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公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 89(1): 126-130 (2017)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2017.890126

テクニカルノートTechnical Note

細胞環境下の生命システムを再現した1分子粒度シミュレーションBiochemical simulations at the molecular level reveal novel effects of cellular environments

国立研究開発法人理化学研究所生命システム研究センター生化学シミュレーション研究チームLaboratory for Biochemical Simulation, RIKEN Quantitative Biology Center (QBiC) ◇ 〒565–0874 大阪府吹田市古江台6–2–3 ◇ 6–2–3 Furuedai, Suita, Osaka 565–0874, Japan

発行日:2017年2月25日Published: February 25, 2017
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1. 細胞環境とは何か?

本稿では,細胞という特殊な場が生化学反応,ひいては生命システムに与える影響について議論する.システム生物学は生命現象をシステムとして理解しようという試みであり,そしてこのシステムの基礎となっているのが生化学反応である.システム生物学では,まず生命現象に関わる分子と生化学反応を特定し,続いて特定された要素で再構成したシステムが対象とする生命現象を再現することを示す,という手法が一般的である.しかし,in vitro(試験管内)にせよ,in silico(計算機上)にせよ,この再構成では多くの場合in vivo(生体内)とは異なる状況を前提としている.その差異の一つが生化学反応の起きている細胞という「場」である.細胞内は試験管内とは大きく異なる環境であり,生化学反応そして生命システムはこの特殊な環境に適応し,この環境をうまく利用しているように思われる.細胞環境は試験管内とさまざまな点において異なるが,主要なものとして(1)不均一性,(2)分子混雑,(3)少数性がある.(1)いうまでもなく細胞は真核・原核を問わずさまざまな細胞内小器官が存在し,膜によって区画化された不均一な環境である.いわゆるwell-stirred(濃度均一)な条件を前提とするin vitro系や従来のin silico系では,この不均一性の影響を正確に捉えることは難しい.たとえば,真核細胞のシグナル伝達系では,輸送シグナルによって核内と細胞質内の濃度差を利用している.また普通均一であると仮定される細胞質中でも,実際にはシグナルを受容する細胞膜付近とシグナルが伝わる先である細胞の中心部(細胞核表面)とでは分子濃度が異なる(濃度勾配).(2)細胞内はリボソームなどの巨大分子によって非常に混み合った状況にある.一般に細胞質の容積のうちの20~30%が巨大分子によって占められている.再構成の際には対象とする生命現象に直接関わらないと考えられる分子は無視するが,実際にはこうしたその他大勢の分子がひしめきあう中で反応は起こる.たとえば巨大分子の排除体積効果は分子の拡散速度を下げる.しかしながら,単に拡散速度への影響を考慮するだけでは十分でないことも明らかになってきた.(3)加えて細胞は微小である.原核生物である大腸菌の細胞は1マイクロメートル,1フェムトリットル(10−18立方メートル),HeLa細胞でも数十マイクロメートル,数ピコリットル(10−15立方メートル)程度と,試験管で扱われる容積に比して圧倒的に小さい.微小な体積は同時に,そこに含まれる分子の数が非常に少ないことを意味する.極端な例としては,容積が0.1フェムトリットル程度の神経細胞の樹状突起スパインでは1マイクロモル濃度でも分子は60個にしかならない.分子数が少ないと反応の頻度も減り,分子数のゆらぎも相対的に大きくなる.こうした少数のゆらぐ分子が細胞の運命を決定づけていると考えられる例も実際に報告されつつある.さらに,以上で取り上げた細胞環境の特徴は相互に影響を与えている.分子の少数性は各分子の局在をきわだたせ,分子の混雑状況は細胞の場所によって大きく異なる.細胞内と試験管内の反応動態が常に異なるとはいえないが,細胞という特殊な環境が生化学反応から生命システムを再構成する際の「障壁」となっていることは疑いようがない.この問題に対して,近年の1細胞・1分子レベルでの計測技術やマイクロ流路を用いた生化学反応測定など計測技術の飛躍的な進歩は,これまで観察が難しかったさまざまな反応動態を詳細に測ることを可能にした.そこで我々は実験技術の進歩に呼応して,細胞環境を自然に表現できる新しい計算技法を開発し,これを利用して細胞環境が生化学反応に与える影響を理論としてまとめてきた.次節以降では,まず我々が開発した新規計算技法を紹介し,特に不均一性と分子混雑に関する細胞環境の影響を議論する.

