研究していて出会う驚きと楽しみ
大阪大学名誉教授
© 2018 公益社団法人日本生化学会© 2018 The Japanese Biochemical Society
近年日本だけでなく世界各地で開かれる学会,研究会やシンポジウムの案内が舞い込むことが多くなった.また論文誌の種類・数が爆発的に増え,これらをサーベイしたり,投稿先を決めることが複雑になってきたことは誰しも認めることであろう.大学や企業などの研究機関では,このようなことに対応すべく研究環境を整え研究員にハッパをかけ,研究者は精一杯それぞれの研究に励んでいるのが現実であろう.若手研究者は将来がかかっているから,若いうちに成果を出し認められないと,研究自体続けていけなくなるだろうし,果ては食っていけなくなりかねない.
研究者はやりがいがある課題に取り組んでいるという自覚がないと,味気ないものになってしまう.私のケースをここで述べれば,若い頃それほどメジャーでなかったX線結晶解析を始めた.対象は最初有機化合物で,今から見ればプリミティブな装置を使って,見よう見まねで実験・解析に取り組んだ.その後まもなく対象がタンパク質に移ったが,私の思いはまだ誰も見たことがないタンパク質の立体構造をこの目で見,働きの仕組みを分子レベルで理解することであった.
タンパク質結晶学の分野では技術的進歩が著しく,10年も経つと方式が質的に変化した.第一はコンピューター事情の変化であった.1970年代に日本では主要大学に設置された大型コンピューターが稼働し始め,プログラミングしプログラムやデータを鑽孔した紙カードを持って計算センターに行くことさえすれば,解析計算ができるようになった.その10数年後ワークステーションが,さらに10年後安価なパーソナルコンピューターが主流になった.ソフトウェアも世界的に整備され,各自がプログラミングしなくともよくなった.第二は放射光の出現で,日本では1980年代にフォトンファクトリーが,1990年代の終り頃SPring-8が稼働し始めた.これによりそれまで何週間も要した回折強度測定が1時間程度に短縮され,しかも測定精度は向上した.またX線の波長をいろいろ変えた測定が可能になった.第三は遺伝子工学の進歩で,天然にないタンパク質でも解析の対象にすることができるようになった.その結果タンパク質結晶解析に携わる人は爆発的に増え,立体構造を決めることは最終目的でなくなった.
どの研究分野であれ研究者は特徴ある課題に取り組みたいであろう.このためには研究者はそれまでの経験や思いつきをベースにして,いい問題点を見つけることが研究の出発点になる.研究はそれまでわかっていなかったことに目を付け,試行錯誤を始めることである.学習して博学になることや,ただ単に実験操作をすることとは異なる.
私は長年構造生物学分野にいたが,その過程でときたま思いがけないことに出会って驚いたり感嘆したりしたことが研究を続けるモチベーションになった.最近の具体的な一例をあげると,ビリベルジンレダクターゼでは「基質が触媒反応に関与」していたことであった.すなわちこの酵素では基質(ビリベルジン)が2分子結合し,一方の基質のプロピオン酸が他方の基質の還元に直接関わっていた.酵素のアミノ酸残基は直接触媒に関与していなかったのである.自然界では,人間が長い間かけて確立した酵素や基質の定義どおりのことだけが起きているとは限らない事例に出会うことができた.
結果を発表したり論文を仕上げるには論理的でなければならないが,その過程は雲をつかむことに似ている.自らの視点で問題点を見つけ,それを解決する道を探りながら進めて行く研究は,あらかじめ研究の方向性が定められている大型プロジェクトのような研究とは違っている.その成果がすぐに利益還元とならない研究は割合からいえば多いとはいえないかもしれないが,長い目で見て科学の発展には必要なことであろう.近年,科学はどの分野でも複雑・多様化しており,科学をするに年齢や性別それに経歴は関係ないと私は思っている.
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