生化学 SEIKAGAKU
Journal of Japanese Biochemical Society

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Journal of Japanese Biochemical Society 87(2): 221-224 (2015)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2015.870221

みにれびゅうMini Review

神経活動依存的に発現する遺伝子Hr38を利用した昆虫の生得的行動時の神経活動の検出Visualization of neural activity related to instinct behavior in insect brains using a conserved immediate early gene, Hr38

金沢大学理工研究域自然システム学系Faculty of Natural System, Institute of Science and Engineering, Kanazawa University ◇ 〒920-1192 石川県金沢市角間町Kakuma-machi, Kanazawa-shi, Ishikawa 920-1192, Japan

発行日:2015年4月25日Published: April 25, 2015
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1. はじめに

動物にとって,自らの周囲の情報を正確に感知し,適切な行動によって反応することは,個体の生存や子孫の維持繁栄にきわめて重要である.そのため多くの動物の脳には,天敵の姿や匂いを察知すると即座に逃げたり,逆に身動きがとれなくなったりする反応を示したり,性フェロモンなどを介して同種の異性を認識すると性行動を開始したりするような生得的行動(本能行動)を制御する神経回路が備わっている.

現在,昆虫は確認されているだけで100万種以上存在すると考えられており,現生の動物種の大半を占めるほどの大繁栄に至っている.昆虫が大繁栄した理由としては,旺盛な繁殖力・環境への適応性の高さ・進化速度の速さなど,さまざまな要因をあげることができるが,高感度な感覚器官を持つことや高度にプログラムされた生得的行動を持つことが大きな要因の一つであると考えられる.また,このような昆虫が示す感覚受容や生得的行動は,昔から多くの研究者の興味を引いてきた.ファーブル昆虫記には,夜行性の蛾のオスが,夜の暗闇にも関わらず遠くにいるメスに誘引されること,またそれが嗅覚によるものであることが描かれている.このような背景のもと多くの研究者により,昆虫の持つ性フェロモン物質の同定や高感度な感覚受容機構や生得的行動を制御する神経機構の研究が行われてきた.

たとえば,蛾類では養蚕業により多量の虫を得ることのできるカイコガを用いた性フェロモンの精製が50~60年前にドイツのブテナントにより行われ,生物で初めて性フェロモン物質の構造決定がなされた1).この物質はカイコガの学名(Bombyx mori)にちなんでボンビコール(bombykol)と名づけられた.ちなみにこの性フェロモン精製に用いられた数十万頭(カイコガは家畜のため,「匹」ではなく「頭」で数えられる)のカイコガは,その当時は世界有数の養蚕国であった日本からドイツに輸入されたものである.その後,日本の研究者達の活躍により,ボンビコール受容体の同定やボンビコールに反応する脳内細胞の電気生理学的同定などがなされてきた2).また,分子遺伝学的技術が整ったモデル昆虫であるショウジョウバエにおいては,中枢神経系の性を決定する遺伝子であるfruitlessの発見を起点に,性特異的な神経回路の同定や性行動を制御する神経細胞の発見がなされるなど3),細胞レベルで昆虫の生得的行動を制御する神経回路が明らかとなってきている.

このように一部のモデル昆虫や歴史的な背景のある昆虫においては,その生得的行動を制御する神経機構の詳細が明らかになりつつあるが,特定の細胞に遺伝子を発現させたり,特定の神経細胞を狙って電極を刺入したりすることのできる昆虫種は限られており,100万種以上いるといわれている昆虫の生得的行動の神経機構については,そのほとんどが未解明であるといえる.さまざまな昆虫が示す多彩で興味深い行動のレパートリーの数々を考えると,いわゆるモデル昆虫以外の生物にも適用することができるアプローチであり(すなわち遺伝子組換え個体作製の技術確立を必要とせず),それでいて生得的行動の神経機構の本質に簡易に迫ることのできるアプローチがあってもいいではないかと思うのは,筆者以外の研究者にも共通の認識なのではなかろうか.

筆者はこれまで,神経が強く活動した後一過的に発現増加の起こる遺伝子(初期応答遺伝子と呼ばれる)を神経活動のマーカーとして用いれば,さまざまな昆虫の示す多彩な生得的行動を規定する神経回路基盤を明らかにできるのではないかと考え研究を行ってきた.その一連の研究において,最近,幅広い昆虫種間で高度に保存された初期応答遺伝子を初めて同定し,その神経活動マーカーとしての有用性を明らかにしてきたので,本稿においてその知見を紹介したい.

