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公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 92(4): 582-586 (2020)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2020.920582

みにれびゅうMini Review

転写因子BACH1がつかさどるフェロトーシス制御の遺伝子ネットワークThe gene network of ferroptosis-regulation is controlled by the transcription factor BACH1

東北大学大学院医学系研究科生物化学分野The Department of Biochemistry, Tohoku University Graduate School of Medicine ◇ 宮城県仙台市青葉区星稜町2–1 ◇ 2–1 Seiryo-machi, Sendai 980–8575, Japan

発行日:2020年8月25日Published: August 25, 2020
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1. はじめに

近年,細胞死の研究は目覚ましい発展を見せている.特にここ数年で,従来は非制御性の細胞死と考えられてきたネクローシス様の細胞死にもさまざまな制御機構が存在することが相次いで報告された.そして,生体にはアポトーシス以外にもさまざまな制御性細胞死(フェロトーシス,ネクロプトーシス,パイロトーシスなど)が存在することが明らかになった1)

フェロトーシスは,RAS変異陽性がんの治療薬スクリーニングで同定された化合物であるErastinの研究を通じて,新規の制御性細胞死として2012年にDixonらによって報告された2).フェロトーシスでは,鉄を介して,細胞内でリン脂質の過酸化反応が連続して起こることによって細胞毒性が惹起され,細胞死に至る2, 3).すでにフェロトーシスは,虚血性疾患,神経変性疾患などの病態形成に関わることが示されている他,悪性腫瘍に対する防御機構としても働くことがわかっており,細胞生物学,分子病態学の両面から非常に注目されている3)

2. フェロトーシスの制御機構の概要

フェロトーシスの研究発展に伴い,フェロトーシスを制御するタンパク質,化合物,そして細胞内ネットワークが,次々と報告されている.その数と内容はきわめて多彩であり,フェロトーシスは当初考えられていたよりも,はるかに複雑かつ精緻なメカニズムを持つ細胞死であることがわかりつつある4, 5).フェロトーシスを制御する細胞内ネットワークは今後も発見が相次ぐことが予想されるが,現時点ではフェロトーシスの制御機構は,①リン脂質の還元酵素であるグルタチオンペルオキシダーゼ4(glutathione peroxidase 4:GPX4)とその基質であるグルタチオンによる過酸化リン脂質の還元機能6),②細胞内のタンパク質非結合型鉄イオンである自由鉄の多寡3–5),③多価不飽和脂肪酸含有リン脂質(polyunsaturated fatty acid-containing phospholipids:PUFA-PLs)の多寡7),④ミトコンドリアで電子伝達体として働くことが知られていた補酵素Q(coenzyme Q10:CoQ10)の還元状態8, 9)のいずれかを調節する四つの経路に大別できる4).これらの経路はいずれも最終的には,細胞内自由鉄により脂質が酸化されて脂質ヒドロキシラジカルが生じることで細胞死に至るというフェロトーシスのプロセスに影響を及ぼす.

このうち,最も早くから知られており,研究が進んでいるのはGPX4(もしくはグルタチオン)と細胞内自由鉄を制御する二つの経路であり,フェロトーシスの二大制御経路としての概念が確立している.本稿では,「転写因子BACH1(BTB and CNC homolog 1)がこの両経路の構成因子の転写を抑制することで多角的にフェロトーシスを促進する10)」という筆者らの研究成果を紹介する.そして,虚血性疾患などのフェロトーシス関連疾患および悪性腫瘍における,BACH1の検査標的および治療標的としての意義について考察したい.

3. 転写因子BACH1によるフェロトーシス促進ネットワーク

BACH1は,ヘムおよび酸化ストレス応答性の転写抑制因子であり,塩基性ロイシンジッパー(basic-leucine zipper:bZip)構造を有し,同じくbZipを有する小Maf分子(MafK, MafG, MafF)と同部位でヘテロ二量体を形成し,Maf recognition element(MARE)と呼ばれる転写制御領域に結合して標的遺伝子の転写を抑制する11).BACH1の標的因子は多岐にわたるが,ヘム分解酵素であるヘムオキシゲナーゼ1(heme oxygenase-1:HO-1)やフェリチンなど,酸化ストレスおよび細胞内自由鉄の制御に関わる因子が多く含まれており,酸化ストレス時にはBACH1が転写制御領域から離れて不活化されることでこれらの遺伝子の転写が活性化される11).フェロトーシス時には,細胞内自由鉄を介して過酸化リン脂質による酸化ストレスが惹起されることを考えると,フェロトーシスの制御ネットワークにBACH1が関連する可能性は十分に考えられた.

