に行われているマイクロドメイン脂質(ラフト脂質)の解析は,主に細胞破砕後,核を除いてから1%Triton X-100等で処理したのち40%以上のスクロース濃度とし密度勾配の最下層に置き,これをスクロース密度勾配超遠心分離することにより浮遊してくる画分を,界面活性剤不溶性の膜脂質画分(ラフト画分)として取得し解析する手法がとられてきた.だがこの方法では細胞膜のみに限定しておらず,細胞内オルガネラ膜すべてにおける界面活性剤不溶性画分が得られるので,多胞体(multivesicular body: MVB)などはこの浮遊画分に回収されるものと推定される.また手法によっては,細胞破砕液から核を除かずに界面活性剤処理するケースも少なからず見受けられ,この場合多くの核脂質成分が浮遊画分に回収されるものと推定される.さらには浮遊画分には多くの界面活性剤が混入しており,質量分析による脂質解析をしばしば妨害する.
金属イオンを結合したコロイド状シリカ(Ludox CL等のカチオニックコロイダルシリカビーズ)を用いた細胞膜分離法は,細胞膜プロテオミクスに応用されている8).我々はこのコロイダルシリカビーズ法を用いて細胞膜を分離濃縮したのち界面活性剤耐性画分を得ることにより,オルガネラ由来膜成分の混入をできる限り排除した(図1B).マウス胎仔線維芽細胞(MEF)から本方法で調製した細胞膜画分について純度検定を行った結果(図1C),得られた細胞膜画分(SCM)には細胞膜マーカーであるナトリウムポンプが最も濃縮されていた.しかし同時に小胞体マーカーなども濃縮されていた.これについては,洗浄を繰り返してもカルネキシンやRab7が検出されることから,細胞膜に結合するアクチンなどの細胞骨格を介して結合する膜成分を反映している可能性を考えている(図1B).本方法は超遠心浮遊法と異なり最終画分に界面活性剤が濃縮されないため,界面活性剤の質量分析への悪影響を最小限にとどめることができ,脂質測定の精度や再現性を向上させることに成功した.これによりマイクロドメイン脂質の絶対量の変化を分子種レベルで解析することが可能となった.本稿で紹介する手法は,膜脂質の役割を調べる研究に広く利用できるものと考えている.
我々は接着性培養細胞の細胞膜リピドミクスのために方法を最適化した7).10 cm径デッシュに50~90%コンフルエントまで培養した細胞について氷上で次の操作を行う.また,緩衝液(バッファー)類はすべて氷冷したものを用いる.
次にマイクロドメイン脂質を解析するため,SCMに対して界面活性剤処理を行う.ラフト画分を得るために通常用いられる1% Triton X-100のみでは,ホスファチジルセリン(PS)やホスファチジルエタノールアミン(PE)が過剰に可溶化されてしまうため,これを防ぐ目的で1% Brij 98を保護剤として共存させている.
組織から全脂質を効率よく抽出する方法として,Bligh–Dyer法等が広く使われているが,我々は①トリアシルグリセロールなどの高脂溶性脂質は逆相LC-MSにおいてリン脂質測定を妨害するため測定対象としない,②脂質抽出操作には可能な限りポリプロピレン(PP)製ディスポーザブル器具を用いて操作性を高める,③将来的な自動化に対応できる,ということを考慮して脂質抽出法を見直した9).器具やバッファーは氷冷しておき,脂質抽出までの操作は氷上で行う.
微量酸性脂質についてはLC分離後でも,共存する大量の塩基性脂質を原因とするイオンサプレッション等によりその定量値が影響を受けるため,次に述べる酸性脂質分画を行い別に測定する.上述の抽出液の残り10分の9量について以下の操作を行う.
内標準液には各脂質クラスについて,生体内にほとんど存在しないかまたは含量の小さい化合物を用いる.たとえば,PC(14 : 0/14 : 0),PE(14 : 0/14 : 0),Cer(d18 : 1/12 : 0),S1P(d17 : 1),S1P(d17 : 0),などの市販品を利用する.プラズマローゲンPEについては適当な化合物が市販されていないため,PE(p18 : 0/18 : 1)500 pmolとPE(14 : 0/14 : 0)500 pmolを含む外部標準液を作製し,試料と同時に前処理および測定を行い,PE(p18 : 0/18 : 1)のPE(14 : 0/14 : 0)に対するレスポンスファクターを求め,これをプラズマローゲンPEの補正係数として掛けることにより濃度を算出している.他の脂質に関しても,外部標準液を使って同様にレスポンスファクターを測定することで,より正確な定量値を求めることができる.
我々がLC-MSを用いてリン脂質やジアシルグリセロールを再現性良く高感度に測定する上で留意している一般事項について言及する.S1P,PA等の遊離リン酸基を有する化合物は金属に結合し回収率が低下するため,オートサンプラーのインジェクター部分はイナート(不活性)材質とする,配管はPEEK(ポリエーテルエーテルケトン)製とするなどの注意が必要である10,11).さらにオートサンプラーのニードル洗浄には「10 mMリン酸水溶液洗浄→MeOH洗浄」という行程をプログラムしておき,各サンプル液注入の直前に金属ニードルの内壁にリン酸の皮膜を作っておくとテーリング等が抑えられる.測定したい微量化合物が検出されないからといってサンプル液を過剰濃縮してLC-MSに注入しがちであるが,これはできる限り避けるべきである.なぜなら,含量の多い成分がインジェクターやフィッティング等の流路に残り,以降の測定に影響し続けるからである.なお,具体的な測定条件は使用するLC-MSシステムにより異なるため詳細は文献を参照されたい7,9,10).
