反復社会挫折ストレスにおけるプロスタグランジンE2による前頭前皮質ドパミン系制御の役割
神戸大学大学院医学研究科薬理学分野 ◇ 〒650-0017 兵庫県神戸市中央区楠町7丁目5番1号
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ストレスとは,体内外の環境の変化から生ずる恒常性への負荷である1).社会での挫折や孤独といった心理的刺激も,身体への損傷や感染といった物理的刺激もストレスの誘因となり,定型的な身体・精神応答を惹起する.一般に,短期的なストレスは適応的な反応を惹起し,交感神経系や内分泌系の活性化により,「逃走」や「闘争」といった防御反応を促す.しかし,過度のストレスやストレスの遷延化は心身を疲弊させ,注意・思考力の減退,抑うつや不安亢進といった認知情動異常を来す.このストレスの負の側面は,遺伝的素因とも相互作用して,うつ病や統合失調症など精神疾患の病態に関わると考えられている.しかし,ストレスによる認知情動異常のメカニズムには不明な点が多い.
多様なストレス刺激が一様にグルココルチコイド分泌を促すことから,グルココルチコイドはストレスの本体と考えられてきた.実際,げっ歯類での慢性ストレスによる情動変容にも,グルココルチコイド受容体の働きが必須である2,3)
.しかし,グルココルチコイドの分泌亢進は,抑うつ状態に至らないような短期的なストレス刺激でも誘導される4).このことは,慢性ストレスによる情動変容に,グルココルチコイド以外のメカニズムも関わることを示唆する.
我々は,マウスの反復社会挫折ストレスによる情動変容に,アラキドン酸由来の生理活性脂質プロスタグランジンPGE2とその受容体EP1による前頭前皮質ドパミン系抑制が重要な役割を担うことを見いだした.本稿ではこの研究について紹介する.
反復社会挫折ストレスを与えるには,実験対象となる雄のC57BL/6マウスを,体格が優位で攻撃性の強い雄のICRマウスからの攻撃に1日10分間,10日間連続で曝露する.この社会挫折ストレスにより,新規マウスに対する社会的忌避行動,砂糖水など報酬への嗜好性減弱,高所での不安様行動亢進,作業記憶の障害,行動選択の柔軟性の消失など,多様な認知情動異常が起こる.反復社会挫折ストレスによる情動変容は抗うつ薬の反復投与により消失することから,精神疾患の前臨床モデルともいわれる.
従来の研究から,慢性ストレスにより前頭前皮質の機能・形態変容が起こることが知られてきたが5),その意義や分子機序は不明であった.前頭前皮質の機能制御にはドパミン系が深く関わる6).情動と関連が深いドパミン細胞は,中脳の腹側被蓋野(ventral tegmental area: VTA)に存在し,側坐核や前頭前皮質など複数の脳領域に投射している7).古くより,電気刺激などのストレス刺激が前頭前皮質ドパミン系を選択的に活性化することが知られてきたが8)
,このドパミン応答と反復ストレスによる情動変容との関連は不明であった.
社会的忌避行動は社会挫折ストレスの反復により生ずるが,その単回曝露では生じない.そこで,単回ストレスと反復ストレスによるVTAドパミン細胞の応答性の違いを,神経活動マーカーであるc-Fosの免疫染色で調べた.その結果,単回ストレスではVTAドパミン細胞のc-Fos発現が誘導されるのに対し,反復ストレスではこのc-Fos発現が著明に減弱していた4).ドパミン放出の生化学的指標であるドパミン代謝回転による解析から,単回ストレスにより前頭前皮質ドパミン系が選択的に活性化されること,このドパミン応答が反復ストレスにより減弱することが示された.さらに,前頭前皮質に投射するドパミン線維を薬理学的に損傷したところ,ストレスによる社会的忌避行動の誘導が促進された.以上の結果から,単回ストレスでは前頭前皮質のドパミン系が活性化されて社会的忌避行動が抑制されること,ストレス反復によりこのドパミン系が抑制されて社会的忌避行動が誘導されることが示された(図1).
単回ストレスでは前頭前皮質ドパミン系が活性化され,社会的忌避行動の誘導が抑制される.反復ストレス下では,活性化されたミクログリアに発現するCOX-1によりPGE2が産生され,EP1を介して前頭前皮質ドパミン系を抑制し,社会的忌避行動が誘導される.実線は活性化されている経路を,破線は活性化されていない経路を示す.詳細は本文を参照.
他の研究グループからは,反復ストレスにより側坐核へ投射するドパミン細胞の応答性が増加し,この変化が社会的忌避行動を促進することも示されている9).すなわち,前頭前皮質ドパミン系と側坐核ドパミン系では,反復ストレスによる機能変容も情動変容への関わり方も対照的であることがわかっている.
心理的なストレスは,交感神経系活性化やグルココルチコイドの分泌亢進など,末梢炎症と共通性の高い生体応答を惹起する.末梢炎症による交感神経系活性化やグルココルチコイドの分泌にはPGE2が中心的な役割を担う10).PGE2はアラキドン酸からシクロオキシゲナーゼとPGE合成酵素を介して産生される生理活性脂質であり,EP1,EP2,EP3,EP4という4種のGタンパク質共役型受容体に結合して作用を発揮する.興味深いことに,反復社会挫折ストレスでも,脳内のPGE2産生量が増加する4).そこで,反復社会挫折ストレスによる情動変化や前頭前皮質ドパミン系の抑制にPGE2が関与するかを,PGE受容体の遺伝子欠損マウスを用いて検討した4).
