Online ISSN: 2189-0544 Print ISSN: 0037-1017
公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 87(3): 273 (2015)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2015.870273

アトモスフィアAtmosphere

振り返れば反省ばかり

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発行日:2015年6月25日Published: June 25, 2015
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企画委員会から,執筆依頼があった.会員にとって有意義な意見を書いてくれ,と言う.お世話になった学会でもあり,断るのも気が引けた.とは言え,何を書けば有意義になるか,まったく自信がない.今年で6回目の干支を迎える歳になり,そろそろ終活でも始めなければ,と思っていた矢先にである.

私は,高校時代の担任に,理系に向く頭ではない,と言われた.それもそうである.数学と物理は極めて不得意であった.得意科目は英語と化学,特に化学実験が好きだった.高校2年になる頃,親父が東大を定年退官する,ということで母に連れられて最終講義を覗きに行った.何やら難しい化学構造式を黒板一杯に書きながら,大勢の学生を前に「社会に役に立つ人間になれ」と説教していた.こういう世界もいいかな,と思ってしまったのがそもそもの間違いであった.厳格な両親のもとを一刻も早く離れて暮らしたい一心で,大学は東北を選んだ.父が青森,母が秋田の出身で,何となく北の方にアフィニティがあった.大学3年になって卒業研究をどの教室でやるか,ということになった.その頃の薬学は有機化学が主流で,優秀そうな学生は化学系の教室を希望した.私も薬学は有機化学がわからなければ駄目だろう,と考えて化学系の教室を選んだ.けれども有機化学は量子力学が主体で,物理が苦手な私は難解な反応論に手をやいた.そこで大学院は生化学(衛生化学)を選んだ.当時の衛生化学のO教授が人間的に尊敬できそうだ,と感じたことも大きな理由であった.ところが,大学院進学の直前,O教授は急逝してしまった.当時助教授であったU先生があとを引き継ぐことになり,その後はU教授のもとで脂質代謝の研究を始め,その研究で学位をもらった.仙台での生活にもそろそろ飽きてきた頃,東京医科歯科大学のN教授のところで助手の求人がある,との話があり,脂質の研究が続けられそうだ,ということで,約10年ぶりに東京に戻ることになった.以来,約30年間,当初はN教授の指導を受けながらリン脂質の生合成酵素の研究を続け,それなりの成果も挙げられた.途中,ミシガン大学医学部で2年間,ちょっと間をあけてブリティッシュコロンビア大学医学部で1年間の海外留学も経験できた.この間,国内・海外で多くの脂質生化学研究者と親交させていただいた.世の中の生命科学研究のスピードについて行くのが大変,と感じ始めた60歳に近くなった頃,ある先生から,私学の薬学部を立ち上げるのだが手伝いをお願いできないか,との話が舞い込んできた.但し,研究は当面できないが……と言う.研究の方は,若い優秀な研究者がポストに困っているご時世でもあった.この辺で研究から足を洗って,薬剤師教育に専念するのもいいかな,と考えてその話に乗ることにした.以来,5年間私学で教育に携わる身となったが,たまたま私を採用してくれた大学は,経営のことばかり優先して,入学してきた学生の教育に対して極めて消極的であった.これではいい薬剤師が育たない,と随分大学側とやり合ったのだが,相手は巨大な組織であり,給料をもらっている以上大学の方針に従いなさい,と言われれば,個人の力ではどうにもならなかった.私と同じ考えの先生も少なからずおられたが,声を大にすることはなかった.大学との確執で心身がかなり消耗してきた頃,その様子を知ってか知らずか,次の仕事を紹介して下さる先生がいた.私も65歳になり,このままこの大学にいても埒があかないと感じていた矢先でもあったので,お引き受けすることにした.それが現在の生命科学振興財団の仕事であり,今は楽しく仕事をさせていただいている.

ここまで,私の歩んで来たあらましを述べさせていただいた.思い返せば,研究も教育も,もう少し頑張っていたら胸をはって後輩諸君に,私はこう思い,こう生きた,と言えただろう.根っからの遊び好き(因みに趣味はゴルフと麻雀である)のせいもある.親父も天から眉をひそめて眺めていたことだろう.でもまだ終わってはいない.今の仕事に精をつぎ込んで,最後は社会に感謝される人間で終わりたい,と思う此の頃である.

最後に,今私が勤める財団について少々触れたい.昨今の日本の生命科学研究に対する方向性は,AMEDを頂点としてトップダウンとなりつつある.私が歩んで来たような基礎研究領域,それも出口がすぐに見えないような研究には公的資金が回ってこない.私のいる財団をはじめ,多くの製薬企業が社会貢献の一部として科学振興を助成する事業を展開しているが,これらの助成はいずれもボトムアップの研究を対象としている.アカデミアでの研究はその応用ばかりを考えないで,真理の探求へと向かって欲しいと願う.会員諸君は是非これら民間の資金を大いに活用して欲しいと思う.

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