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公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 93(3): 366-372 (2021)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2021.930366

総説Review

血管新生の終結と血管安定性をもたらす血流シグナル分子スフィンゴシン1-リン酸Vascular stabilization by Sphingosine 1-phosphate

国立国際医療研究センター脂質シグナリングプロジェクトDepartment of Lipid Signaling, National Center for Global Health and Medicine ◇ 〒162–8655 東京都新宿区戸山1–21–1 ◇ 1–21–1 Toyama, Shinjuku-ku, Tokyo 162–8655, Japan

発行日:2021年6月25日Published: June 25, 2021
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全身にはりめぐらされた血管網は,血管の発芽から始まる血管新生により形成される.血管網により血液を介して酸素や栄養を組織に効率的に供給するためには,その分岐数が過不足なく適切に制御される必要がある.特に新規に作られ血液灌流の開始した血管においては,血管内腔からのシグナル分子により新たな血管の発芽を抑制しその安定化を促すメカニズムが存在する.そのような血液中の血管新生終結・血管安定化メディエーターの代表として,スフィンゴシン1-リン酸があげられる.本稿では,近年筆者らが取り組んだゲノムワイドなオープンクロマチン領域解析による研究成果を中心に,血液中に豊富に含まれる脂質メディエーターであるスフィンゴシン1-リン酸の血管新生の終結・血管安定化における役割とその作用発揮メカニズムについての知見を紹介する.

1. はじめに

心臓から送り出される血液は,全身にはりめぐらされた血管網により細胞の一つ一つに届けられ,これにより全身での栄養分や酸素の供給および老廃物の排出が可能となっている.ヒトにおいて極小の毛細血管まで含めるとその長さは10万キロメートル(地球2周半超に相当)にも及ぶといわれており,この血管網が正常に形成,維持されることは発生のみならず生命の維持に必要不可欠である.血管の形成は(1)血管芽細胞から分化した血管内皮細胞が初期の管腔構造を形成する脈管形成,(2)この管腔構造から発芽と分岐を繰り返して複雑な血管網を形成する血管新生,(3)形成された血管が安定化する成熟,の三つのステップにより行われる1).特に血管新生は血管成熟と協調的連動的に進むことで,動脈・毛細血管・静脈といったヒエラルキーのある成熟した血管網の形成を可能にする.このような血管新生は発生の他,創傷治癒過程の一つとして普遍的に認められる生理的な反応である一方,腫瘍や網膜症,慢性炎症疾患などさまざまな病態において病的にも認められる2).したがって,生理的および病的な血管新生の分子制御メカニズムを明らかにすることは臨床的にもきわめて重要である3)

栄養や酸素の効率的な供給を可能にするためには,血管網のサイズ,分岐数が「ちょうどよく」制御される必要があり,生理的な血管新生においてこれを可能にする分子メカニズムについてこれまで盛んに研究が進められてきた.なかでも血管新生の主役としてこれまで最も注目されてきたのは血管内皮細胞増殖因子(vascular endothelial growth factor:VEGF)である4).低酸素シグナルに応答して産生されるVEGFは血管内皮細胞の増殖や発芽を促し,血管網の進展および分岐形成を進めるアクセル役として働く.同時に,VEGFシグナルは後述する側方抑制による自己ブレーキ系を介して過剰な発芽を抑えることで,「ちょうどよい」分岐数になるよう制御している(図1A).しかしながらこの側方抑制による制御は,相対的な位置情報に基づく制御であり,作られた血管の機能的情報,つまりきちんと血液灌流があるという情報は反映されない.したがって,血流から発芽を抑制し血管を安定化することで過剰な分岐形成を抑えるメカニズムが想定される(図1B).

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図1 血管新生で分岐数を制限する二つのメカニズム

(A)血液灌流のない血管網先導部においては,低酸素により生ずるVEGFの濃度勾配によりtip細胞が誘導される.tip細胞から分泌されるDll4は,tip細胞に追従する内皮細胞のNotch経路を活性化することでそのtip細胞への変換を抑制する(側方抑制).(B)血液灌流のある血管網中間部においては,血流からの血管内皮細胞安定化シグナルにより新たな血管発芽を抑制する機構があると考えられる.

