生理活性物質「硫化水素」の新規産生経路
独立行政法人国立精神・神経医療研究センター神経研究所神経薬理研究部 ◇ 〒187-8502 東京都小平市小川東町4-1-1
© 2015 公益社団法人日本生化学会
硫化水素は,含硫アミノ酸の一種であるシステインから産生され,神経伝達調節をはじめとして平滑筋弛緩や細胞保護など多彩な作用を示す1)
.硫化水素の産生経路としては,これまでL-システインから産生されるものが知られていたが,新たにD-システインから産生される経路が明らかとなった.D-システイン経路は,L-システイン経路よりも硫化水素の産生能が高い.そしてD-システインを用いれば,酸化ストレス障害や虚血再灌流障害から効果的に細胞を保護できる.
本稿では,硫化水素の性質を概説するとともに,D-システイン経路とその医療応用の可能性を紹介する.
硫化水素は,常温・常圧では気体として存在し,350 ppm以上で生命に危険が及ぶとされる.自然環境中では火山性ガスに硫化水素が含まれ,温度の低い噴出孔からは高濃度の硫化水素が放出される傾向にある.硫化水素は空気よりも重く,窪地等の閉鎖空間に滞留した硫化水素を吸引する事故が多い.また,下水や産業廃棄物の処理施設においても硫化水素による中毒事故が発生しているが,この原因としては,嫌気性細菌の一種である硫酸塩還元菌が有機物を分解する際に硫化水素を放出することがあげられる.
一般に,硫化水素は卵の腐った臭いがするといわれるが,これはおよそ0.1~30 ppmの範囲であり,100 ppmを超えると嗅覚が麻痺してしまう.そのため,嗅覚を頼りに行動することは危険であり,安全を確保するためには検出器が必要となる.
硫化水素は,気体としてのイメージが強いが,水や油によく溶ける性質がある.記憶と学習の生理モデルとして海馬の長期増強があるが,海馬スライスの培養液に硫化水素を添加すると長期増強の誘導が促進されることが1996年に初めて報じられた2)
.翌1997年には硫化水素による血管平滑筋の弛緩作用が明らかとなり3),2004年には,酸化ストレスに対する神経細胞の保護作用が見つかった4)
.細胞保護作用の発見は虚血再灌流障害から心臓や腎臓などを保護する働きの発見5)へとつながり,現在では,硫化水素の生理作用の解明を目指した基礎研究とともに医療応用を志向した研究が活発化している.
哺乳動物の体内で硫化水素が産生されることは比較的古くから知られていた6)
.硫化水素の産生経路としては,シスタチオニンβ-シンターゼ(cystathionine β-synthase: CBS)とシスタチオニンγ-リアーゼ(cystathionine γ-lyase: CSE)によるものがある(図1).CBSとCSEは,ピリドキサールリン酸(pyridoxal 5′-phosphate: PLP)を補酵素とし,L-システインから硫化水素を産生する.筆者らは,第3番目の産生酵素として,3-メルカプトピルビン酸サルファトランスフェラーゼ(3-mercaptopyruvate sulfurtransferase: 3MST)に着目してきた7).3MSTは,チオレドキシン(thioredoxin: Trx)やジヒドロリポ酸(dihydrolipoic acid: DHLA)などの生体内ジチオール存在下,3-メルカプトピルビン酸(3-mercaptopyruvate: 3MP)から硫化水素を産生する8).3MPは,光学不活性なジケト酸であり,PLPを補酵素とするシステインアミノトランスフェラーゼ(cysteine aminotransferase: CAT)によってL-システインとα-ケトグルタル酸から産生される.
筆者らは,脳内における硫化水素の産生酵素を探索する過程で,ネガティブコントロールとして用いたD-システインからも硫化水素が産生されることを偶然見いだした9).この反応は,PLP酵素の阻害剤であるヒドロキシルアミンの影響を受けないことから,CBS,CSE,CAT-3MSTによるものではなかった.その後,細胞分画を行った結果,ミトコンドリア画分にD-システインを添加すると硫化水素が産生されることがわかった.ミトコンドリアには3MSTが局在しているが,仮にD-システインが酸化的に脱アミノ化されれば3MPが生じるため,3MSTを介した硫化水素の産生が可能となる(図1).そこで,D-システインの酸化的脱アミノ反応を触媒しうる酵素を探索したところ,D-アミノ酸酸化酵素(D-amino acid oxidase: DAO)が候補として浮上した.DAOは,フラビンアデニンジヌクレオチド(flavin adenine dinucleotide: FAD)を補酵素とし,塩基性または中性のD-アミノ酸を認識する.D-システインは,中性アミノ酸であり,DAOの基質になりうる.そこで,ミトコンドリア画分にD-システインを添加したところ,確かに3MPが産生された.そして3MPの産生は,DAOの特異的阻害剤であるインドール-2-カルボン酸(indole-2-carboxylic acid: I2C)で阻害された.さらにI2Cは,D-システインから産生される硫化水素を抑制することから,新たな経路としてDAO-3MSTを同定した.
L-システインから硫化水素を産生する酵素は多くの組織に存在しているが,DAOと3MSTは小脳と腎臓に存在していた.いずれにおいてもD-システイン経路の方が硫化水素の産生活性は高い.特に,腎臓における活性はL-システイン経路の約60倍にも達し,D-システイン経路の特別な産生能が明らかとなった.
生体内の硫化水素は,通常低レベルに抑えられており,チオール化合物やタンパク質のシステイン残基と結合した状態で存在している.仮に,D-システイン経路がin vivoで機能するのであれば,D-システインから産生された硫化水素は結合型硫黄として蓄積するはずである.そこで,マウスにD-システインを経口投与したところ,小脳と腎臓の結合型硫黄が増加した.L-システインを投与した場合でも,腎臓の結合型硫黄は増加したが,増加率はD-システインよりも低かった.in vivoにおける硫化水素の産生活性は,D-システイン経路の方が高いと考えられる.
