グリア細胞によって誘導される虚血耐性
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虚血耐性とは,あらかじめ傷害を与えない程度の短時間虚血(preconditioning:PC)を経験しておくと,その後の致死的傷害を与える長時間虚血に対する抵抗性を獲得する現象であり,虚血に最も脆弱な臓器である脳でも認められる.虚血・再灌流後の脳保護薬の開発が苦戦している中で,強力な脳保護効果を示す虚血耐性現象の分子メカニズムの解明は,脳梗塞治療の開発およびその治療戦略において重要視されている.これまでに多くの精力的な研究がなされ,複数の分子メカニズムが報告されているが,そのほとんどが神経細胞の機能変化に注目したものであった.しかし,神経細胞の機能維持および保護にはグリア細胞の役割がより重要であることも示唆されているが,虚血耐性におけるグリア細胞の関与はほとんどわかっていない.そこで本稿では,虚血耐性現象におけるグリア細胞の役割とその分子メカニズムについて概説する.
虚血耐性は非常に強力な脳保護作用を呈することから,すでに多くの精力的な研究がなされ,複数の責任分子,シグナルカスケード等が見いだされている1).しかしそれらの研究の多くは培養細胞等を用いたin vitro実験が中心であり,実際の脳卒中で認められるような脳虚血耐性現象を再現した病態モデル動物を用いたin vivo実験はほとんど行われていなかった.その理由として,in vivo脳虚血耐性モデル作製の難しさがあげられる.脳虚血モデルとしては,実際の脳梗塞の臨床病態に近い状態を作り出せる中大脳動脈閉塞(middle cerebral artery occlusion:MCAO)が頻用されているが2),特にマウスのような小動物では手技が難しく,さらに虚血耐性モデル動物作製のために二度MCAOを施すことはきわめて困難とされていた.そこで我々は,MCAOの手技を用いた脳虚血耐性モデル動物の開発に着手し,挿入するフィラメント等の改良を重ねた結果,再現性の高いin vivo脳虚血耐性モデルを作製することに成功した.本モデルにおいて,非侵襲的な15 min-MCAO(PC)は傷害を引き起こさないが,侵襲的な60 min-MCAOを負荷すると脳梗塞傷害が起こる(図1A).この侵襲的60 min-MCAOによる梗塞傷害は,PCを3日前に先行負荷することにより顕著に抑制された.したがって,本プロトコールで虚血耐性が誘導されること,また本モデルが虚血耐性研究に有用なモデルであることが示唆された.しかしPCを1日前に負荷した場合には,虚血耐性が誘導されなかったことから,PC後3日が経過する間に,虚血耐性獲得のための分子が誘導される可能性が強く示唆された.
脳には神経細胞のみならず,神経細胞の数倍もの数のグリア細胞が存在している.特に,グリア細胞の中でそのサイズおよびポピュレーションが最大であるアストロサイトは,多数の神経伝達物質の受容体や輸送体を発現しており,脳卒中の分子病態と強く関連していることが報告されている3).虚血耐性獲得にも,グリア細胞が関連している可能性があるが,これまでのほとんどの虚血耐性研究は,神経細胞を標的としたものであった.グリア細胞は,脳内環境の変化に対して非常に感受性が高く,またその性質を大きく変化させることが知られている.したがって,グリア細胞が,PCのセンサーおよびトランスデューサーとして重要な役割を担っていることが推測できる.そこで我々は,PCによりグリア細胞表現型が変化することで虚血耐性が誘導される,との作業仮説を立て,その検証を行った.
まず,免疫組織化学染色法を用いてPC後のグリア細胞の形態変化を観察した.PC 1日後では何も変化がみられなかったが,PC 3日以降で,アストロサイトの活性化が認められ,これは虚血耐性が獲得される脳部位と非常によく一致していた(図1B).つまりアストロサイト活性化と虚血耐性獲得の時空間パターンとの間に非常に大きな相関が認められたのである.さらに,フルオロクエン酸(FC)を投与してPCにより惹起されるアストロサイトの活性化を抑制すると,PCによる虚血耐性効果が消失した.これらの結果から,アストロサイトの活性化は虚血耐性の獲得に必須であることが明らかとなった.また,PCによるアストロサイトの活性化は8週間後まで持続することから,本モデルにおける虚血耐性は長時間有効である可能性が示唆された.
一方,脳内の免疫担当細胞として知られているミクログリアも脳虚血病態への関与が数多く報告されており4),本実験でもPCによって活性化することが示されている.しかし,ミクログリア活性化抑制薬であるミノサイクリンを投与してPC後のミクログリアの活性化を抑えても虚血耐性獲得への影響はなく,またミクログリア活性化の時空間パターンと虚血耐性獲得のそれとは一致していなかった.よって,ミクログリアは虚血耐性獲得に関与しないことが明らかとなった.以上,PCによる虚血耐性獲得には,ミクログリアではなくアストロサイトの活性化が必要であることが明らかとなった(アストロサイト依存的虚血耐性).
虚血耐性獲得にアストロサイトの活性化が重要であることが明らかとなったが,その分子メカニズムについては不明であった.そこで,神経細胞–アストロサイト間の相互作用において中心的な役割を果たすATPおよびその受容体に注目した.すでに,脳卒中の分子病態とATP受容体,特にイオンチャネル型P2X受容体に関しては多くの報告がなされている5, 6).我々はPCにより変化するP2受容体のスクリーニングから,P2X7受容体の発現亢進を見いだした.その発現亢進は,アストロサイトにおいて顕著であった.