本稿では,近年筆者らが取り組んだゲノムワイドなオープンクロマチン領域解析による研究成果を中心に,血液中に豊富に含まれる脂質メディエーターであるスフィンゴシン1-リン酸(sphingosine 1-phosphate:S1P)の血管安定化における役割とその作用発揮メカニズムについての知見を紹介したい.

2. VEGFシグナルによる血管新生の開始および発芽数の制御

血管新生は既存血管の血管内皮細胞の発芽を促すことにより開始される.発芽的な血管新生と呼ばれるこのプロセスで中心的な役割を果たすのはVEGFである.VEGFは血液灌流のない低酸素領域において誘導,分泌される.既存血管網の先導部に存在する血管内皮細胞はVEGFによる刺激を受けtip細胞と呼ばれる内皮細胞に変化する5).tip細胞は糸状仮足を伸ばしながらVEGFの濃度勾配に沿って低酸素領域へと方向性をもって遊走していく.tip細胞はやはりVEGFにより誘導されるDelta/Notchシグナルを介し,近接する後方の細胞が同じtip細胞にならないように抑制する6).具体的には,VEGFの刺激によりtip細胞ではNotchリガンドであるDelta-like protein 4(Dll4)の発現が増加し,分泌されたDll4がtip細胞に追従する内皮細胞のNotch経路を活性化し,stalk細胞と呼ばれる特殊な内皮細胞へと変化させる.この側方抑制により生ずるstalk細胞はVEGF受容体の発現が低く保たれることでtip細胞への変換が抑制される.一方でstalk細胞は増殖能や細胞極性を有し,既存血管と連続性のある管腔を形成する.この巧妙な側方抑制機構を包含することにより,VEGFシグナルはtip細胞を生み出しながらその数が過剰にならないように制限することを可能にしているとされる(図1A).2000年代初頭に登場したこの血管新生のVEGF-Notchモデルであるが5),今もなおさらなる詳細な解析が進められており,近年のin vivoイメージング技術の発展や細胞追跡を可能とするユニークな遺伝子改変動物の開発により,tip細胞やstalk細胞のダイナミックな動きや詳細な制御機構が明らかとなってきている.

3. S1Pシグナルによる血管新生の終結と血管の安定化

このようなVEGF-Notchによる発芽の誘導と自己制御システムが血管網の分岐を「ちょうどよく」コントロールするのにきわめて重要であることは疑いの余地はない.しかしながら,この側方抑制による制御は,tip細胞(一番先頭を走る細胞)とstalk細胞(追従する2番目の細胞)の振り分けによる相対的な位置情報に基づく制御であり,血管網全体を俯瞰して考えると適切な分岐からなる血管網を形成・維持するのには不十分だと考えられる.たとえば新たに作られた血管の品質情報つまり血液灌流の有無についての情報は,「ちょうどよい」血管網の形成のために反映される必要がある.またstalk細胞においてVEGF受容体の発現が低く保たれるとはいえ,低酸素により生ずるVEGF濃度勾配はtip細胞のみを活性化させるのに十分にシャープではないと考えられる.実際にstalk細胞においてもVEGF受容体が活性化していることも実験的に示されている7)

以上のような背景から,新規に作られた血管において血流由来のシグナルにより血管内皮細胞の発芽を抑制し成熟を促すメカニズムの存在が想定された(図1B).このような分子の有力な候補としてS1Pがあげられる(図28).S1Pは血漿や血清に数百nMという高濃度で存在する生理活性リゾリン脂質である.血中におけるS1Pは赤血球や血小板に存在するS1P合成酵素であるスフィンゴシンキナーゼ1, 2(sphingosine kinase 1, 2:SphK1, SphK2)により合成され,上記のように高濃度で維持される9, 10).S1Pは主にGタンパク質共役型受容体である五つのS1P受容体S1P1~5を介し,さまざまな生理機能を発揮する8).S1P1は血管内皮細胞において最も発現の高いS1P受容体であり,内皮バリア11, 12)や血圧制御13),抗炎症14)などさまざまな内皮細胞機能に関わる.S1P1欠損マウスは血管発生異常により胎生12.5日から14.5日にかけ著しい血液の漏出を起こし致死となる15, 16).一方,血管内皮細胞にはS1P1の他にS1P2やS1P3の発現が認められており,S1P1/2/3多重欠損マウスはS1P1単独欠損マウスに比べて重篤な血管発生異常が生じ,より早期に胎生致死となる17).したがって,これら三つのS1P受容体が相補的協調的に正常な血管発生に貢献していることが想定されている.さらに赤血球および血小板でSphK1/2を多重欠損するマウス胎仔もS1P受容体多重欠損マウスと同様に著明な血管発生異常により胎生致死となることから9, 10),血液からのS1PシグナルがS1P受容体を介して正常な血管発生を可能にしていると考えられた.