2. 1分子粒度シミュレーションとは何か?

システム生物学において,実験計測技術と計算技術は切っても切り離せない関係にある.計算されるモデルは測定可能な量に基づいており,たとえばシステム生物学において今日広く利用されている常微分方程式で記述された生化学反応ネットワークモデルは,分光法などによる酵素反応速度論とウェスタンブロッティングによるタンパク質量測定に対応するものだといえる.この手法で空間は,核や細胞質といった区画として表現される.そこでは暗黙のうちに,各区画内が常に十分攪拌された状態にあること,分子数が十分に多く,ノイズの影響がない「決定論的」な振る舞いをすることが仮定されている.一方,原核細胞の遺伝子発現系のように,分子数が少いためノイズの影響を無視できない「確率論的」な振る舞いが測定された系については,Gillespieアルゴリズムに代表されるモンテカルロ法が利用できる.さらに,カルシウムイオンなど蛍光プローブを用いた測定技術によって空間的な不均一性が観察される系については,偏微分方程式による反応拡散モデルがよく用いられる.これを応用して,空間を取り扱えるようにGillespieアルゴリズムを拡張した手法も開発されている.これらの手法は,空間を細かい区画に分割し,その間の拡散を反応の一種とみなすことで不均一性を表現している.しかしながら,非常に細かいとはいえ区画内では均一性を前提とする.この手法はイオンのような多数かつ拡散の速い小分子には適するが,少数かつ反応に比して拡散の遅い巨大分子の系では前提条件が満たされない場合がある.また,分子の数または濃度のみが問題とされ,分子の大きさは直接的には関わらない.さらに近年,蛍光顕微鏡技術の進展によって,1分子の反応拡散動態が直接計測され始め,前述の計算技法の空間的解像度を上回るまでになった.そこで我々は「ある種類の分子が何個存在するのか」を扱うのではなく,「ある分子が各々どの種類で,どの場所に存在するのか」を扱い,分子一つ一つの振る舞いを再現できる1分子粒度シミュレーション技法「拡張グリーン関数動力学法(以下,eGFRD法)」を開発した(図1).この手法では,前述の手法とはまったく異なり,分子一つ一つが特定の場所に存在する物理的な大きさを持った1個の球として表現される.各分子は空間内を連続的に拡散しており,互いに衝突することを経て反応する.従来,このような表現に基づく反応拡散モデルによって細胞レベルの現象を再現するには,現実的には不可能なほどの多大な時間を要した.この問題に対して,eGFRD法はグリーン関数と呼ばれる反応拡散方程式の厳密な解析解と離散イベントシミュレーションを組み合わせることで劇的な高速化を初めて実現した1).この手法の特筆すべき点として,分子一つ分の大きさに比する高い時空間解像度を持つこと,分子が個別の粒子として表現されることで少数分子の局在が正確に再現できること,分子の排除体積を自然に表現していること,1分子計測の結果と直接比較できることなどがあげられる.この新規技法の開発により,1分子粒度の計測と計算という両輪によって細胞環境下の反応動態に迫ることが可能となった.

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図1 eGFRD法による1分子粒度シミュレーション

eGFRD法では,分子一つ一つを剛体球として三次元空間中に配置し,その拡散と反応をグリーン関数と呼ばれる厳密解に基づいて計算する.各時刻において,分子の周囲を三つ以上の分子が含まれないような仮想的な領域「保護領域」に分割し,その各々について厳密解を用いて計算することで,正確さを失わずに一度に大きな距離と時間幅を進められる.

