生化学 SEIKAGAKU
Journal of Japanese Biochemical Society

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Journal of Japanese Biochemical Society 90(4): 427 (2018)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2018.900427

アトモスフィアAtmosphere

何をやっても時間は過ぎる

京都大学医学研究科特任教授・同メディカルイノベーションセンター長

発行日:2018年8月25日Published: August 25, 2018
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「何をやっても時間は過ぎる」とは,いまを去る33年前,当時京都大学医学部薬理学教室助手であった筆者に沼正作先生(故人,当時京都大学医学部医化学第2講座教授)が電話で言われた言葉です.一つの発見,研究がどういった雰囲気(アトモスフィア)のなかでなされ,発展していったかは,大事なことだが,往々にして時間の中に忘却される.実は,上記の沼先生の言葉は,私のRho研究の出発点となったものです.これは,「成宮さん,いま,どんな研究をやっていますか?」というご質問に「現在,トロンボキサン受容体の精製をやっています」と筆者が答えた返事としていわれたもので,先生は「トロンボキサン受容体といってもG蛋白質共役型受容体(GPCR)の一つで,私の教室でクローニングしたムスカリン受容体と一緒ではないですか.成宮さん,何をやっても時間は過ぎますよ.だったら,もっと大事なことをしなさい」と続けられた.筆者は当時36歳であった.2年前に恩師の早石修先生が停年退官され,筆者は医化学教室から薬理学教室に移っていた.早石先生が退官されたあと薬理学教室に移るこの間は,教授不在の自由な時(後年私は“私の隙間時代”と呼んでいる)であったが,一方で独立した研究者としてのidentityを確立するため懸命にもがいている時でもあった.沼先生からお電話をいただいたときは,丁度早石研の後期から始めたPGJ2の研究に加えPG受容体の研究を模索しながら立ち上げて,興味を持ってくれる何人かとグループを形成して,研究の方向性ができて来た頃であった.私のPG受容体研究は,受容体を通してPGの様々な生理と病態での作用を解明するのが目的で,GPCR一般の性質解明を目指したものでないので,沼先生の言葉で行っている研究を左右されることは無かったが,一方で,PGは重要であっても生理・病態生理の各論であることは避けられず,自分の一生をかけてやるからには,これに加えて,どのような細胞ででも働いている一般原理を発見したいというかねてからの思いが強くなった.問題は,何を,どうやるかであった.研究としてのサイエンスには,時代性があり,進歩とともに,次に解決すべきテーマが浮かび上がってくる.我々が興味をもっていたシグナル伝達研究では,その頃1980年代の中頃は,沼先生たちがやっておられた細胞膜を介するシグナル伝達は分子も含めて大要が明らかになっていたが,シグナルが細胞内に伝わったあとどのようにして,増殖,分化,分泌,接着・移動などの細胞反応が起こるかは,全く不明であった.そこで,細胞反応のメカニズムを研究しようと決心したが,問題はどうしたら,これに近づくことができるかであった.そのとき,思いついたのがADPリボシル化反応であった.筆者の生化学の出発点は,医学部学生時代の早石研入門であり,そこで上田國廣先生から教わったポリADPリボースであった.傍らでは留学前の本庶佑先生が,ジフテリア毒素のADPリボシル化のアクセプター・アミノ酸の同定をしておられた.本庶・西塚・早石によって発見されたジフテリア毒素は,ADPリボシル化酵素活性をもつ細菌毒素の嚆矢となり,その後,Mike Gill,宇井理生らによりコレラ毒素,百日咳毒素が発見され,これらは3量体G蛋白質の解析ツールとして広く用いられていた.そこで,細胞反応に干渉するような細菌毒素を見つけ,その作用機構を解明することで反応メカニズムの解明を目指すこととし,当時,奈良医科大学生化学教室に居た大橋康広博士と一緒に研究,発見したのが現在ボツリヌスC3酵素として知られているADPリボシル化酵素である.その後,この酵素の基質がRhoであることを発見して,これがアクチン細胞骨格を制御して細胞形態,接着・移動,組織形成に働くことを明らかにでき,いままで研究を継続できているのは,出発点では思いもしなかった幸せである.

以上,自分のRho研究の出発の顛末を述べたが,大事なのは,「人生をかけるからには大事なことしよう」という気持ちを奨励するようなアトモスフィアである.研究は,一旦開始したら,時間に追われる作業で,なかなか後戻りできない.だからこそ,出発点で何をするか,それがどの程度大事かが問われるのである.世の中イノベーションばやりで,何かイノベーションに結びつくことをしなといけないと考えるとつい短期的なことに走りがちである.しかし,真のイノベーションは基礎的な発見があってのことであると知るべきである.最近話題になっている抗PD-1抗体しかり,最近上市されたポリADPリボース合成酵素阻害薬しかりである.切問近思という言葉があるが,若い生化学者には,是非基本的に大事なことにチャレンジして欲しい.“何をやっても時間は過ぎる”のだから.

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