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図2 血流由来シグナル分子としてのS1P

S1Pは主に五つのS1P受容体S1P1~5を介してさまざまな機能を発揮する脂質メディエーターである.S1Pは赤血球や血小板により合成・分泌され,その血中濃度は数百nMに達する.血管内皮細胞にはS1P1が高発現するが,血管発生にはS1P2やS1P3がS1P1と協調的・相補的に機能する可能性が示唆されている.

これまで筆者の所属研究室等により,S1P1が血管新生の終結と血管の安定化に重要であることが見いだされている(図318–20).まずS1P1のレポーターマウスを用いた実験により,S1P1は血管網中間部には発現が認められるものの,tip細胞やstalk細胞を含む血管先導部を構成する細胞においてはほとんど発現していないことがわかった19).つまり,S1P1は血流の開始された領域で選択的に機能していることが考えられた.またS1P1欠損マウスの網膜血管網や背側大動脈において過剰な発芽が確認され,S1P1シグナルは発芽的血管新生を抑制することがわかった18, 19).さらに一連の研究により,S1P1はVEGFシグナルと拮抗して血管の安定化をもたらすこと,これが下流におけるVE-カドヘリンによる接着結合の制御によりなされることも示唆された18–20)

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図3 血流由来のS1Pによる血管新生の終結と灌流血管の安定化

S1P1は血液灌流のある血管の内皮細胞において高発現するが,tip細胞やstalk細胞を含む血管網先導部の内皮細胞においてはほとんど発現していない.血中のS1Pにより活性化される内皮細胞のS1P1はVEGFと拮抗することで灌流血管からの発芽を抑制し,血管の安定化をもたらすと想定されている.

以上のように,S1Pシグナルは血流由来の内側からの血管安定化シグナルとして外側からのVEGFと拮抗して正常な血管網の形成と維持を可能にすることが想定された.S1P1シグナルによる過剰な発芽の抑制は灌流のないtip細胞およびstalk細胞間でのVEGF-Notchシグナルとは独立した抑制機構であることは注目に値する.では,いかにしてS1P1シグナルが血管の安定性を担保するのか? 上述のVEGF-Notchによるtip細胞およびstalk細胞の振り分けについてはその転写制御メカニズムについての研究が進んでいるが,血管の内側から血管を安定化するその転写制御についてはin vitroによる研究がもっぱらであり,ほとんどわかっていないのが現状である.筆者らは,血管新生中の血管内皮細胞においてゲノムワイドなオープンクロマチン領域解析を行うことで,S1Pシグナルが血管を安定化させるメカニズムについて特に転写制御の面から迫ることを試みた21)

4. S1P受容体多重欠損血管内皮細胞における転写制御異常

前述のように血管発生にはS1P1, S1P2およびS1P3が協調的相補的に関わることが示されていたが,多重欠損マウスが胎生致死となることから詳細な分子機序の検証が難しかった.そこで筆者らはタモキシフェン誘導型のS1P受容体S1P1~3の多重欠損マウス(S1PR-TKOマウス)を樹立した.この新規マウス系統の新生仔網膜における血管網を観察したところ,過剰な発芽と分岐形成,血管内腔の膨大化や出血を特徴とする著しく重篤な血管異常を認めた.この背景にある遺伝子発現変動を明らかにすべく,S1PR-TKOマウス網膜から単離した血管内皮細胞を用いRNAシークエンス解析を行った.その結果S1PR-TKOマウスにおいては,tip細胞特異的マーカー遺伝子として知られる遺伝子群の発現が高いことがわかり,上記の解剖学的観察が遺伝子発現からも支持された.一方,S1PR-TKOマウスの内皮細胞では中枢神経系特異的な血管内皮細胞マーカーとして知られる遺伝子群の発現が低いことがわかった.したがって,S1Pシグナルは過剰な発芽を抑制するだけでなく,血管の組織特異性獲得にも関与することが示唆された.これについては後ほど8節で議論する.

