生化学の重要性と楽しみ
神戸大学大学院医学研究科特命教授
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私が初めて生化学に出会ったのは医学部の3年生の時の1970年頃でした.以来,生化学が楽しくて今も生化学を中心に研究を続けています.
当時の医学部では3年生から生化学の講義が始まりました.この講義を担当されていたのが故西塚泰美教授でした.私は,先生の学問に対する情熱とわかりやすい講義に魅了され,先生の研究室で実験をさせていただくことにしました.この先生との出会いがきっかけとなって,生化学者としての人生を歩むことになりました.
西塚先生は学問に対するご自身の考えを持っておられ,その考えを私のような学部学生にも熱心に語ってくださいました.学問とは何か,プロの学者とはどうあるべきか.学問では研究の独創性が最も重要で,独創的であれば課題は小さくてもよい.大きな課題でも他人の仕事のまねであったり,発展させたりしたものは,欧米諸国では評価されない.流行を追うのではなく流行を作ることが重要である.公表した結果は必ず他人が再現できること.物質に基づいた概念を創出することが重要なのでまずは新しい分子を見出すこと,などをよく語っておられました.西塚研での研究はこのような考えのもとに進められていました.学部学生であった私は,このような西塚先生の研究に対する信念に心酔し,卒業まで実験を続けました.大隅良典先生も,まさにこのような考えで研究をされて,ノーベル生理学・医学賞を受賞されたと思います.
当時の西塚研では細胞内シグナル伝達の研究が行われていました.この領域では,私が研究を開始した1970年前後にcAMPやcGMPに依存したプロテインキナーゼが見出されていました.西塚研では,これらの酵素の研究をしており,私は最初の半年は大学院生の実験の手伝いをしながら酵素学の基本を教わり,その後私自身の研究課題を与えていただきました.“小さくても世界で初めての実験”をしているとの思いで心が躍り,毎日実験をすることが楽しくて仕方ありませんでした.医学部を卒業するために必要最低限の講義と実習に出席する以外は,朝から夜中まで実験ばかりしていました.その結果を生化学会で2回発表し,JBCとBBRCにそれぞれ1報の論文を発表しました.その学会や論文で“小さくても世界で初めての報告”ができたことに,それは感激したものです.
そして私は,一度味わったあの喜びを忘れることができず,卒業後も西塚研の大学院生になって研究を続けることにしました.幸運にも卒業後2年目の1977年頃に新しいプロテインキナーゼC(PKC)を見出し,数年間でその活性化機構と作用機構を酵素学に基づいた考えと生化学的手法によって解明しました.“新しい物質に基づいた新しい概念”を提唱することができた時の喜びと興奮を,今でも生き生きと覚えています.
このPKCの発見によって生化学の楽しさがさらに増し,もうしばらくは研究を続けることにしました.その後,36歳で自分の研究室を主宰することになり,私自身の研究室でも,西塚教授の教訓に従って研究を進めました.研究を開始して数年後の1987年頃に,多くの新しい低分子量Gタンパク質を,また,その10年後には,新しい細胞間接着分子を見出すことができました.その時も,生化学的な考えと手法によってこれらの分子を発見してその活性制御機構と作用機構を解明しました.1990年代になりますと,医学・生物学研究には生化学的手法のみでは不十分で,分子生物学や細胞生物学の手法や,遺伝子改変した個体を用いた解析も必要になっていました.これらの新しい手法を研究室に取り入れましたが,その後も研究は生化学的手法を中心に進めました.その結果,私の研究室では新しい分子を30個見出すことができ,各分子の発見と研究によって30数名の教授やPIが生まれました.このような教室員の栄転がもう一つの私の喜びであり,それは私が研究を続ける心の糧にもなりました.
人生の節目で誰に出会うかによって,その人の人生が決まることがあります.私の人生においては西塚先生との出会いがまさにそれでした.西塚先生との出会いのお陰で生化学の楽しさを味わうことができ,さらには,新しい分子や教室員,国内外の多くの研究者と出会うことができました.先生との出会いがなければ,私は生化学への道には進んでいなかったかもしれません.
現在の医学・生物学研究には生化学的な考えと手法はまだまだ必要であり,また有効であると思っています.最近では,これらを習得した研究者の数が少なくなっており,生化学者はこれまで以上に貴重な存在になっています.生化学会の若い研究者の皆さんには,生化学の重要性を認識し,生化学の楽しみを経験していただきたいと思います.そして生化学会は,この生化学の重要性と楽しさを若い研究者が味わえるような場であってほしいと願っております.
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