脳虚血耐性におけるP2X7受容体の役割を明らかとするため,P2X7受容体欠損(P2X7-KO)マウス7)を用いて解析を行った.PCによるアストロサイトの活性化の程度は,野生型(WT)およびP2X7-KOマウスでほぼ同様であり(図2上段),60 min-MCAO単独負荷による脳梗塞傷害の程度もWTおよびP2X7-KOマウス間で差は認められなかった(図2中段).しかし,PCによる虚血耐性の獲得は,P2X7-KOマウスでは消失したのである(図2下段).したがって,アストロサイト依存的虚血耐性獲得の分子メカニズムとして,P2X7受容体の発現亢進が必要条件であることが示唆された8).
WTおよびP2X7-KOマウスにおいて,PC後のアストロサイトの活性化の程度,さらに60 min-MCAO単独負荷による梗塞傷害の程度に違いは認められなかった.しかし,P2X7-KOマウスでは,PCによる虚血耐性は消失した.
次に,アストロサイト依存的虚血耐性誘導におけるP2X7受容体下流シグナルの解析を行った.ここで注目したのは,酸素の恒常性維持におけるマスター分子であり,多くの神経保護分子を制御する転写因子hypoxia inducible factor(HIF)-1αである9).HIF-1αは低酸素負荷によってその分解が抑制され,細胞質内に蓄積,核内に移行し,神経保護分子の転写を行う.これまでPCにより神経細胞で発現亢進するHIF-1αが虚血耐性獲得に関与する可能性は示唆されていたが,神経細胞特異的HIF-1α欠損マウスを用いた研究により,神経細胞由来のHIF-1αと虚血耐性獲得の因果関係はすでに否定されている10).しかし,HIF-1α発現細胞は,神経細胞だけでなくアストロサイトも含む.そこで,PCによるアストロサイトのHIF-1α発現と虚血耐性獲得の関連性を解析した.PCにより,HIF-1αは神経細胞およびアストロサイトの両者で増加した.しかし,神経細胞のHIF-1αはPC直後に一過性に上昇するのに対し,アストロサイトのそれは遅発性(PC3日後以降)で持続的であった.さらに,アストロサイトのHIF-1α発現は,完全にP2X7受容体に依存的であり,その発現亢進の時空間パターンは,虚血耐性獲得のパターンとよく一致していた.以上のことから,アストロサイト依存的虚血耐性の分子メカニズムとして,P2X7/HIF-1α経路が関与している可能性が示唆された(図3).
本研究により,虚血耐性獲得がグリア細胞(アストロサイト)依存的であること,またその分子メカニズムは,これまでの神経細胞に注目して見いだされたものと大きく異なっていること,が明らかとなった.このアストロサイト依存的虚血耐性の獲得は,P2X7/HIF-1α依存的であり,その脳保護作用は非常に強力であった8).しかし本研究で用いたようなPCは,非侵襲的ではあるものの直接ヒトに応用することはできない.したがって,今後臨床への応用を目指すためには,本研究により見いだした虚血耐性誘導に関連する複数の標的分子を,PC以外の方法で制御するストラテジーをとる必要がある.そのために,アストロサイト依存的虚血耐性分子メカニズムの全容解明に向けたさらなる研究が必要である.しかし,本研究成果は,アストロサイトが虚血耐性誘導および脳卒中治療戦略において,非常にポテンシャルの高い標的細胞であることを強く示唆するものであり,虚血耐性研究のマイルストーンの一つに位置づけることができると考えている.
本研究は山梨大学大学院総合研究部医学域薬理学講座(小泉修一教授)で行われたもので,共同研究者の方々に深く感謝申し上げます.
1) Dirnagl, U., Becker, K., & Meisel, A. (2009) Lancet Neurol., 8, 398–412.
2) Ikeda-Matsuo, Y., Ota, A., Fukada, T., Uematsu, S., Akira, S., & Sasaki, Y. (2006) Proc. Natl. Acad. Sci. USA, 103, 11790–11795.
3) Rossi, D.J., Brady, J.D., & Mohr, C. (2007) Nat. Neurosci., 10, 1377–1386.
4) Wang, Q., Tang, X.N., & Yenari, M.A. (2007) J. Neuroimmunol., 184, 53–68.
5) Franke, H. & Illes, P. (2006) Pharmacol. Ther., 109, 297–324.
6) Sperlagh, B., Vizi, E.S., Wirkner, K., & Illes, P. (2006) Prog. Neurobiol., 78, 327–346.
7) Solle, M., Labasi, J., Perregaux, D.G., Stam, E., Petrushova, N., Koller, B.H., Griffiths, R.J., & Gabel, C.A. (2001) J. Biol. Chem., 276, 125–132.
8) Hirayama, Y., Ikeda-Matsuo, Y., Notomi, S., Enaida, H., Kinouchi, H., & Koizumi, S. (2015) J. Neurosci., 35, 3794–3805.
9) Semenza, G.L. & Wang, G.L. (1992) Mol. Cell. Biol., 12, 5447–5454.
10) Baranova, O., Miranda, L.F., Pichiule, P., Dragatsis, I., Johnson, R.S., & Chavez, J.C. (2007) J. Neurosci., 27, 6320–6332.
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