多価不飽和脂肪酸の大脳新皮質形成における役割
東北大学大学院医学系研究科発生発達神経科学分野 ◇ 〒980–8575 宮城県仙台市青葉区星陵町2–1
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「You are what you eat(あなたはあなたが食べるものによってできている)」という英語のことわざは,健康における食の重要性を説く際に用いられる.また,食生活の差異によってヒトの個性や文化的な背景の違いがもたらされるという意味においても使用されることがある.このように,健康における食の重要性は古くから認知されてきたが,現代における食生活の変化は著しく,どのようにして食事がヒトの健康に影響を及ぼすかを明らかにすることは社会的急務となっている.特に脂質は多くの国々においてその摂取量が増加しており,この50年間で摂取する脂質の種類も劇的に変化している1).本稿では,近年大きな科学的・社会的関心を集めている脂質の脳形成・脳機能における役割に焦点を当て,最近の我々の知見2, 3)
を中心に概説する.
脂肪は脂肪酸とグリセリンから構成され,特に二重結合を二つ以上有する脂肪酸である多価不飽和脂肪酸(PUFA)は,細胞膜の主要な構成要素かつ種々のシグナル伝達物質の前駆体として重要な役割を担う.脂肪酸は長鎖炭化水素の一価のカルボン酸であり,メチル基とカルボキシル基を両端に有する直鎖構造をとっている.メチル基の炭素はオメガ炭素と呼ばれており,PUFAの生理活性はこのオメガ炭素からみて最初の二重結合がある位置によって決定される.つまりPUFAは,オメガ炭素から三つ目の炭素に最初の二重結合がある場合をomega 3(またはn-3),六つ目の場合をomega 6(またはn-6),九つ目の場合をomega 9(またはn-9)として分類される.
哺乳類は一つ以下の二重結合を有する脂肪酸やn-9 PUFAを合成する酵素群は有しているが,n-6およびn-3 PUFAを合成する酵素をコードする遺伝子を欠損しているため,これら2群のPUFAは食物を介して摂取しなければならない.そのため,n-6およびn-3 PUFAは必須脂肪酸と呼ばれている.脳における主要なn-6およびn-3 PUFAはそれぞれアラキドン酸(ARA)とドコサヘキサエン酸(DHA)であるが,我々はこれまでにARAおよびDHAが齧歯類の胎仔脳における神経幹細胞の増殖と分化の調節因子であることを報告し4),これらのPUFAが脳形成において重要な役割を担っている可能性を見いだした.
n-6およびn-3 PUFAは代謝酵素や輸送タンパク質の多くを共有しているため,代謝や輸送などにおいて互いに競合し合う.これにより,n-6およびn-3 PUFAは摂取量だけでなく摂取比も重要と考えられている5).現代の多くの国々において,n-6 PUFAを豊富に含む紅花油や大豆油などの摂取が増加する一方,n-3 PUFAを豊富に含む魚の摂取は減少しているため,食の高n-6/低n-3化が急速に進行している1).実験動物やヒトの介入実験および疫学研究などにおいて,n-6 PUFA摂取の増加およびn-3 PUFA摂取の減少によって脳形成不全6)
や認知機能の低下,不安障害の発症リスクの増加7, 8)などが起こることが示されているが,PUFA摂取の高n-6/低n-3状態に伴い,どのような機序によってこれらの異常が引き起こされるかについてはいまだ不明な点が多い.
脳構築の主要な段階は胎生期に行われる.我々は,世界中で拡大している食の高n-6/低n-3化という食事様式の変化が次世代の脳形成に与える影響を解析するため,妊娠マウスに高n-6/低n-3飼料を与え,胎生14日目における仔マウスの大脳新皮質原基を解析した2).まずガスクロマトグラフィー法により胎仔脳における脂肪酸組成を評価したところ,高n-6/低n-3飼料を摂取した妊娠マウスの胎仔の脳においてARAが増加し,一方でDHAは減少していた.これにより,妊娠マウスが摂取したPUFAは胎盤を介して仔マウスの脳に取り込まれていることが確認された.続いて胎仔脳における組織解析を行ったところ,高n-6/低n-3飼料を摂取した妊娠マウスの仔では大脳新皮質の厚さが減少していた(図1A).このとき,神経幹細胞の数に有意差は認められず,ニューロンの数が選択的に減少していた.また,生後10日目の新生仔マウスの大脳新皮質においてもARAの増加,DHAの減少,およびニューロン数の減少が確認された.以上の解析から,妊娠マウスにおける高n-6/低n-3飼料摂取は仔の脳においてニューロン産生を阻害することが明らかになった.