続いて,以上の遺伝子発現変動の背景にある転写制御異常を明らかにするため,同様に単離した血管内皮細胞を用いてゲノムワイドでオープンなつまりアクセシブルなクロマチン領域を検出するassay for transposase-accessible chromatin(ATA C)シークエンス解析22)を行った(図4).本解析において,S1PR-TKOマウスで増加が認められるピークつまりクロマチン上でオープンな領域において結合しうる転写因子モチーフ検索を行ったところ,アクチベータータンパク質1(activator protein-1:AP-1)転写因子モチーフがきわめて高頻度で認められた.したがって,S1PR-TKOマウス網膜血管内皮細胞においてAP-1転写因子の発現や活性が亢進していることが示唆された.

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図4 網膜血管内皮細胞におけるオープンクロマチン領域解析

コントロールマウスおよびS1PR-TKOマウスの新生仔網膜より血管内皮細胞を単離し,ATACシークエンス解析を行った.S1PR-TKOマウスでよりオープンな領域において転写因子モチーフ解析を行ったところ,AP-1転写因子モチーフが高頻度で検出された.

5. 血管網先導部におけるVEGF依存的なJunBの誘導

以上の結果より,S1PR-TKOマウスの網膜血管内皮細胞においてAP-1転写因子群の発現が亢進している可能性を考え,28種類のAP-1転写因子のmRNA発現を検証した.しかしながら予想に反し,いずれのAP-1転写因子においてもS1PR-TKOマウスでmRNAレベルでの発現変動は認められなかった.そこで,AP-1転写因子のタンパク質レベルでの変動を想定し,次に新生仔網膜血管内皮細胞においてmRNA発現の高いAP-1転写因子であるJunBに注目し,そのタンパク質レベルでの発現を網膜の免疫染色により検討した.その結果,コントロールマウスの網膜においてJunBタンパク質の発現がtip細胞を含む血管網先導部の血管内皮細胞に限局し,血管網中間部においてはその発現がほとんど認められないことを見いだした(図5).一方,S1PR-TKOマウスにおいては血管網先導部のみならずその中間部においても異所性にJunBの発現が認められ,JunBが過剰に発現していることがわかった.つまり正常な血管新生プロセスにおいて,JunBのタンパク質発現はダイナミックな発芽過程にある血管網最先端部にきわめて厳密に制限されており,この制限がS1PR-TKOマウスにおいて破綻していることがうかがえた.

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図5 血管内皮細胞におけるJunB発現の血管網先導部限局性

(A)生後6日目の野生型マウス新生仔網膜血管網の蛍光免疫染色像.血管内皮細胞(青,CD31染色)から構成される血管網は図の上方に向かって進展する.図中ではJunBシグナル(緑)を血管内皮細胞の核内転写因子ERG(赤)でマスキングし,血管内皮細胞中のJunB発現のみを描出している.tip細胞やstalk細胞を含む血管網先導部においては内皮細胞においてJunBの発現が認められる(黄,JunBおよびERGのシグナルがマージ)のに対し,下方の血管網中間部においてはJunBがほとんど発現していない(赤,ERGのシグナルのみ)のがわかる.(B)血液灌流のない血管網先導部の内皮細胞において,VEGFシグナルによりJunBが誘導される(上図).一方,血液灌流のある血管網中間部においては,血中のS1Pにより内皮細胞のJunB発現が積極的に抑制されると考えられる(下図).