2. 初期応答遺伝子を用いた神経活動マッピング

マウスをはじめとした哺乳類や鳴禽類のような鳥類を用いた神経行動学的研究において頻繁に用いられる手法として,初期応答遺伝子を用いた神経活動マッピングが知られている4,5).これは神経細胞において強い活動が起きた際,細胞内にカルシウムイオンが流入することやGタンパク質が活性化することによって,シナプス部で発生した神経活動が一連の細胞内生化学反応として核に伝わり,初期応答遺伝子として知られる一群の遺伝子が発現することを利用した手法である.脊椎動物においては神経活動依存的に発現する初期応答遺伝子は40種類以上が知られており,さまざまな神経行動学的な研究において,行動に関連した神経回路・細胞種を同定することに利用されている.特にc-fosArcといった初期応答遺伝子は,活動依存的な発現量変化が大きいことから,多くの研究で神経活動マーカーとして用いられてきた.この手法には,自由に行動した動物の脳における神経活動の痕跡を調べることができること,ホールマウント染色や連続切片を作製することで活動のあった領域を脳全体から同定できること,特定のマーカー遺伝子との共染色をすることで活動のあった細胞の種類を同定できること,といった利点があり,興味のある行動に関連した脳領域や神経回路・細胞に比較的簡易に“あたり”をつけることが可能である.

3. 昆虫種間で保存された初期応答遺伝子Hr38の同定と性行動時に活動した神経細胞の包括的同定

このように神経行動学的研究において初期応答遺伝子は非常に有用であるにも関わらず,これまでに幅広い昆虫種において有用な初期応答遺伝子は知られていなかった.昆虫の脳において有用な神経活動マーカーとして唯一知られていたものとしては,以前に筆者がミツバチの脳より単離したkakusei(麻酔から覚醒する際に発現したのでkakuseiと名づけた)という核局在性非翻訳RNAのみであった6).野外において花蜜や花粉といった餌を見つけたミツバチの働きバチは,巣に戻ると8の字を描くダンスを踊り,自分の見つけた餌の場所を巣の仲間の蜂に伝えるといった行動を示すが,このような行動に関連した神経回路の解明を目的に新規に初期応答遺伝子を探索し,単離・同定したものがkakuseiであった.詳細は別の総説に譲るが7),ミツバチの神経行動学研究において絶大な威力を発揮したkakuseiは,ミツバチ属には保存されていたものの他の昆虫種のゲノム中には存在しなかったことから,多くの昆虫種においてはいまだ有用な神経活動マーカー遺伝子が知られていない状況が続いていた.

ちょうどそのような時期に,筆者はミツバチの研究室からカイコの研究室に異動したことから,オスのカイコガが示す性行動の神経機構の研究を開始していた.カイコガの成虫は交尾以外の行動をしない(餌も食べないし,水も飲まない)ため,オスは普段はほとんど動くこともないにも関わらず,ひとたびメスが発する性フェロモンを感知すると,狂ったように激しく羽をバタつかせながらメスの探索を開始し,最終的には交尾に至る性行動を示す(図1).このように行動のON/OFFが性フェロモン刺激依存的に明確に制御されているという特徴がカイコガには認められる.また,多くの動物では複数種類の化学物質が一定の比率で混合されて初めて性フェロモンとしての活性を持つ場合が多いが,カイコガではボンビコール刺激のみで性行動が誘発され,性フェロモン物質と行動の対応が明確であるといった特徴がある.筆者はこれらの特徴を持つカイコガを対象とすることで,性フェロモンが行動を制御する神経機構の基本原理を明らかにできるのではないかと考え研究に取り組んでいた.この際,初期応答遺伝子を用いることで,性フェロモンに応答して活動の起こった神経細胞を,一網打尽に同定できるのではないかと考えた.

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図1 性行動を示すカイコガ

メスを見つけたオスのカイコガは羽を激しくバタつかせて交尾に至る.