(A)高n-6/低n-3飼料摂取群において大脳皮質原基の全細胞層(DAPI)およびニューロン層(β3-tubulin)の厚さが減少している.一方,神経幹細胞層(Pax6)の厚さには差が認められない.スケールバーは100 µmを示す.Sakayori, N. et al., Stem Cells, 20162)より引用改変.(B)高n-6/低n-3飼料摂取群の神経幹細胞はニューロン(β3-tubulin陽性細胞)への分化率の低下とアストロサイト(GFAP陽性細胞)への分化率の増加が起こる.Sakayori, N. et al., Stem Cells, 20162)より引用改変.(C)高n-6/低n-3飼料摂取に伴う大脳新皮質形成障害のメカニズムに関する仮説.神経幹細胞は神経発生の初期にはニューロンへ分化し,発生が進むとアストロサイトへ分化するようになる.通常,およそ胎生14日目からこの分化運命転換が始まるが,高n-6/低n-3群においては分化運命転換が早期に始まり,結果としてニューロン数の減少とアストロサイト数の増加に至ったと考えられる.
続いて,上述した組織学的異常を引き起こした神経生物学的機序を明らかにするため,ニューロスフェア法9)
という神経幹細胞の選択的培養法を用い,マウス胎仔脳から神経幹細胞を培養して分化能を解析した.高n-6/低n-3飼料を摂取した妊娠マウスの仔の神経幹細胞はニューロンへの分化能が低下しており,一方でアストロサイトへの分化能は亢進していた(図1B).また,胎仔脳組織においてもアストロサイト数の増加が確認された.神経幹細胞は発生の進行に伴いニューロン産生からアストロサイト産生へ分化運命を変化させる10)ため,高n-6/低n-3飼料摂取によって神経幹細胞のニューロン・アストロサイト分化運命転換が早期に起こってしまい,大脳新皮質のニューロン数の減少につながったと示唆された(図1C).
さらに,どのようにして飼料中のPUFAが神経幹細胞の分化運命転換に作用したかを明らかにするため,我々はPUFAの代謝物に着目した.これまでいくつかのPUFA代謝物の神経幹細胞における役割は解析されてきたが11),胎仔脳においてどのような種類の代謝物がどの程度存在するかは明らかでなかった.そこで,質量分析技術を用いてPUFAの代謝物を網羅的に定量するMediator Lipidomics解析を導入し,PUFA代謝物の全体像を捉えることから着手した.さまざまなPUFA代謝物が胎仔脳に存在することがわかったが,特にエポキシ代謝物と呼ばれるシトクロムP450によるPUFA酸化物が胎仔脳に大量に存在することがわかった.さらにエポキシ代謝物の量は妊娠マウスにおける高n-6/低n-3飼料摂取によって大きく変動した.高n-6/低n-3飼料を摂取した妊娠マウスの仔の脳において,ARAのエポキシ代謝物であるエポキシエイコサトリエン酸(EET)は増加しており,DHAのエポキシ代謝物であるエポキシドコサペンタエン酸(EpDPE)は減少していた.野生型マウス由来の培養した神経幹細胞にこれらのエポキシ代謝物を添加すると,EETは神経幹細胞の分化運命をアストロサイトへ転換させ,EpDPEは神経幹細胞の分化運命をニューロンに保つことがわかった(図2).これにより,神経幹細胞の分化運命はEETとEpDPEによって拮抗的に調節されており,高n-6/低n-3飼料摂取によって増加したEET,および減少したEpDPEによってアストロサイト産生へ分化運命転換が促進されたと考えられる.
n-6 PUFA代謝物であるEETは神経幹細胞のアストロサイト産生を亢進し,ニューロン産生を抑制する.一方,n-3 PUFA代謝物であるEpDPEは神経幹細胞のニューロン産生を亢進する.スケールバーは40 µmを示す.Sakayori, N. et al., Stem Cells, 20162)より引用改変.
以上から,妊娠マウスにおける高n-6/低n-3飼料摂取によって,胎仔脳中のARAの増加およびDHAの減少が起こり,これらのPUFAに由来するエポキシ代謝物の量のバランスが乱れ,神経幹細胞の分化能がニューロン産生からアストロサイト産生へ偏り,大脳新皮質の形成が妨げられた可能性が示された.
胎生期におけるPUFAの高n-6/低n-3状態と,それに伴う仔マウスの脳形成異常は,仔の将来の脳機能に影響を及ぼすのだろうか.先述のとおり,食の高n-6/低n-3化と不安障害の発症リスクの増加には関連が報告されているが7),近年,PUFA摂取の高n-6/低n-3状態と不安行動の増加とをつなぐ脳領域として大脳新皮質が着目されている12).そこで,大脳新皮質のニューロン産生が完了している生後10日目以降,高n-6/低n-3飼料を与えていたマウスにも標準飼料を投与し,仔が成体になった後に不安行動を解析した2, 3)
.胎生期に高n-6/低n-3飼料を投与されていた仔マウスは,脳の脂肪酸組成中のARAおよびDHAを対照群と有意差が認められなくなるまでそれぞれ減少および増加したにも関わらず,オープンフィールドテスト*ならびに高架式十字迷路テスト**により高い不安を示した(図3).生後の早い時期から成体に至るまでの長期間にわたって標準飼料を摂取したにも関わらず,仔マウスがこのような情動異常を示したことは,母親の高n-6/低n-3飼料摂取によって仔の情動に関わる脳領域の形成が不可逆的に阻害された可能性を示している.