3. 分子混雑が酵素の処理能力を高める

多重リン酸化反応はシグナル伝達系において頻繁に観察される一般的な反応である.多重リン酸化反応によって二値的な応答が説明できることからシステム生物学における基本的な「素子」の一つとなってきた.我々はまず,この単純な二重リン酸・脱リン酸化反応系をeGFRD法を用いて計算し,さまざまな細胞内環境を再現した条件下で応答を調べた1).その結果,拡散速度が遅い方が応答が速くなる場合があることが明らかになった.反応速度が拡散速度によって制限されている拡散律速と呼ばれる状況では,当然拡散速度が遅いほど反応速度も遅くなる.しかし一方で二重リン酸化反応の場合,一度目の反応を終えて解離した直後,酵素は基質となった分子のすぐ近くにおり,この分子と再び結合すれば連続的な反応が行える(図2A).そして,この「再結合」の確率は拡散速度が遅いほど高くなる.したがって拡散速度が遅くなると,一度目の反応速度は遅くなる一方で連続的な反応が促進され,総体としては応答が速くなるのである.連続的な反応の促進は,応答速度だけでなく応答の様式も変化させる.先述したとおり,シグナル伝達系において二重リン酸化反応がよくみられる理由として,その応答特性の多様さがあげられる.通常,単一のリン酸化反応では,入力となるシグナル分子の濃度が上がると,出力となるリン酸化された分子の濃度もなだらかに上がる(連続的・アナログな応答).一方で二重リン酸化反応は,シグナル分子がある一定濃度を超えるまではほとんど応答せず,基準となる濃度を超えると急激に下流にシグナルを伝える,いわば「スイッチ」のような応答特性(シグモイダル・二値的・デジタルな応答)を示すことができる.さらに条件によっては,シグナル濃度を低濃度から徐々に上げた場合はなかなか応答しないが,一度応答する濃度に達してから逆に濃度を下げた場合,今度は先ほどと同じ濃度でも応答が消えなくなる,一種のメモリを備えたスイッチのような振る舞い(双安定性)も現れる.再結合によって酵素反応の連続性が高まると,シグナル伝達系の機能そのものに関わるこうした応答特性も大きく変化する.たとえば,分子混雑下にある細胞内では,非混雑下と比べて分子の拡散速度は遅くなり,酵素反応の連続性が高い.したがって,試験管内でスイッチのような応答特性を示していた二重リン酸化反応を細胞内で観察したとき,スイッチのような振る舞いが消えて,なだらかな応答しか示さないということが十分に起こりうる.では,これらは単に拡散速度だけの問題で,粘性の高い溶媒中で拡散速度が遅い場合と巨大分子の排除体積効果によって拡散速度が遅い場合で違いはないのだろうか? 分子混雑下の生化学反応のシミュレーションを高い精度で行うことは多大な計算量を必要とするために非常に困難である.そのため分子混雑を扱う際には,空間を分子の大きさ程度の格子状に分割し,その上での反応拡散を計算する格子法と呼ばれる技法が一般的である.しかし分子の再結合は分子の大きさ以下のスケールで起こるためこの方法では精度に問題がある.そこで我々は反応を(1)拡散による衝突と(2)再結合の二つの段階に分けて考え2),その各々について計算することで生化学反応全体への分子混雑の影響を調べた.その結果,巨大分子の排除体積効果でみられる再結合確率の増加は,単に粘性が高い場合に予測されるよりも顕著であった(図2B).前述のとおり,長い時間スケールで見れば混雑下の分子の拡散は非混雑下よりも遅い.しかし短い時間スケールでは,ゆらぎの大きさを表す平均二乗変位が時間に対して線形に増大する通常の拡散とは異なり,変位が非線形に増大するいわゆる「異常拡散現象」が観察される.この異常拡散は細胞質中では解離後マイクロ秒程度という短い間だけ観察されるものだが,分子の再結合も同じくマイクロ秒程度で起こるためこの二つを切り離すことはできない.以上のように,1分子粒度シミュレーションによって細胞環境の特徴である巨大分子の排除体積効果が分子を閉じ込めて異常拡散を引き起こし,生化学反応に顕著な違いをもたらすことが示された(図2C).さらにこの結果を理論化して組み合わせることで,二重リン酸化反応のような生化学反応ネットワーク全体の応答特性に対する分子混雑の効果を定量的に検証することができる.ここで示唆されたのと同様の結果は,実際の実験によっても確認されている3, 4).この実験では,MAPキナーゼの二重リン酸化反応を希釈された溶媒中と抽出された細胞質中で比較した場合,後者でのみ連続的な反応が観察された.高い粘性を持つ溶媒中でも連続的な反応が観察されたが,細胞質中の方が顕著な影響がみられる.このことからも,巨大分子混雑による細胞環境特有の影響がうかがえる.

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図2 酵素の再結合による連続的な反応

二重リン酸化反応では一度目の反応直後,基質のごく近傍に解離した酵素の再結合によって連続的な反応が起こる(A).1分子粒度シミュレーションを用いれば,さまざまな速度の反応において分子混雑が再結合を促進するようすを定量的に予測できる(B).巨大分子の排除体積効果(C)や膜上のクラスター形成(D)など細胞環境の影響によって酵素の再結合が促進され,反応系の応答特性も変化する.

