基礎科学研究の推進
Professor Emeritus, Beckman Research Institute of City of Hope, 元東海大学工学部生命化学科教授
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コロナ禍で停滞が続く真っ只中に巻頭言の執筆依頼を受けた.何か含蓄に富んだ一文を書けるかと思案した結果,アメリカと日本でPI(Principal Investigator)としてラボを運営した経験からの視点で,後輩研究者に今の思いを伝えようと決めた.
かつて日本では,基礎科学研究が重視されていた.研究費を大型化しなくてもやれる研究,たとえばがんや糖尿病の治療薬の開発[これは今のCOH(City of Hope)研究所の存在価値となっている]を目指さなくても重要な発見に繋がる時間を要する研究が実施可能であった.COH研究所は1952年に,結核療養所からがん研究に方向転換して,化学発がん研究で国際的に著名だった木下良順先生を設立当初のUCLA Medical Schoolから招聘した.木下は大野乾らの若手研究者を連れてきて,木下・大野を中心とした共同研究に気鋭の若手学者が加わり研究所は発展した.大野は生物の根源に関わる重要な発見・仮説を発信し続けノーベル賞級の研究者としてCOHのBasic Scienceを築いた(詳しくは拙著†を参照).当時は,分子生物学,免疫学の確立前であったが,大野の先見性が,世界初の遺伝子操作によるヒトインスリン作製とヒト化抗体の基本特許の取得に繋がった.ちょうどバイオ産業の誕生期と重なる.奇しくも,基礎科学研究が医薬品開発につながり,企業からのroyalty収入が膨大になり80年代から今日までのCOHの急速な発展を支えている.
私がアメリカで独立し,COH研究所でPIとなったのは3年ポスドクをした後の1980年であったが,NIH grant proposalを書いた折,インスリン受容体の精製とクローニングが目的だったが,糖尿病の治癒には,インスリン作用の解明が必要で,その第一ステップが受容体とインスリンの結合だからとSignificanceに書いた.研究成果とその応用で健康と福祉を目指すのがNIHのmissionである.アメリカでは,そのmissionを念頭にして競争的外部研究資金を継続的に獲得せねば研究はできない,ということである.
アメリカで20年PIをした後,2000年に,日本の私立大学に転職した.再度のラボの立ち上げは大変であったが,ポストゲノムの糖鎖科学振興のおかげで,JST CRESTの大型研究費が取れた.教授(=PI)のみの研究室で,ポスドク・研究助手を3人位雇う事が叶い研究を進めることができた.当時日本ではPIの概念が一般的ではなく,帰国後大変にお世話になった某東大名誉教授に「山口さん,PIってなんですか?」と聞かれた事を思い出す.日本ではまだ,conflict of interests,% effortsなども考慮されておらず,違和感を味わった.
その後,2014年に私立大学を退職してCOHに戻った.今回はラボを持っていない.COHの同僚と大学院時代にやり残したStreptomyces sp.から精製したレクチンの一次構造を決定しJ Biol. Chem.に1st authorで発表した.2~3報目も執筆中である.非常に面白いことが見つかっているものの,まさしく基礎科学研究なので,がんや糖尿病の治療薬の開発につなげるのが難しく研究費を取りにくいが,発展的成果を残したく,次世代の同僚のラボに入って研究を続けている.
アメリカでは日本とは異なり,研究者はポスドクをまず経験し,その後にテニュアアトラックのassistant professorとして独立し,PIとして研究室を立ち上げる.その後PIで居続けるためにはNIH R01 grantsを中心に研究資金を継続して獲得して,研究室員を雇い,成果を出し続ける必要がある.グラントの予算は人件費が80%以上を占める(% effort分のPIの給料も入る).実はここが日本と根本的に違う.大学院生にも給料を支払うので,基本ただで働いてくれる者はいない.人件費を確保できなければ,研究室員を解雇せねばならない.その為PIはテニュアになれても安心はできない.PIは常に研究資金を確保して研究室の運営をせねばならない.
現在では,日本でもPIシステムが一般化され,主に大学での大講座が細分化され,アメリカ的ラボ運営が広まった感がある.若くしてPIになれ,自分独自の研究を推進できるのは素晴らしいことだ.が,研究資金獲得の為に時間を取られ,良い研究(すぐには実用化に結びつかないが)に腰を据えて,じっくりと取り組むことができなくなってはいないか? 研究資金を取り易い研究を進めるにしても,特に,若い研究者には基礎科学研究を心して推進して欲しいと私は思う.最後に,ノーベル賞を受賞した大隈良典先輩の「オートファジーの分子機構の解明」という基礎科学研究が様々な病態の原因解明に繋がったという好例を挙げたい.大隈先生は「役に立つかどうかをことさら意識せず純粋に知りたい事を追求する」のが基礎科学と定義され,基礎科学創成振興財団を立ち上げ,後進の育成を全力でなされている.
†早川智,山口陽子著(2016)シティ・オブ・ホープ物語—木下良順・大野乾が紡いだ日米科学交流,人間と歴史社.
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