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公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 91(3): 295 (2019)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2019.910295

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タンパク質結晶学の40年

京都大学名誉教授

発行日:2019年6月25日Published: June 25, 2019
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現在,PDB(タンパク質データバンク)には,15万を超える生体高分子の立体構造の登録がある.そのうちほぼ90%はX線結晶解析法によるものである.1950年代後半のミオグロビン,ヘモグロビンの結晶構造決定からおよそ20年後に,私はこの分野に入った.それからのおよそ40年間,タンパク質の結晶構造解析(タンパク質結晶学)は飛躍的な発展を遂げた.

私が研究を始めた頃は,一つのタンパク質の構造決定には極めて長い時間を要した.構造解析できるのに何年もかかるということはあたりまえで,学位論文のテーマにするのは冒険的でさえあった.構造決定の過程では,さまざまな試行錯誤を繰り返さなければならず,計算に必要なプログラムは一つ一つ書き下ろさなければならなかった.その当時,立体構造が解かれていたタンパク質はごくわずかで(PDBでは10数個の登録),そのすべての構造の詳細さえ諳んじていたくらいだった.

タンパク質の立体構造は,その機能を理解するための最も基本的な情報である.構造が分かってはじめて反応に関与するアミノ酸が特定でき,その分子機構の解明が始まる.しかしながら,構造決定の障壁が高い時代には,さまざまな生化学的な研究が一通り終わってから構造が明らかになる場合が多く,なぜか立体構造決定を一つのタンパク質研究のゴールのように思う節もあった.これは全くの誤解だが,一部の研究者からは構造が分かれば自分たちの仕事が終わってしまうと聞くことさえあった.余談だが,昨今では,立体構造が分かってもその機能は何も分からない(これもまた誤解)とまで言う人もいて,その隔世の感に思わず失笑してしまう.

このような状況は,世紀が変わる頃には大きく変貌する.結晶化には(他の多くの生化学実験に比べて)膨大な量のタンパク質試料が必要で,それゆえに結晶解析の対象になったタンパク質は細胞内の存在量の多いものに限られていた.しかし,遺伝子工学の技術によって,細胞中の存在量にかかわらず,結晶化に必要なタンパク質試料が得られるようになった.強力なX線源であるシンクロトロン放射光の出現は,タンパク質結晶からの弱い回折の迅速な測定を可能にした(放射光の波長可変性は,異常分散効果を最大限に利用する位相決定法にも新しい道を拓いた).1990年代後半から構造決定されたタンパク質数は急激に増加し,「構造生物学」ということばが広く流布するようになった.

1990年にはまだ500余りであったPDBの構造登録数は,1999年には1万を超え,2016年には1年間の登録数が1万を超えるまでになった.今世紀になっての構造ゲノム科学の世界的な潮流の中,我が国でも国家プロジェクトが計画され,理化学研究所と全国の大学が,それぞれ網羅的解析,個別的解析と銘打って,このプロジェクトを推進した.このタンパク3000プロジェクトにはさまざまな評価があるが,大学における構造生物学研究の推進(大学におけるインフラの整備と従事する研究者の拡大)に貢献したことはまちがいのない事実である.その結果,多くの研究者が新たに構造解析に参画することになり,我が国の構造生物学分野は大きく底上げされた.

通常のX線構造解析は1.5~3 Åの分解能で行われており(PDB登録の80%余り),タンパク質のフォールディングや活性部位が分子レベルで明らかにされている.この分野における近年の技術革新は,さらに高い分解能(1 Åより高い超高分解能)での解析を可能にして,回折データに潜在していたポリペプチド鎖の結合電子や孤立電子対,含まれる金属のd電子の実験的情報が引き出せるようになった.すなわち,タンパク質の化学結合や反応性に関して,構造情報から直接的に「化学」を論じることができるようになろうとしている.

40年のタンパク質結晶学の歴史では,いくつものブレイクスルーがあった.たとえば,膜タンパク質やリボソームの構造解析の成功などで,いずれもノーベル賞の対象になった.タンパク質結晶学は,いまや生体高分子を迅速に構造決定する成熟したツールになっている.構造生物学の将来には,光源としてのX線自由電子レーザーの利用やクライオ電子顕微鏡法の活用なども相まって,より広範かつ先端的な分野に発展することを期待したい.個人的な思いとしては,タンパク質結晶学が大きく飛躍する時代に研究に携わり,その新しい可能性を直接確認できたことに幸せを感じている.

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