次にこのようなJunBの特徴的な発現パターンの創出機構について検証を行った.上述のとおり,低酸素領域に向けたVEGFの濃度勾配により血管網先導部での血管網進展が促される.そこでVEGFによるJunB発現制御の可能性を考え,汎VEGF受容体阻害剤をマウス新生仔へ投与したところ,網膜血管内皮細胞でのJunBの発現が速やかにかつほぼ完全に消失した.したがって,先導部におけるJunBはVEGFにより誘導または維持されていることがわかった.S1PR-TKOマウスにおいても,先導部のみならず異所性のJunB発現も汎VEGF受容体阻害剤により消失したため,当該マウスにおいてVEGF経路が過剰にまた異所性に活性化していることでJunBの血管網先導部限局性が失われることが想定された.各種キナーゼ阻害剤を用いた実験により,VEGFによるJunB発現誘導はMEK-ERK経路依存的であることが判明したが,さらなる詳細については不明である.S1PR-TKOマウス血管内皮細胞において,mRNAレベルではJunBの発現変動が認められなかったことから,JunBが翻訳や分解で制御される可能性が考えられる.興味深いことに,ヒト血管内皮細胞を用いたスクリーニング研究により,JunBは主に翻訳調節により発現が制御される分子の代表として同定されている23).JunB発現が翻訳や分解で制御されることは,内皮細胞がダイナミックに移動する血管網先導部における24),より直接的で迅速な表現型転換に貢献しているのかもしれない.

6. S1Pによる血液灌流域でのJunB発現抑制

以上のように低酸素領域にかけたVEGFの濃度勾配がJunBの先導部限局性をもたらす一つのメカニズムだと考えられる.一方,前述のとおり血液由来のシグナルが灌流血管においてVEGFと拮抗することが想定されており,これによりJunBの先導部限局性がさらに厳密に規定される機序が考えられた.実際にマウス新生仔に蛍光標識レクチンを静脈注射し血液灌流のある血管内腔を染色すると,血液灌流のない血管内皮細胞にJunBが限局していることがわかる.したがって,血流由来のS1Pが血液灌流のある血管内皮細胞においてJunB発現を積極的に抑えることで,その先導部限局をもたらしていることが考えられた.そこで,S1P1による血管安定化のメカニズムの一つとしてVE-カドヘリンの関与が示唆されていることを背景に,JunB発現抑制にVE-カドヘリンが関与する可能性を考えた.野生型マウス新生仔の眼内にVE-カドヘリンの中和抗体を投与することでVE-カドヘリン依存的な接着結合を阻害したところ,S1PR-TKOマウスで認められていたように血管網中間部の異所性JunB発現が確認された.したがって,灌流血管においては血管内腔からのS1PシグナルがVE-カドヘリン依存的な接着を制御することでJunB発現を積極的に抑制すると考えられた.

7. JunBによる血管網進展や分岐形成の促進

ここまでの研究から,VEGFとS1Pの拮抗によりJunBの血管網先導部への限局的な発現がもたらされることがわかった.次に血管網先導部においてJunBが発現する意義について検証すべく,タモキシフェン誘導型の血管内皮特異的JunB欠損マウスを作製した.本マウスにおいて網膜血管網の解剖学的特徴について免疫染色により検討を行ったところ,著しい血管網進展の遅延および分岐の減少が観察された.したがって,JunBは血管網の進展や分岐形成といった血管新生の主要プロセスに密接に関わることがわかった.さらにJunBの転写調節標的となる遺伝子をスクリーニングすべく,当該欠損マウス網膜より血管内皮細胞を単離しRNAシークエンス解析を行った.その結果,JunB欠損マウス由来の内皮細胞においてはSema3aEphb3といったガイダンス遺伝子群25)の発現が減少していることが確認された.一方で典型的なtip細胞特異的遺伝子群については発現変動が確認されず,同じくVEGFにより誘導されるNotch-Dll4経路によるtip細胞選別化とは独立したシステムであることが示唆された.