本研究では,世界中で進行する食の高n-6/低n-3化という食事様式の変化に着目し,仔マウスの脳形成および情動形成に対する影響を解析した.近年,さまざまな疾患の発症リスクが発生期における環境要因(特に栄養因子)によって決定されるというDevelopmental Origins of Health and Disease(DOHaD)仮説13)が着目されている.我々の研究は,妊娠期の母親におけるバランスのとれたPUFA摂取が子の健康に重要である可能性を示すものであり,このことは,食の高n-6/低n-3化に伴う不安障害がDOHaD仮説に適合することを示唆し,不安障害の病態生理の新たな側面を脳形成に着目することにより明らかにした.
わが国においてはn-3 PUFAを豊富に含む魚の摂取が多く,またn-6 PUFAの含有量を減らした紅花油(ハイオレイック油)が広く流通していることもあり,2013年の大塚らの報告から,少なくとも40代以上の日本人においてPUFAの高n-6/低n-3状態はみられていない14).しかし,若年層における食生活の変化は著しく,近年では欧米型の食事の増加と魚離れが進んでおり15)
,今後は日本においても食の高n-6/低n-3化が進行する可能性が懸念されている.本研究が端緒となり,「You are what you eat」ならぬ「You are what your mother ate」という理解が広まり,特に妊娠期における健康的な食生活の重要性があらためて認知されることを期待する.
本研究は科学研究費補助金(#12J08042および#21300115),公益財団法人三島海雲記念財団,および公益財団法人旭硝子財団によるご支援を賜り遂行されました.この場を借りて厚く御礼申し上げます.
1) Simopoulos, A.P., Faergeman, O., & Bourne, P.G. (2011) J. Nutrigenet. Nutrigenomics, 4, 65–68.
2) Sakayori, N., Kikkawa, T., Tokuda, H., Kiryu, E., Yoshizaki, K., Kawashima, H., Yamada, T., Arai, H., Kang, J.X., Katagiri, H., Shibata, H., Innis, S.M., Arita, M., & Osumi, N. (2016) Stem Cells, 34, 470–482.
3) Sakayori, N., Tokuda, H., Yoshizaki, K., Kawashima, H., Innis, S.M., Shibata, H., & Osumi, N. (2016) Tohoku J. Exp. Med., 240, 31–37.
4) Sakayori, N., Maekawa, M., Numayama-Tsuruta, K., Katura, T., Moriya, T., & Osumi, N. (2011) Genes Cells, 16, 778–790.
5) Simopoulos, A.P. (2000) Poult. Sci., 79, 961–970.
6) Coti Bertrand, P., O’Kusky, J.R., & Innis, S.M. (2006) J. Nutr., 136, 1570–1575.
7) Parker, G., Gibson, N.A., Brotchie, H., Heruc, G., Rees, A.M., & Hadzi-Pavlovic, D. (2006) Am. J. Psychiatry, 163, 969–978.
8) Ryan, A.S., Astwood, J.D., Gautier, S., Kuratko, C.N., Nelson, E.B., & Salem, N. Jr. (2010) Prostaglandins Leukot. Essent. Fatty Acids, 82, 305–314.
9) Reynolds, B.A., Tetzlaff, W., & Weiss, S. (1992) J. Neurosci., 12, 4565–4574.
10) Qian, X., Shen, Q., Goderie, S.K., He, W., Capela, A., Davis, A.A., & Temple, S. (2000) Neuron, 28, 69–80.
11) Sakayori, N., Kimura, R., & Osumi, N. (2013) Stem Cells Int., 2013, 973508.
12) Lafourcade, M., Larrieu, T., Mato, S., Duffaud, A., Sepers, M., Matias, I., De Smedt-Peyrusse, V., Labrousse, V.F., Bretillon, L., Matute, C., Rodriguez-Puertas, R., Laye, S., & Manzoni, O.J. (2011) Nat. Neurosci., 14, 345–350.
13) Hales, C.N. & Barker, D.J. (1992) Diabetologia, 35, 595–601.
14) Otsuka, R., Kato, Y., Imai, T., Ando, F., & Shimokata, H. (2013) Lipids, 48, 719–727.
15) 厚生労働省(2007)国民健康・栄養調査報告(平成19年).
*オープンフィールドテスト:新奇環境(オープンフィールド)の中にマウスを入れ,一定時間自由に探索させる試験.マウスは壁際を好むため,オープンフィールドの中心領域における滞在時間や侵入回数を測定することで不安様行動を評価できる.不安の高いマウスでは中心領域における滞在時間や侵入回数が減少することが知られている.
*高架式十字迷路テスト:壁のない通路(オープンアーム)と壁のある通路(クローズドアーム)を十字形に組み合わせ,高所に配置し,マウスに一定時間自由探索させる試験.マウスは壁際を好み,高所を嫌うため,オープンアームおよびクローズドアームにおける滞在時間を測定することで不安様行動を評価できる.不安の高いマウスではオープンアームにおける滞在時間の減少,クローズドアームにおける滞在時間の増加が起こることが知られている.
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