生化学 SEIKAGAKU
Journal of Japanese Biochemical Society

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Journal of Japanese Biochemical Society 92(3): 297 (2020)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2020.920297

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生化学的でない糖鎖の機能

順天堂大学難病の診断と治療研究センター・糖鎖創薬研究室特任教授,東京大学名誉教授,国際薬学連合・薬科学部門長

発行日:2020年6月25日Published: June 25, 2020
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ストライヤー『生化学』の日本語訳を岡山博人先生,清水孝雄先生とともに最初に出版したのは1996年のことで,今から24年前でした.この教科書は実に内容豊富で,フォローしにくいところもあり,学生には消化するのが厄介な代物と思われました.しかし,医学部や大学院で広く使われ,約5年毎の改訂を経て今に至り,内容にも臨床的な話題も沢山入り,訳文もこなれてきたと自負しています.最初の第4版では,エネルギー源としての糖ではない糖の機能を扱う糖鎖生物学は,糖代謝の章に取り込まれる形で存在していましたが,糖鎖認識タンパク質(レクチン)やプロテオグリカンの機能についてもしっかり触れられていました.その後,糖鎖生物学の項は独立した章となり,血液型や,リンパ球のホーミング,インフルエンザウイルス感染におけるシアル酸の役割なども述べられています.しかし残念ながら,最新版(第8版)では糖鎖生物学は少し縮小してしまっています.この経緯は,生化学・分子生物学全体における糖鎖生物学のアプリシエーションを反映しているので,あまり文句も言えません.

古くは糖鎖に関するサイエンスは生体分子の化学的な追求の一環として大きく発展し,その生合成を担う糖転移酵素の研究がゲノム研究にリンクした形で一世を風靡しました.これらの成果は日本の生化学の発展と成熟に大きく貢献し,日本の生化学の世界への貢献という意味でも大きな成果でした.糖鎖の機能に関する研究はそれらと同時平行で進みましたが,いまひとつすっきりとしないままです.糖鎖の機能は希少な例外を除いてそれを認識する他の分子,通常はタンパク質との相互作用を通して発揮されます.この相互作用はその糖鎖を認識しているタンパク質の一義的な機能ではないことも多いようです.つまり,多くのタンパク質はそれに糖鎖が付加していることあるいは糖鎖を認識し結合することを副次的な機能として持っており,しかも,この相互作用が決して分子レベルで一対一に対応しているわけではないという事実が,糖鎖の機能の本質です.従って,糖鎖の機能というのは解析的に追求してわかるものではなく,本質的に生化学的でないと言って良いようです.

一方で,糖鎖の重要性は細胞や,組織や,個体を丸ごと見ていく生物学の数々の領域では歴然としています.免疫学・感染症学しかり,脳科学しかり,発生生物学しかり.しかし,そこで重要な糖鎖は,少数の例外を除いて,ありきたりのものです.つまり,生化学的な構造が機能と結びついているのではなく,どのタンパク質のどこにその糖が付加している,または,どの細胞(もっと言えば系譜と分化・老化の段階)でその糖鎖を持つタンパク質が存在するか,が重要なのです.細胞内小器官と糖鎖の関係も重要と思われます.

ウイルス特にRNAウイルスの感染にその表面分子の糖鎖,糖鎖結合分子,糖鎖分解酵素が重要な役割を持つことはよく知られています.インフルエンザウイルスしかり.私たちはエボラウイルスの感染性がN-結合型糖鎖とO-結合型糖鎖の微妙なバランスで制御されることを示しています.新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)のスパイク糖タンパク質には二十数個のN-結合型糖鎖が存在し,それぞれの位置に特徴的でそれぞれが構造的にはヘテロです.過去に類似のコロナウイルスに感染して回復した患者由来のメモリーB細胞から得られた抗体で,新型コロナウイルスを中和する活性を有するものはN-結合型糖鎖の一部を合わせて認識するものであることが判明しています.新しい治療薬・予防薬の開発にはやはり糖鎖も重要であるようです.糖鎖の研究者も,糖鎖とは直接関わっていない生化学者・分子生物学者の皆さんも,広い心と発想を持って糖鎖と接して頂きたいものです.

最後に蛇足ですが,新型コロナウイルス非常事態宣言下でこの原稿を書きながら,ウイルス感染症の蔓延という現実に起こっていることの科学的な理解がいかに大切であるか,多くの一般の人たち,行政に与る人たち,報道関係者に欠落していることを痛感せざるを得ません.科学者も常日頃からサイエンスの中身よりも,科学的に物事を理解することの大切さを発信する必要がありそうです.

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