8. S1Pによる血管内皮細胞組織特異化制御の可能性

2節で記述したとおり,S1PR-TKOマウス網膜血管内皮細胞において中枢神経系血管内皮細胞の特異的なマーカー遺伝子群の発現減少が認められており,内皮細胞の組織特異化が遅延していることがうかがえた.ATA Cシークエンス解析でS1PR-TKOマウスにおいてアクセシビリティの減弱しているクロマチン領域について転写因子モチーフ検索を行ったところ,T cell factor(TCF)/lymphoid enhancer factor(LEF)およびzinc-finger protein of the cerebellum(ZIC)転写因子群のモチーフが高頻度で検出された.これら転写因子群はWnt/β-カテニン経路により制御され,中枢神経系血管内皮細胞に特異的な遺伝子群の発現を誘導することが近年の数々の研究で明らかになってきている26–28).したがって,S1PシグナルとWntシグナルはTCF/LEFやZICを下流とするという点では共通するメカニズムにより中枢神経系血管特異化を誘導する可能性が考えられる.注目すべきことに,同じくWnt/β-カテニン経路で厳密に制御される主要な遺伝子であるCldn5Plvap29)についてはS1PR-TKOマウスではほとんど発現変動を認めていない.つまり,Wnt/β-カテニン経路で制御される遺伝子群の特定の部分集団がS1Pシグナルによって制御されると推察できる.筆者らはS1PシグナルとWnt経路は主に独立した機構でTCF/LEFやZICを制御し中枢神経系特異的な血管成熟を促していると想定しているが,詳細は不明であり新しい遺伝子改変マウスを用いたさらなる解析が待たれる.

9. おわりに

これまで血管内腔からの血管安定化シグナルとしてのS1Pの機能について紹介してきた.VEGFシグナルを中心とした血管新生開始のメカニズムについてはこの30年間の精力的な研究によりかなり理解が進んだ.臨床応用の面でも,抗VEGF薬は病的血管新生が原因となる加齢黄斑変性をはじめとするさまざまな黄斑疾患の最も標準的な治療法となっている.また,抗VEGF薬は抗腫瘍血管新生療法としてがん治療の現場でも活躍している.一方,その抗腫瘍効果が通常の抗がん剤との併用で認められることなどから,抗VEGF薬は腫瘍血管の「正常化」をもたらすことで効果を発揮する可能性が注目されている30).実際に長期間にわたる抗血管新生療法は,おそらく行きすぎた血管の退縮や低酸素誘発による別の血管新生促進経路の活性化により,治療抵抗性によりつながることがわかっている31).したがって,腫瘍血管を「兵糧攻め」にするのではなく,異常血管を正常血管に転換させる「血管正常化」が新たな抗腫瘍血管療法として期待されている32).本稿で概説した灌流血管でS1Pがもたらす過剰な血管発芽の抑制とその安定化作用は,このような戦略の標的として注目に値すると考えている.実際に腫瘍モデルにおいて,抗悪性腫瘍剤や免疫チェックポイント阻害剤の効果がS1P1過剰発現マウスで著しく亢進していることが確認されている33).しかしS1Pによる血管安定化メカニズムについてはまだ不明な点も数多く残されている.今回新たに見いだしたS1PシグナルによるJunB抑制はVEGFへの拮抗作用の一部にすぎない.また,S1Pが中枢神経系血管特異化をもたらす詳細なメカニズムは不明であり,さらに他臓器においても組織特異化に関わるかもわかっていない.今後,S1Pが血管を安定化して「正常な」血管に維持するメカニズムについてますます研究が進み,次世代の血管療法の標的となることを期待している.

本総説は奨励賞を受賞した.

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著者紹介Author Profile

柳田 圭介(やなぎだ けいすけ)

国立国際医療研究センター脂質シグナリングプロジェクト上級研究員.博士(医学).

略歴

2010年東京大学大学院医学系研究科分子細胞生物学専攻博士課程修了(PhD-MDコース).同年より東京大学大学院医学系研究科助教.13年東京大学医学部医学科卒業.14年ワイルコーネル医学校博士研究員(日本学術振興会海外特別研究員),16年ボストン小児病院博士研究員.18年より現職.

研究テーマと抱負

リゾリン脂質メディエーターやリン脂質代謝の研究に従事.近年は血管,特に中枢神経系血管における脂質代謝や脂質メディエーター機能の解明に取り組んでいる.

ウェブサイト

http://www.ncgmlipidsp.jp

趣味

音楽鑑賞(HR/HM).

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