前述のとおり,ミツバチ以外の昆虫で神経活動マーカーとして使用可能な初期応答遺伝子は知られていなかったことから,筆者らはまずカイコガのゲノム情報を元にマイクロアレイを作製し,性フェロモン刺激の前後で発現量が変化する遺伝子の探索を行った.その結果,Hr38Hormone Receptor 38)という遺伝子が性フェロモン刺激後60分をピークとして一過的に10倍程度の発現量増加を示すことを見いだした8)図2A).Hr38の発現は,性行動の強度(持続時間)とも強い相関関係を示したことや,メスの性フェロモンで刺激したオスの触角では性フェロモン受容細胞選択的に発現がみられたことから,神経活動のマーカーとして有用であることが強く示唆された.そこでオスのカイコガの脳連続切片を作製し,性フェロモン刺激に応答してHr38の発現が起きた細胞の分布を明らかにした(図2C).Hr38の発現は,嗅覚情報の一次中枢である触角葉・脳高次中枢であるキノコ体・前大脳の周辺・運動中枢である食道下神経節に認められた.この分布のパターンは,先行研究において性フェロモン刺激に対して電気応答を示すことが知られている細胞2)を含むものであったことからも,Hr38による神経活動マッピングが有効であることが確認された.また従来の研究では,全脳にわたって神経活動の検出を行うことは不可能であったことから,これまでに性フェロモンに応答することが知られていなかったような多数の細胞が本手法によって明らかとなった.たとえばキノコ体周辺の細胞において多数のHr38陽性細胞が認められたが,これまでにキノコ体神経の性行動における役割は解析されていなかったことから,今後の研究の対象として重要であることが示唆された.このように包括的な神経活動マッピングを行うことで,目的とする行動に関連がありそうな脳領域や細胞の“あたり”をつけることが,カイコガの脳においても可能となった.

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図2 神経活動依存的なHr38の発現を利用した神経活動の検出

(A)カイコガの脳におけるHr38の発現量変動.オスのカイコガを30分メスの匂いで刺激した.(B)ショウジョウバエの脳におけるHr38の発現量変動.脳全体にdTrpA1を発現させ,温度刺激を利用して神経活動を誘発した.(C)性フェロモンで刺激したオスのカイコガ脳におけるHr38発現パターンのまとめ.黒い点でHr38発現細胞の分布を示す.上から下にかけて,脳前方から後方の切片を示す.(D)メスで刺激したオスのショウジョウバエの脳におけるHr38発現パターンのまとめ.上段:前方から見た脳のまとめ.下段:後方から見た脳のまとめ.

このHr38という遺伝子は,カイコガのみならずゲノム配列の決定された主要な昆虫すべてにおいてホモログ遺伝子が認められた.次に他の昆虫種においても神経活動のマーカーとしての有用性を検討することにした.そこで,鱗翅目であるカイコガと系統的にも離れており,モデル昆虫であるショウジョウバエ(双翅目)を用いて検討を行った.まず,ショウジョウバエの脳においてもHr38が神経活動依存的に発現する遺伝子であるかを調べた.ショウジョウバエにおいては,温度受容体チャネルであるdTrpA1を任意の細胞に発現させ,飼育温度を23°Cから31°Cに変化させることで,任意の細胞の神経活動を人為的に制御することが可能である9).この方法によりショウジョウバエの脳においてもHr38は神経活動依存的に一過的な発現量増加が起こること,刺激開始から90分後をピークとして約25倍程度まで発現量が増加するなど,カイコガと同様の発現動態を示すことを明らかにした(図2B).この結果は,目レベルで系統が離れたカイコガとショウジョウバエにおいても,Hr38の神経活動依存的発現という性質が保存されていることを示している.

ショウジョウバエにおいては,メスから放出される揮発性の性フェロモンはいまだ同定されていなかったことから,断頭したメスの体をオスに提示することにより,性フェロモン刺激と性行動の誘発を行った.驚くべきことにショウジョウバエでは,頭部のない状態のメスに対してもオスは定型的な性行動を示し,時には交尾まで完遂してしまう.このような刺激を行ったオスの脳におけるHr38の発現パターンを調べ,メス刺激依存的に活動の起こった神経細胞の脳内における分布を明らかにした(図2D).その結果,嗅覚中枢領域・脳高次領域・運動中枢領域として知られる各脳領域において,Hr38を発現する細胞を多数検出した.ショウジョウバエにおいては性フェロモンの感知には触角の嗅覚受容細胞および前足先端部にある味覚受容細胞が関与することが知られていた.そこで触角や前足先端部を外科的に除去したオスのショウジョウバエを作製し同様の実験を行ったところ,Hr38陽性細胞が減少・消失することが観察され,メス刺激によるHr38の発現は触角や前足先端部を介した感覚入力依存的であることが確認できた.