4. 膜上のクラスター形成が酵素の処理能力を高める

同じく分子の不均一性も酵素の処理能力に影響することが計算によって明らかになっている.受容体分子をはじめとしてさまざまな分子が細胞膜上に存在し,シグナル伝達の要となっている.これらの分子は膜上でクラスターと呼ばれる局在性(凝集)を示すことが多い.このような膜上での分子の不均一性が生化学反応にあたえる影響について調べるため,自由拡散する酵素と膜上にクラスターを形成する基質の反応について前節と同様に1分子粒度シミュレーションを行った5).膜上で基質分子が1か所に集まると,酵素が基質と衝突する頻度が減るため,単一のリン酸化反応の場合は酵素の処理能力は単に低下する.他方,二重リン酸化反応では前節と同様に再結合の確率が高まるため,酵素の処理能力が逆に上がることが示された.反応直後解離した酵素周辺の基質濃度は,クラスター形成によって局所的に高まる.そのため,連続的な反応が促進され,再結合によって多重リン酸化反応では有利に働くことがわかった(図2D).また,均一な環境で双安定性などによりスイッチのような応答特性を示す反応は,クラスター形成によってなだらかな応答へと変化する.そのため,シグナル濃度などの状況に応じて動的にクラスターを形成したり,ばらばらにしたりすることで,膜上の分子間でシグナルを伝達するのみならず,シグナル伝達経路の応答特性そのものを制御していると考えられる.細胞膜上にはさまざまな構造体が存在し,1分子計測技術によって拡散や局在に関する複雑な動態が観察され始めている.クラスター形成も脂質ラフトと呼ばれる膜の不均一構造に起因すると考えられている.他にも細胞骨格による膜上の領域分割など,細胞膜の不均一な構造がシグナル伝達経路に及ぼすさまざまな影響が示されている.細胞骨格などを含めたこうした膜構造を試験管内で再構成することは困難であるため,さまざまな環境を自在に作り上げて試すことのできる1分子粒度シミュレーションは仮説を構築,検証するのに必要不可欠な技術である.

5. 核内の不均一な分子混雑が染色体を制御する

細胞核内,特に染色体領域の分子混雑の状況はさらに複雑である.凝集したM期染色体はヌクレオソーム分子によって高い分子混雑下にある.転写因子など染色体の制御に関わる分子は,この入り組んだ状況で特定の対象を見つけ出し,適切に働くことが求められる.我々は国立遺伝学研究所の前島一博教授との共同研究で,染色体の動的な構造とその中で働く分子について1分子粒度シミュレーションを用いた解析を行ってきた.まず,染色体領域は間期からM期にかけてその凝集率が時間的に変化する.凝集率の高いM期における緑色蛍光タンパク質(GFP)五量体分子の拡散速度を凝集率の低い間期と比べた場合,2分の1ほどに低下したもののまだ核内を自由に拡散するようすが確認できた.しかし,混雑分子であるヌクレオソームは大局的にはほとんど動かないことが観察されており,シミュレーションの定量的な予測によればM期にはGFP五量体のような巨大分子はほとんど拡散することができないはずであった.このことから,実験で直接観察することは困難であるが,シミュレーション結果によればヌクレオソームがわずか数十ナノメートル程度の範囲で制限的にゆらいでいることが示唆された.この予測は実験的な計測とも矛盾しないことが裏づけられている6).さらに前島教授らの計測によって,染色体領域内も均一ではなく,不規則に折り立たまれたヌクレオソーム繊維が凝集した領域を作り出していることが明らかになっている(図3A).混雑分子がゆらいでいれば混雑下でも巨大分子は自由に拡散できることは前述のとおり示されていたが,さらなるシミュレーションによって不均一な混雑状況では巨大分子が領域内に侵入することが非常に難しいことも明らかになった7).シミュレーション実験の利点はさまざまな条件を自在に作り上げ,試すことができる点にある.たとえば,さまざまな大きさの分子が,凝集した領域内に侵入できるかどうかを計算機上で調べ,実際の染色体制御因子の大きさと比較することができる(図3B, C).その結果,サブユニットなどの微小な制御因子は領域内に自由に出入りできるのに対し,転写制御複合体のような巨大分子は表面には結合できるが内部に入るのが難しいことがわかった.このように,これまであまり論じられてこなかった分子の物理的な大きさが,細胞環境の影響によって染色体の制御に直接関わることが明らかになりつつある.最後に,染色体領域における分子混雑の興味深い点として,ヌクレオソーム繊維はその排除体積効果によって細胞環境として作用するとともに,分子によって制御される基質としての側面を持つことがあげられる.ヌクレオソーム繊維は分子との結合や修飾によってその凝集が制御されることが知られている.こうした細胞環境を介した転写制御機構は今後の重要な課題である.