神経細胞に過酸化水素を曝露すると,酸化ストレス障害によって細胞内の還元力は低下する.ところが,小脳初代培養細胞に過酸化水素とD-システインを共存させると,細胞内の還元力は増加した.硫化水素は,細胞保護因子としてのみならず,神経栄養因子10)としても機能すると考えられている.この二つの機能が,細胞内の還元力を増加させる原因と思われる.
D-システインを経口投与すると,腎臓の虚血再灌流障害が顕著に軽減した.L-システインを投与した場合では,再灌流障害は軽減したが,糸球体が萎縮し腎小体内に間隙が認められた.一般に,L-システインは興奮毒性を示すため,大量に投与することは危険を伴う11).一方,D-システインは比較的毒性が低いと考えられている12).硫化水素の安全な供給源としてD-システインを利用できる可能性がある.
平成23年の国内人口動態統計によると,腎不全は死因の第8位を占めた.腎不全の治療では透析を導入することが少なくないが,いったん導入すると長期間の透析を強いられ,身体的および精神的な苦痛が大きく合併症も懸念される.そのため,導入時期をいかに遅らせるかが重要となる.腎不全の発症と進展には,フリーラジカルや活性酸素による障害が関与すると考えられていることから,これまでにラジカル消去剤や活性酸素の生成阻害剤などが腎不全の予防薬や治療薬の候補として検討されてきた.しかし,いずれも臨床的に実用化されるには至っていない.腎障害に対する硫化水素の働きとしては,抗酸化ストレス作用のみならず,抗アポトーシス作用や抗炎症作用が確認されている13).今後は,腎不全の予防や治療を目的としたD-システインの臨床応用が期待される.
これまで,D-アミノ酸が細菌の細胞壁や抗生物質に含まれることは知られていたが,最近では酵母や植物をはじめとする多くの真核生物にもD-アミノ酸が内在することがわかっている.筆者らは,キラルカラムクロマトグラフィーを用いてD-,L-システインの分別測定法を開発したが,現時点では内在性のD-システインを検出することはできていない.哺乳動物では,D-セリンとD-アスパラギン酸がラセマーゼによってL-型アミノ酸から合成されることが明らかとなっているが14),システインラセマーゼの有無も含めてD-システインの生合成経路は不明である.
なお,L-システインを加熱やアルカリで処理すると非酵素的にD-システインに変換されることが知られている15).生体にはL-システインが内在するため,加熱処理した食品を摂取することでD-システインを体内に取り込んでいる可能性があるかもしれない.
D-システインを利用すれば,L-システインよりも多くの硫化水素を産生できることがわかった.今後は,D-システインの医療応用を指向した検討が必要であるが,仮にマウスを用いた腎虚血再還流障害の検討結果をヒトの1日投与量に換算すると,体重50 kgあたり70 gを上回ってしまう.D-システインを新規の細胞保護薬として利用するためには,投与量をいかに低減できるかが大きなポイントになると思われる.
1) 木村英雄(2013)生化学,85, 63–75.
2) Abe, K. & Kimura, H. (1996) J. Neurosci., 16, 1066–1071.
3) Hosoki, R., Matsuki, N., & Kimura, H. (1997) Biochem. Biophys. Res. Commun., 237, 527–531.
4) Kimura, Y. & Kimura, H. (2004) FASEB J., 18, 1165–1167.
5) Elrod, J.W., Calvert, J.W., Morrison, J., Doeller, J.E., Kraus, D.W., Tao, L., Jiao, X., Scalia, R., Kiss, L., Szabo, C., Kimura, H., Chow, C.W., & Lefer, D.J. (2007) Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 104, 15560–15565.
6) Stipanuk, M.H. & Beck, P.W. (1982) Biochem. J., 206, 267–277.
7) Shibuya, N., Tanaka, M., Yoshida, M., Ogasawara, Y., Togawa, T., Ishii, K., & Kimura, H. (2009) Antioxid. Redox Signal., 11, 703–714.
8) Mikami, Y., Shibuya, N., Kimura, Y., Nagahara, N., Ogasawara, Y., & Kimura, H. (2011) Biochem. J., 439, 479–485.
9) Shibuya, N., Koike, S., Tanaka, M., Ishigami-Yuasa, M., Kimura, Y., Ogasawara, Y., Fukui, K., Nagahara, N., & Kimura, H. (2013) Nat. Commun., 4, 1366.
10) Umemura, K. & Kimura, H. (2007) Antioxid. Redox Signal., 9, 2035–2041.
11) Olney, J.W., Zorumski, C., Price, M.T., & Labruyere, J. (1990) Science, 248, 596–599.
12) Misra, C.H. (1989) Neurochem. Res., 14, 253–257.
13) Tripatara, P., Patel, N.S., Collino, M., Gallicchio, M., Kieswich, J., Castiglia, S., Benetti, E., Stewart, K.N., Brown, P.A., Yaqoob, M.M., Fantozzi, R., & Thiemermann, C. (2008) Lab. Invest., 88, 1038–1048.
14) Kim, P.M., Duan, X., Huang, A.S., Liu, C.Y., Ming, G.L., Song, H., & Snyder, S.H. (2010) Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 107, 3175–3179.
15) Friedman, M. (2010) Chem. Biodivers., 7, 1491–1530.
This page was created on 2015-03-03T18:20:39.513+09:00
This page was last modified on 2015-04-16T18:43:49.295+09:00
このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。