生化学 SEIKAGAKU
Journal of Japanese Biochemical Society

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Journal of Japanese Biochemical Society 92(5): 613 (2020)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2020.920613

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自然科学への信頼と復権を切望する

中部大学生命健康科学部特任教授,名古屋大学大学院医学系研究科名誉教授

発行日:2020年10月25日Published: October 25, 2020
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2020年は新型コロナ肺炎で始まり,8月の今も第二波のただ中で,脱出の見込みも立っていない.昨年12月に武漢で起きた局地的感染症が,あっという間に拡散して,イタリア,スペイン等に深刻な事態を起こすと同時に,日本ではクルーズ船内で感染が拡大した.次いで,米国,ロシア,南米,インドからアフリカへと一挙に広がったことは,周知の通りである.

パンデミック感染に襲われた時には常に,病因,伝播,病勢に関する諸説が飛び交い,根拠の有無を見極める暇もなく人々が翻弄され右往左往する.この騒ぎの中で最も頻繁に耳に入ってきた言葉は,1)PCR,2)ソーシャルデイスタンス,3)ワクチン開発,であろう.それらの重要性は多くのヒトが納得している感がある.しかし,この「自粛」生活の中でずっと疑問に感じることがいくつかある.まず,医療人の声の小ささと世間や行政からのrespectのなさ,国外の経験を学ぼうとしない内向き指向,そして,様々な階層に共通する科学的思考と判断や見通しの欠如である.

ここで想起されるのが,この10年近く指摘され続けている我が国の科学研究力の衰退である.そのような情報を最初に聞いたのは,私がJSPSの学術システム研究センター研究員だった2010年頃であり,諸外国に比べ日本だけが科学論文数が減少し,論文の質的低下も諸外国と逆に著明であった.これは衝撃的な事実であり,なぜそうなっているのかがずっと疑問であった.しかし事態は深刻になる一方である.代表的なものだけ列記する.2016~2018年の自然科学論文数が,1位:中国(30万6千余),2位:米国(28万1千余),3位:ドイツ(6万7千余),4位:日本(6万5千弱)(文科省科学技術学術政策研究所が米クラリベイト・アナリテイクスのデータを集計:2020年8月).論文の質を表す被引用数上位10%の注目論文シェアでは,米国24.7%(1位),中国22.0%(2位)で,日本は20年前の4位から9位に沈んでいる.被引用数上位1%の論文も同様である.ライフサイエンスに限っても,論文数が2000年頃から横ばいとなり,その後の伸び率の低さは衝撃的でさえある(米国26%,中国539%,ドイツ42%,英国32%,フランス31%,韓国140%に比して日本1%)(2003年から3年間と2013年から3年間の平均値の比較;「バイオ戦略の策定に向けた文部科学省の取り組み」2017年10月より).JSTからの「151研究領域におけるTOP10%論文数の国際シェア順位の推移」をみると,この20年間に日本がほとんどの研究領域で共通して,注目される論文のシェアが大きく低下し諸外国と対照的である.

なぜこんなことになってしまったのか? 新型コロナ肺炎に対する対応の混乱の中に,その要因の一部が凝縮して示されている気がする.日本の自然科学研究力の衰退に関しては,文科省自身が繰り返しデータを公表してきたし,様々な立場からの要因分析,指摘,提言がなされてきた.その中では,研究費・研究時間の減少,若手研究者の雇用・研究環境の劣悪化,研究拠点群の劣化(文科省2017年度版科学技術白書)が指摘され,さらに博士課程への進学率の低下,ポスドク問題,教員の研究時間の低下,留学生の減少,応用技術の偏重など,様々な要因が挙げられている(「日本の研究力低下の主な経緯・構造的要因案参考データ集」文科省学術分科会第68回).しかし,多くの懸念,警告にかかわらず,希望の灯はいっこうに見えてこない.

PCRに限っていえば,「あまりにも科学が通じない」惨状をなんとかしないと,ということに尽きる気がする.いまだにPCRの意義や効力がよく理解されないまま,必要な場面での検査が困難で,他の低感度の検査と同列視され,医師が必要とした場合でさえ有料でしか実施できない状態が続いている.多くの外国の経験を学べば,その必須な役割は自明である.日本製のmulti-analyzerがフランス等で活躍している一方,日本では使用できない現状には失望も通り越して呆れてしまった.必要なのは,まず理科教育である.子供に限らず大人も含めてPCRの原理と有用性を学べば,分子生物学の基礎であるDNA,転写,遺伝子複製,そしてウイルスの性状がしっかり学習可能である.優れた教材となるであろう.そして,日本の研究力の飛躍的向上を目指す上で何よりも自覚すべき点は,研究者の層の薄さである.「選択と集中」からの脱却が求められている.それは全て自然科学に対する位置付けの低さと科学技術政策の弱さに起因する.さらに言えば,そのことを粘り強く働きかける学会のリーダーの先生方のご尽力に期待するしかない.そのために協力したいという覚悟はいつもある.畑は全く異なるが,「あまりに悠長だ—全国民検査急げ」という柳井正氏(ファーストリテイリング会長/社長;毎日新聞8月8日「シリーズ疫病と人間」)の叫びに共鳴する自分がいる.

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