ショウジョウバエにおいては,性行動に関連する性特異的な神経回路はfruitless依存的に形成されることが知られていた10).そこでfruitlessを発現する神経回路において,メス刺激依存的にHr38の発現が起こるかどうかを調べた.その結果,性行動の解発に重要であることが知られているオス特異的な神経細胞においてHr38の発現が確認されたが,fruitlessを発現しない細胞においてもHr38陽性細胞は多数検出された.この結果は,性行動時にはfruitless神経回路の一部とその他の神経回路(fruitless神経回路の上流および下流)が協調して機能していることを強く示唆している.このようにHr38の発現を指標にすることで,ショウジョウバエの脳においても,行動に関連して活動の起こった神経細胞の脳内分布を包括的に明らかにすることができた.また,一部の感覚入力を遮断したり,ランドマークとなる遺伝子との共局在解析を行ったりすることで,感覚経路の特定や一部の神経回路の活動状態を検出することができた.

4. おわりに

これまで自由に動き回る昆虫の脳において,どのような神経回路や細胞で活動が起こっているのかということを,比較的簡易かつ包括的に検出する方法はなかった.今回のHr38の発見により,自由に動き回るカイコガやショウジョウバエの脳で神経活動を検出する新たな手法を確立することができた.前述のようにHr38はカイコガやショウジョウバエのみならず,これまでにゲノムが決定されたすべての昆虫が保有している.本手法に必要なのはHr38のクローニングとin situハイブリダイゼーション実験だけであり,遺伝子組換え個体作出のような高度な分子遺伝学的技術は必要ではない.さらに近年のゲノムが解読された生物の数の増加やHr38の配列の保存性の高さを考慮すると,Hr38を用いた神経活動マッピングは他のさまざまな昆虫に適用することが十分可能であり,今後,昆虫の脳や行動の研究に非常に有用な技術となると期待される.

また今回の研究によって,性フェロモンを嗅いだ昆虫の脳では,匂いの情報を処理する嗅覚中枢や性行動を制御する運動中枢に加え,さまざまな感覚情報を統合して行動の選択を行う脳の高次中枢においても神経活動が起こっていることが明らかとなった.今後,このような神経細胞が形成する神経回路の役割や動作の仕組みを明らかにすることで,動物の脳は周囲の環境からの情報をどのように処理することによって適切な行動を選択しているのか,といった脳の基礎科学研究に貢献すると考えられる.

最後に,Hr38は元来,昆虫の脱皮・変態を制御するエクジソン経路で働く因子として単離された遺伝子であり,蛹から成虫になる際のクチクラ形成に必須の遺伝子として知られていたが,脳・神経系において機能することは知られていなかった11).近年,エクジソンを介した経路が記憶といった脳の高次機能に関わることが報告されている12).神経活動依存的にHr38が発現増加する機能的意義は何なのか,そしてその機能は従来脱皮のホルモンと考えられてきたエクジソンと,どのように関わっているのか? Hr38が脳・神経系において果たす役割の解明も今後の重要な課題である.

著者紹介Author Profile

木矢 剛智(きや たけとし)

金沢大学理工研究域自然システム学系生物学コース特任助教.博士.

略歴

2002年東京大学理学部生物学科卒業.07年同大学院理学系研究科生物科学専攻博士課程修了.07年東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻・産学官連携研究員.08年10月より現職.

研究テーマと抱負

神経活動依存的な遺伝子発現を利用した昆虫の生得的行動の解明.生物が持つ洗練された行動がどのような仕組みで制御されていて,それはどのような進化を経て発展してきたのか,自然界に潜む美しい法則を明らかにしたい.

ウェブサイト

http://kiya.w3.kanazawa-u.ac.jp/

趣味

ダイビング・スノーボード.

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