筆者たちが,フェロトーシスを誘導したマウス胎仔線維芽細胞(mouse embryonic fibroblasts:MEFs)を用いてトランスクリプトーム解析を行ったところ,フェロトーシス誘導時には,鉄およびグルタチオンの代謝関連因子を中心に,酸化ストレスに対して細胞保護作用を持つ一連の遺伝子群の転写が大きく活性化されることがわかった10).これらの防御遺伝子群には,シスチンのトランスポーターであるSlc7a11,グルタチオン合成反応の律速段階の酵素であるGclm, Gclc,細胞内自由鉄の不活性化,除去に働くフェリチン(Fth, Ftl),フェロポルチン(Slc40a1)などがあるが,これらはいずれもBACH1の標的遺伝子であった.さらにフェロトーシスの誘導時にはこれら防御遺伝子群の転写が活性化されるのと一致して,BACH1のタンパク質分解が起こることも判明した10).これらの結果から,細胞がフェロトーシス誘導時に防御遺伝子群を転写活性化させるのは,フェロトーシス誘導刺激に対する代償・抵抗反応であり,それがBACH1のタンパク質分解によって実行されていることが示唆された.逆に,BACH1はこれら防御遺伝子群の転写抑制を通じて,フェロトーシスの促進因子として働くことが考えられた.

その後のBach1ノックアウトマウス由来のMEFsを用いた実験によって,Bach1ノックアウトMEFsではフェロトーシス抵抗性が獲得されることが確認された.さらに,Bach1をノックアウトすることで細胞内グルタチオン濃度が増加すること,フェロトーシス誘導時の細胞内自由鉄の増加が抑えられることも判明した10).以上よりBACH1は,グルタチオン合成経路の遺伝子の転写を抑制することでグルタチオン濃度を低下させてGPX4によるリン脂質還元作用を抑制する経路と,フェリチンなどの自由鉄の代謝経路の遺伝子の転写抑制によって細胞内自由鉄を増大させる経路との両面から,多角的にフェロトーシスを促進することが強く示唆された(図1,BACH1によるフェロトーシス促進ネットワーク).このようなネットワークが細胞に存在する意義は今後の研究によって明らかにされる必要があるが,BACH1はフェロトーシスの主要促進因子の一つとして細胞におけるフェロトーシス制御をつかさどっていると考えられた.

Journal of Japanese Biochemical Society 92(4): 582-586 (2020)

図1 BACH1によるフェロトーシス促進ネットワーク

BACH1は,Slc7a11(シスチントランスポーター),GclmGclc(グルタミンシステインリガーゼ調節サブユニット),Fth1Ftl1(フェリチン),Hmox1(ヘムオキシゲナーゼ1),Slc40a1(フェロポルチン)の転写を抑制する.これにより,細胞内グルタチオンを低下させるとともに自由鉄を増加させ,フェロトーシスを促進する.Nishizawa, H. et al. 2020より一部改変.

4. 急性心筋梗塞の治療ターゲットとしてのBACH1-フェロトーシス経路

次に筆者たちは,BACH1が生体内でもフェロトーシスを促進し,フェロトーシス関連疾患の病態に関与するかどうか,マウスの心筋梗塞モデルを用いて検証した.野生型およびBach1ノックアウトマウスの左冠動脈前下行枝を結紮して心筋梗塞を起こし,その病態と経過を観察した.Bach1ノックアウトマウスは術後生存率,超音波検査による心機能評価,病理所見のすべてで野生型と比較して心筋梗塞が軽症であった10).さらに,これらの心筋梗塞モデルマウスにフェロトーシス抑制作用のある鉄キレート剤を投与したところ,野生型のマウスでBach1ノックアウトマウスよりも明白に心筋梗塞が緩和され,両者の重症度の差が減少した10).このことから,BACH1がフェロトーシスを促進することで心筋梗塞の病態悪化に関わることが示唆された.

BACH1が心筋梗塞を含むフェロトーシス関連疾患(虚血性疾患,神経変性疾患)の増悪因子なのであれば,鉄キレート剤などによるフェロトーシスの抑制と合わせてBACH1も抑制することで,虚血性疾患,神経変性疾患へのより有力な治療手段となる可能性がある(図2).

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図2 フェロトーシスおよびBACH1阻害によるフェロトーシス関連疾患の治療戦略

フェロトーシスと合わせて,BACH1も阻害することにより,心筋梗塞を含む虚血性疾患の他,神経変性疾患など,フェロトーシス関連疾患の治療に幅広く応用できる可能性がある.

5. がん治療におけるBACH1の薬剤感受性マーカーとしての可能性

近年,悪性腫瘍に対する新規の治療手段として,フェロトーシスへの注目が高まっている.フェロトーシスはもともと,RAS変異陽性がんを標的とした治療薬の開発の過程で発見されており,特にRAS変異陽性がんの治療への期待が大きい.筆者たちは以前,活性化型HRas変異を導入した不死化MEFsをマウスに腫瘍移植片として導入したとき,BACH1によって腫瘍の増殖が促進されることを報告した12).さらに最近,そのほとんどが活性化型のKRAS変異を擁する膵臓がんにおいて,BACH1が上皮系の遺伝子を転写抑制することで上皮間葉転換(epithelial-mesenchymal transition:EMT)を促進し,転移を促進することも明らかになった13).BACH1が増殖,転移を促進することでRAS変異陽性がんの悪性度に寄与することが示唆されるが,BACH1を高発現した腫瘍はBACH1の影響でフェロトーシスへの感受性が高まっている可能性が高く,それが治療の糸口になりうる.そこで,悪性腫瘍へのフェロトーシス誘導剤による治療を検討する際の感受性マーカーとして将来的にBACH1やその標的因子を活用できるかもしれない.

