Online ISSN: 2189-0544 Print ISSN: 0037-1017
公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 91(2): 141 (2019)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2019.910141

アトモスフィアAtmosphere

リン脂質メディエーターの世界に魅せられて

安田女子大学薬学部教授,徳島大学名誉教授

発行日:2019年4月25日Published: April 25, 2019
HTMLPDFEPUB3

隣りの中国における経済発展は目覚しい.急速に高額研究設備が整備され,豊富な人的資源から多くの研究員や研究支援要員が育成されている.その結果,基礎研究分野でも圧倒的に公表論文数が増加している.この大きな波に,我が国の生化学研究はどのように向き合っていくのだろうか.未来の生化学研究に想いを馳せつつ,まずは,隆盛期の動的生化学にあこがれた自身の研究推移を振り返ってみたい.

私は農学畑から縁あって薬学部教員に採用された.出会ったのが,生理活性リン脂質である.その研究を指揮した恩師は「neues」を求め,学生に夢を語った.しかし,数十kgのウシ脳から脂質を抽出し生物検定(ネコ血圧下降)を頼りに恩師が言う「モノ」を単離する研究は難渋を極めた.10年以上の難作業(実験A-to-Z)で精製が進み,「モノ」はリン脂質の一種と想定された.だが,高度に精製すると忽然と活性が消失するジレンマに苦しんだ.後に,「モノ」は,nMレベルで血小板を活性化するplatelet-activating factor(PAF)と判明した.極微量ゆえに精製が進み混在リン脂質がなくなると,PAF自身が容器表面の凹凸部に吸着されることもわかった.その当時は,活性と物性の両面で超低濃度のリン脂質を取り扱う先例がなかった.生化学の勃興・隆盛期には機能性タンパク質の精製等の力仕事を経験された研究者が多かった.続いて隆盛してきた分子生物学研究とのマッチングでタンパク質の生化学研究は大きく進展したが,脂質生化学研究は分子生物学的手法の導入が遅れ気味だったのかもしれない.

動物組織から脂質を抽出する力作業に懲りて,リン脂質抽出ができている大豆レシチン中のネコ血圧下降成分の研究もPAF研究と並行した.こうして発見したのがリン脂質の中では最小分子量のlysophosphatidic acid(LPA)であった.その後,分子生物学的手法の導入により,私の想定を超え6種のLPA受容体が発見された.同時期に1種のみだがPAF受容体も同定された.

私は,若い頃,薬学部に設置されていた直接導入型高分解能質量分析機を用い,生体内で極微量しか存在しないPAFやLPAをEI, CI, FD, FABと発展したイオン化法で定量しようと模索した.後に設置されたGC-MSも利用し,3個のトリメチルシリル基を導入するとLPA骨格を維持したまま定量できることを明らかとした.追試論文もあったが,それは汎用法にはならなかった.その後,高い感度と特異性を示すLC-MS/MSが開発された.極微量のリゾリン脂質メディエーター定量に最適と思い導入を熱望したが,長い間かなわず悶々としていた.ある年,主体的に官庁への機器更新申請をまとめる機会が転がり込み,無理との予想に反して採択された.LC/MS/MS設置は,私の研究の突破口となった.組織・体液から二層分配で水溶性と脂溶性物質に分け網羅的にLC-MS/MS分析することにより(メタボロミクス,リピドミクス),未知物質を掘り起こせる.中国はLC-MS/MSによるローラー的研究を推進しており,新たな研究シーズが数多く創出されると予想される.

45年の研究前半では,解釈に苦しんだPAF研究で試行錯誤を重ね,「シンプル・イズ・ビュウティフル」と唱えLPAに恋して研究を続けた.後半では,LPA1-LPA6受容体連峰を縦走しつつ遠くに聳える孤高のPAF山に想いを馳せつつ,リゾリン脂質研究に対するモチベーションを維持しようと模索した.学生を指導する役目に回ることが多くなったが,力仕事を好む癖か論文の濫読が日課となった.読み漁った知見が繋がり新たな研究シーズが湧き出さないか,その育成を若い人に託せないかと思った.私は狩人のように研究シーズを探し出し,少しは育て得るが,華を咲かせ結実させる根気と能力を持たなかった.ただ,価値あるものであれば,そのシーズ研究を深め創薬・創食へと結実できる人材がバトンを繋いでくれたらと想っていた.日本生化学の学会シンポジウムや生化学誌上特集などの企画や大型予算を持つ研究チーム編成等は,異なる世代や特徴的な研究志向を持つ研究者間の研鑽・協働促進に有用であり充実が期待される.若い人材が生化学研究に対して気力に満ち研究力を高め得るには,より良い研究環境の整備が肝要であり,各方面からのより一層の支援を願っている.

This page was created on 2019-03-01T14:28:25.539+09:00
This page was last modified on 2019-04-08T09:17:27.000+09:00


このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。