生化学 SEIKAGAKU
Journal of Japanese Biochemical Society

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Journal of Japanese Biochemical Society 89(1): 1 (2017)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2017.890001

アトモスフィアAtmosphere

疑問からアイディアへ

大阪大学名誉教授

発行日:2017年2月25日Published: February 25, 2017
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岡山大学と大阪大学で研究室を主宰し,定年後には都内の微生物化学研究所で研究を続けました.その後6年間は東北地方の私立大学で,思いがけず教育を主体とする仕事にも当たりました.振り返りますと,50年間にわたって生物のカラクリの巧妙さと面白さを学ぶ幸せを味わいました.

『漫画の良し悪しは,最初に考えた「案」で決まる.絵だけ描けてもアイディアが良くなければ,漫画としてのおもしろさがない』.漫画家,手塚治虫の言葉です.『研究の良し悪しは,最初に考えたアイディアで決まる.実験は出来てもアイディアがよくなければ,研究としてのおもしろさはない』と言い変えると,まさに当を得た文章ではないでしょうか.

しかし,アイディアの良し悪しは,結果が出ないと分かりません.いかに優れたアイディアを得るか,私たちにできることは,『最も重要な疑問は何か』を徹底的に検討し,これに答えていくことです.疑問から答までの橋渡しがアイディアです.

予想した答が出るとほっとしますが,むしろ安心せずに注意深く見直し考える必要があります.思いがけない発見をすることもありました.答が出なかったり,結果にインパクトがなかったりしたこともありました.こんなときには,根本から考え直すことになります.

疑問から始まり,アイディアが生まれ,結果を得る.しかし,疑問は疑問を生みアイディアは限りなく求められ,研究室全体のテーマを教室員が分担して研究が進みました.いずれも最初が肝心です.私たちの研究室の方向はATP合成のメカニズムから始まりました.いろいろな意見を聞き,徹底的に議論し研究室が立ち上がりました.ATP合成の研究にはウシのミトコンドリアを使うのが常識でしたが,私たちは大腸菌を用いることにしました.しかし,当時は生物がエネルギーを生産するメカニズムの普遍性に対する理解は乏しく,初めはミトコンドリアとは全く異なる研究だと思われました.1970年代後半に,アメリカの生化学会のシンポジウムで講演をしたとき,「大腸菌にはミトコンドリアがないので,あなたの発表はATP合成とは無関係ではないか」というような質問が出る,そのような時代でした.

エネルギー代謝には普遍性があるという観点から,何が重要な疑問であるかを考えながら,教室員の努力で研究が進みました.遺伝学や分子生物学の手法によって,サブユニット22分子からなる酵素の実体,プロトンが関与し協同性を持つ酵素反応のメカニズム,サブユニットの回転など,構造科学の知見と相まって従来の概念を大きく超えたATP合成酵素の実体が明らかになりました.大腸菌を用いたアイディアから始った成果です.

ATPは,多くの代謝,タンパク質のリン酸化,DNA/RNA合成,タンパク質合成,などに登場します.しかし,ほとんどのATPはエネルギーの変換に,動物では60~70%はイオンの輸送に使われています.私たちの研究はATPのエネルギーによるイオンの輸送に絞られました.プロトンがATP合成を駆動していることから,逆反応としてATPのエネルギーによるプロトン輸送に注目しました.ここは大腸菌というわけにはいきません.マウスやラット,線虫などの実験動物や培養細胞を酵母と対比させるという原点からアイディアが生まれました.

21世紀になって,私たちの研究は想像もしていなかった進展をしました.リソソームやエンドソームなど動物の細胞内膜系に局在するプロトンポンプは,ATP合成酵素とよく似ていました.しかも,オルガネラや分泌顆粒,細胞に特異的なイソフォームがある多様な酵素です.さらに,骨代謝に関与する破骨細胞やイオンの恒常性を担う尿細管では,形質膜に同じプロトンポンプが局在し外部を酸性にしています.これが破骨細胞への分化のメカニズム,インスリンの分泌,尿細管細胞によるタンパク質の取り込みなどの研究につながりました.

数々の研究を支えたのは教室員が正確に記録した実験ノートでした.書いた人だけではなく,第三者が読み,実験して同じ結果が得られるものです.ノートは代々受け継がれ,研究室の財産になりました.毎日が悪戦苦闘の若い研究者にも正確な記録を残されるよう勧めます.重要な疑問に答えた成果はもちろん,うまくいかなかった実験の記録も,後に意味を持つことがあるのです.

「最も重要な疑問は何か」から始まった私たちのATP合成やイオン輸送の研究は,生化学や細胞生物学への発展に少しはつながったでしょうか.基礎科学として,関連の分野にも関わることができたとすれば幸いです.

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