反復社会挫折ストレスに供したEP1欠損マウスでは,野生型マウスにみられるような社会的忌避行動や高架式十字迷路での不安様行動亢進は誘導されなかった.EP2やEP3の欠損マウスでは,社会的忌避行動は正常どおり誘導された.EP4欠損マウスはC57BL/6背景では致死となることから,Nestin-Creマウスを用いて脳細胞特異的なEP4欠損マウスを作出したが,異常はみられなかった.すなわち,反復ストレスによる情動変容にはPGE2-EP1系が選択的に関与する.一方,ストレスの反復により,ストレス曝露中の防御反応である「降伏の姿勢」(submissive posture)の頻度が増加するが,この変化はEP1欠損マウスでも正常にみられた.このことから,EP1欠損マウスではストレス刺激への知覚や記憶は障害されておらず,反復ストレスによる長期的な情動変容にのみ異常を示すことが示された.
ドパミン代謝回転を指標に前頭前皮質ドパミン系の応答を調べたところ,EP1欠損マウスでは,反復ストレスによる前頭前皮質のドパミン応答の抑制も消失していた.さらに,ドパミンD1受容体作動薬SCH23390の全身投与によりEP1欠損マウスにおける社会的忌避行動が回復したことから,EP1欠損マウスの社会的忌避行動の消失は前頭前皮質ドパミン系の過活動によると考えられた.
以上の結果により,反復ストレス下ではPGE2-EP1経路により前頭前皮質ドパミン系が抑制され,社会的忌避行動が誘導されることが示された(図1).興味深いことに,単回ストレスによる前頭前皮質のドパミン応答は,EP1欠損マウスでは正常であった.すなわちPGE2-EP1は,反復ストレス後においてのみ,前頭前皮質のドパミン系制御に関与する.この一例からでも,ストレス研究において単回ストレスと反復ストレスとを区別して解析することの重要性がうかがえる.本研究と並行して,他の研究グループからは,単回ストレスによる前頭前皮質ドパミン系の活性化にグルココルチコイド受容体やコルチコトロピン放出ホルモン受容体が関与することが報告されている11,12)
.これらの分子群が,反復ストレス後の前頭前皮質ドパミン系制御にも関与するかについては今後の課題である.
反復ストレスにおけるEP1の作用点は不明であるが,中脳ドパミン細胞への抑制性シナプス入力をPGE2-EP1経路が増強することが示されている10).また,反復ストレスにより脳内のPGE2産生量が増加することからも4),反復ストレスによる情動変容には脳内のPGE2が関与すると推測している.PG合成酵素シクロオキシゲナーゼ(cyclooxygenase: COX)にはCOX-1とCOX-2の2種が存在する.そこでCOX-1とCOX-2の遺伝子欠損マウスを反復社会挫折ストレスに供したところ,COX-1欠損マウスでは社会的忌避行動の誘導が阻害されたが,COX-2欠損マウスは野生型マウスと有意な差がなかった4).近年,脳内のPGE2産生には,末梢炎症の有無によらず,COX-1が主要な働きを持つことが示されている13).生理的条件下ではCOX-1はミクログリアに選択的に発現しており,COX-2は大脳皮質や海馬などの錐体神経細胞に発現している10).COX-1の発現は反復ストレスにより変化しないことから4),脳内のPGE2はミクログリアより産生される可能性が考えられた.実際,ミクログリア活性化マーカーを用いた組織学的解析では,反復ストレスがVTAや前頭前皮質など広い脳領域でミクログリアを活性化することが示された.これらの研究成果により,反復ストレスにより活性化されたミクログリアが,PGE2-EP1経路を介して,前頭前皮質ドパミン系の抑制と情動変容を促す可能性を提唱した(図1).
従来,情動の可塑性はもっぱら神経回路の機能変化の視点から研究されてきた.本研究は,PGE2-EP1経路の解析に端を発し,反復ストレスによる情動変容に神経ミクログリア相互作用が重要であることを示唆した.今後,神経グリア相互作用はストレス研究における新たなテーマとなるであろう.近年,PG合成阻害薬の非ステロイド性抗炎症薬が,既存の抗うつ薬や抗精神病薬の治療効果を増強するとの臨床報告が散見されており14),炎症関連分子は精神疾患創薬の新たな標的分子になると期待できる.
一方,本研究には残された課題も多い.まず,反復ストレスにおけるEP1の作用点は不明であり,今後,コンディショナル欠損マウスなどを用いた解析が必要になる.また,反復ストレスによりCOX-1の発現量は変化しておらず,反復ストレスによりPGE2産生が促進されるメカニズムも不明である.一般にPGE2産生は,その前駆体である遊離アラキドン酸の供給に応じて増加する.マクロファージなど炎症細胞のPGE2産生は,細胞質型ホスホリパーゼA2αにより脂質二重膜から切り出された遊離アラキドン酸に由来している.しかし脳内のPGE2は,主に内因性カナビノイド2-arachidonoylglycerol(2-AG)の代謝により生じた遊離アラキドン酸から産生されることが示された13).この合成経路によれば,ストレス刺激による脳内での2-AG産生がPGE2産生に共役する可能性も考えられる15).これらの仮説の検証は,反復ストレスの分子実体同定に大きく貢献することが期待される.
本研究は,京都大学大学院医学研究科の成宮周研究室に在籍中に行ったものです.成宮先生からのご指導と共同研究者の先生方のご協力に心より厚く御礼申し上げます.
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