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図3 1分子粒度シミュレーションで分子混雑下の分子の大きさの影響を計算する

分子混雑下にあるヌクレオソーム凝集領域(A)では,ヌクレオソームが局所的に動いているために中の分子は自由に拡散できる(B)が,小さい分子が領域内に自由に出入りできるのに対し,大きな分子は抜け出すことはできるものの侵入することは難しい(C).(文献7から一部変更)

6. 細胞環境が細胞の振る舞いを左右する

以上,1分子粒度シミュレーションによって明らかになった細胞環境の影響について,不均一性と分子混雑を中心にいくつかの例をあげて議論した.近年,1分子計測技術をはじめとした実験技術の進歩によって細胞環境の特殊性が明らかになりつつある.その一方で,細胞環境を再現または制御する技術はいまだ乏しく,酵素や基質を単離して行う生化学法によってその影響を測定することは非常に困難である.1分子粒度シミュレーションは,分子一つ一つを陽に表現することで細胞環境を自然に再現でき,条件を自由に変更してその影響について吟味,検証することができる.我々は計測と計算が協調して初めて細胞環境と生化学反応,ひいては生命システムの関係が明らかできるものと考えている.計測技術の革新的な進歩に遅れをとらぬよう,計算の高速化や精度の向上など我々もシミュレーション技術の開発に取り組んできた.その結果をさまざまな分野の研究者に広く自由に利用していただくため,細胞シミュレーションソフトウェア基盤E-Cellシステムバージョン4を開発し,無料で公開している8).これにより,これまで専門的な知識と高度なプログラミングを要していたシミュレーションを比較的簡単に取り入れ,計測と計算の研究者の間で知見を共有する際の障壁が少しでも取り除けるものと期待している.最後に,いうまでもないが細胞内の生化学反応ネットワークにとって細胞環境は特殊なものではなく,むしろ自然かつ切り離すことのできない当然のものである.生命システムは当然細胞環境に適応すべく向かっており,その設計を理解するためには細胞環境の理解が必要不可欠であろう.今後も新しい計測と計算技術によって,生命特有の新しい生化学像を明らかにしていきたい.

最後に,本稿で紹介した研究は基礎生物学研究所・青木一洋教授,国立遺伝学研究所・前島一博教授,オランダ原子分子物理研究所・Pieter Rein ten Wolde教授と共同で行われたものです.この場を借りて深謝いたします.

著者紹介Author Profile

海津 一成(かいづ かずなり)

国立研究開発法人理化学研究所生命システム研究センター生化学シミュレーション研究チーム上級研究員.博士(理学).

略歴

2011年慶應義塾大学大学院理工学研究科後期博士課程修了.同年現・国立研究開発法人理化学研究所生命システム研究センター生化学シミュレーション研究チームにてポスドク研究員.13年より同・基礎科学特別研究員.16年より現職.

研究テーマと抱負

細胞ひとつをまるごと計算機上に創りあげるべく,試作と技術開発をつづけています.

趣味

古書店巡り.

高橋 恒一(たかはし こういち)

国立研究開発法人理化学研究所生命システム研究センター生化学シミュレーション研究チームチームリーダー.博士(学術).

略歴

1998年慶應義塾大学環境情報学部卒業.2003年同大学院政策・メディア研究科修了.ヒューマン・フロンティア・サイエンス・プログラム(HFSP)フェローとして米国留学を経て,09年から理化学研究所で研究室を主宰.慶應義塾大学SFC特任准教授,全脳アーキテクチャ・イニシアティブ副代表,RBI株式会社最高情報責任者などを兼務.

研究テーマと抱負

細胞シミュレーターE-Cellを開発のほか,脳型人工知能の開発や人工知能駆動型科学の確立を目指す.

ウェブサイト

http://lbcs.riken.jp/member/koichi-takahashi

趣味

スキー,音楽,写真,南の島,温泉,バー,寝ること.

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