上述の方法を用いてMEFの細胞膜マイクロドメイン脂質の解析を行った.その結果,細胞全脂質に対する細胞膜(SCM)の比率は約6%程度であった.一般的に,細胞膜脂質が細胞全脂質の10%程度と考えられていること,本方法が培地に接触している細胞膜領域のみを回収する方法であることを考慮すると,合理的な回収率と考えられた.細胞膜(SCM)脂質について,細胞全脂質に比べてPC含有率は下がりCholとSM含有率は上がるものの,特徴的な脂質分子種が濃縮されることはなかった(図2A).一方,細胞膜マイクロドメインではCholとスフィンゴ脂質が顕著に濃縮されていた.個々の分子種をみるとPC(32 : 0)がマイクロドメインに濃縮されているのに対し,スフィンゴ脂質に関しては分子種による差はみられず一様に濃縮されていた.このとき細胞膜(SCM)脂質全体に対する界面活性剤耐性領域(drSCM)の割合は約46%であった(図2B).
(A)野生型MEFとSM合成酵素欠損MEFとの構成脂質を比較した.(B)界面活性剤耐性領域(ラフト領域)の占める割合を比較した.(C)野生型MEFとSM合成酵素欠損MEFのマイクロドメイン構成脂質を脂肪鎖分子種ごとに比較した.LacCer:ラクトシルセラミド,pPE:プラズマローゲンPE,PG:ホスファチジルグセロール,GM3-X:GM3構造を有するGD1等のガングリオシド,その他の略号は本文参照.(Ogiso, H., Taniguchi, M., & Okazaki T. (2015) J. Lipid Res., 56, 1594–1605より改変)
SM合成酵素欠損MEFはマイクロドメインの主要構成脂質であるSMをほとんど含まない細胞であり,この細胞における細胞膜マイクロドメインがどのような状態に変化しているか調べた.その結果,SMが減少した分をモノヘキソシルセラミド(HexCer),GM3,PC(32 : 0),PC(34 : 1)が補っており,マイクロドメイン領域の割合が低下することはなかった(図2A, C).すなわち,マイクロドメインはSMの代わりに別の脂質分子で維持されていることが判明した.
次に血清飢餓処理したMEFに対する血清添加刺激がマイクロドメイン脂質にどのような変化をもたらすかを解析した.刺激後2分でマイクロドメイン構成脂質のうちPA(34 : 1)レベルが一過性に上昇した(図3A).一方,DAG(18 : 0/20 : 4)は2~30分後において漸次的に上昇した.前者はホスホリパーゼDによりPCから生成(図3B),後者はホスホリパーゼCによりホスファチジルイノシトール二リン酸から生成するものと推定された.なお,この反応はSM合成酵素欠損MEFにおいても同様にみられたことから(図3C),増殖刺激に対する細胞膜の反応に違いがないことがわかった.これとは別に,腫瘍壊死因子(TNF-α)がMEFに細胞死を誘導する条件において,TNF-α刺激直後に細胞膜に起こる変化の解析を試みた.細胞死の引き金となる初期反応として,細胞膜のスフィンゴミエリナーゼが活性化されてCerが生成され,CerクラスターができることでTNF-α受容体が会合し活性化するという一連の反応が示唆されており,これによって細胞死シグナルが細胞内に伝達されるとするメカニズムが広く議論されている.ところが,我々が解析したところ刺激後30分以内において細胞膜に有意な変化をみることはできなかった(非公表データ).このことは先に示したメカニズムとは矛盾するため,さらなる検証が必要と考えている.
細胞膜の脂質解析は古くから報告されているものの,その値は報告者によって異なっていた.本方法は細胞膜を再現よく分離する操作を含み,最終画分に界面活性剤をほとんど含まないため,これまで以上に正確で精度の高い膜脂質の解析が可能となった.しなしながら本方法はシリカビーズに細胞膜タンパク質を結合させており,この結合が容易に外れないことから,マイクロドメイン(ラフト)と非ラフト領域との間でのタンパク質輸送の解析に応用することはできなかった.今後,タンパク質の解析にも応用できるような方法を開発することが課題である.
1) Lingwood, D. & Simons, K. (2010) Science, 327, 46–50.
2) Pike, L.J. (2009) J. Lipid Res., 50(Suppl), S323–S328.
3) Gao, X., Lowry, P.R., Zhou, X., Depry, C., Wei, Z., Wong, G.W., & Zhang, J. (2011) Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 108, 14509–14514.
4) Di Paolo, G. & De Camilli, P. (2006) Nature, 443, 651–657.
5) Kiyokawa, E., Baba, T., Otsuka, N., Makino, A., Ohno, S., & Kobayashi, T. (2005) J. Biol. Chem., 280, 24072–24084.
6) Yachi, R., Uchida, Y., Balakrishna, B.H., Anderluh, G., Kobayashi, T., Taguchi, T., & Arai, H. (2012) Genes Cells, 17, 720–727.
7) Ogiso, H., Taniguchi, M., & Okazaki, T. (2015) J. Lipid Res., 56, 1594–1605.
8) Kim, Y., Elschenbroich, S., Sharma, P., Sepiashvili, L., Anthony, O., & Kislinger, T. (2011) Methods Mol. Biol., 748, 227–241.
9) Ogiso, H., Taniguchi, M., Araya, S., Aoki, S., Wardhani, L.O., Yamashita, Y., Ueda, Y., & Okazaki, T. (2014) Metabolites, 4, 98–114.
10) Ogiso, H., Suzuki, T., & Taguchi, R. (2008) Anal. Biochem., 375, 124–131.
11) Ogiso, H. & Taguchi, R. (2008) Anal. Chem., 80, 9226–9232.
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