また実際に,分子標的薬治療によってEMTを起こしたがん細胞はフェロトーシスへの感受性が高くなることが報告されており14, 15),BACH1が先に示した細胞内グルタチオンと自由鉄の制御に加え,EMTを促進することによってもフェロトーシスへの感受性を高めている可能性がある(図3).このあたりはまだ不明なことが多く,今後のさらなる研究が特に必要であるが,BACH1のフェロトーシス誘導因子としての位置づけがさらに強固になり,薬剤感受性マーカーとしての可能性が高まることが期待される.

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図3 BACH1によるEMTを介した新たなフェロトーシス感受性増強機構の可能性

BACH1によって,がん細胞でEMTが引き起こされることにより,フェロトーシスへの感受性が増強するメカニズムが存在する可能性がある.

6. おわりに

本稿では,BACH1によるフェロトーシス促進ネットワークとして,グルタチオン-GPX4経路と細胞内自由鉄の制御の二大経路に焦点を置いて解説した.しかし,概要で述べたとおり,フェロトーシスの制御経路は他にも存在しており,BACH1がこれらの経路の構成因子の転写を抑制する可能性も十分にある.特に昨年報告されたFSP1(ferroptosis suppressor protein 1,別名Apoptosis inducing factor mitochondria associated 2:AIFM2)が還元型CoQ10を生成してフェロトーシスを抑制する経路はフェロトーシスの新たな主要制御経路の一つだと考えられ4, 8, 9),BACH1が遺伝子Fsp1Aifm2)の転写を抑制するかどうかは今後の研究として興味深い.

また,フェロトーシスはがん抑制メカニズムとして重要だと考えられているが,生体におけるフェロトーシスのその他の役割は解明されていない.BACH1がフェロトーシスを多角的に促進するのであれば,BACH1の機能にフェロトーシスの生体内での役割を解明する手がかりがある可能性もあり,BACH1-フェロトーシス経路に関する今後の研究成果が待たれる.

謝辞Acknowledgments

本稿で紹介した研究を進めるにあたり,研究室内外の皆様から多くの協力をいただきました.三枝大輔先生(東北メディカルメガバンク機構)には質量分析による細胞内グルタチオン濃度測定法につき,詳細な実験系をご提供いただき,深謝いたします.下川宏明先生,進藤智彦先生(ともに東北大学大学院循環器内科学分野)にはマウスの心筋梗塞モデルを用いた実験で多くのご助言,ご指導をいただき,深く御礼申し上げます.

引用文献References

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3) Stockwell, B.R., Friedmann, A.J.P., Bayir, H., Bush, A.I., Conrad, M., Dixon, S.J., Fulda, S., Gascón, S., Hatzios, S.K., Kagan, V.E., et al. (2017) Ferroptosis: A Regulated Cell Death Nexus Linking Metabolism, Redox Biology, and Disease. Cell, 171, 273–285.

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15) Hangauer, M.J., Viswanathan, V.S., Ryan, M.J., Bole, D., Eaton, J.K., Matov, A., Galeas, J., Dhruv, H.D., Berens, M.E., Schreiber, S.L., et al. (2017) Drug-tolerant persister cancer cells are vulnerable to GPX4 inhibition. Nature, 551, 247–250.

著者紹介Author Profile

西澤 弘成(にしざわ ひろなり)

東北大学大学院医学系研究科生物化学分野学術研究員.博士(医学).

略歴

2009年東北大学医学部卒業.19年同大学院医学系研究科博士課程修了.同年より現職.

研究テーマと抱負

フェロトーシスをはじめとした細胞死の生体内での役割について,研究を進めています.細胞死の側面から生命現象や疾患概念を解き明かし,様々な疾患の治療に還元したいと考えています.

ウェブサイト

http://www.biochem.med.tohoku.ac.jp/

趣味

茶の湯,ランニング,読書,スノーボードなど.

五十嵐 和彦(いがらし かずひこ)

東北大学大学院医学系研究科生物化学分野教授.医学博士.

略歴

1987年東北大学医学部卒業.91年同大学院医学研究科博士課程修了.シカゴ大学博士研究員,東北大学助手,筑波大学講師,東北大学助教授,広島大学教授を経て2005年より現職.

研究テーマと抱負

遺伝子発現およびクロマチン修飾と代謝の関係に基づいて細胞分化の仕組みやがん細胞の特性などを理解すること.

ウェブサイト

http://www.biochem.med.tohoku.ac.jp/

趣味

海遊び,ジョギングなど.

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