生化学 SEIKAGAKU
Journal of Japanese Biochemical Society

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Journal of Japanese Biochemical Society 93(4): 435 (2021)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2021.930435

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コントロールこそがサイエンスの基本であるコロナ禍に思う

JT生命誌研究館館長,京都大学名誉教授,京都産業大学名誉教授

発行日:2021年8月25日Published: August 25, 2021
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昨日と同じような生活が今日も続き,おそらく明日もそれが続く,「日常」とはそのような文脈でのみ意味を持つ.ところがこのコロナ禍で,「日常」が「非日常」と一変し,その「非日常」がそのまま「日常」として定着しようとしている.このような情勢にあって,社会は大きな変容を強いられることになったが,私は,それは必ずしも悪いことばかりではなかったと考えるべきであろうと思っている.

このコロナ禍にあって,人々は嫌でもサイエンスに注意を向けなければならなくなった.これほどまでにサイエンスと一般社会との距離が小さくなったことは,人類の歴史のなかでもかつて一度もなかったはずである.100年前のスペイン風邪の際には,研究のレベルが今と比較にならなかったことは言うまでもないこととして,それ以上に,科学的情報の発信態勢そのものが現在のように整ってはおらず,人々は知りたくともその情報を得るのがむずかしかった.

今回のコロナ禍を一つの機会として,一般社会にサイエンスへの興味を持ってもらうことは,今後のわが国のサイエンスの発展を考える上でもきわめて大切なことだと思っている.一方で,このような非常事態になって改めて痛感するのは,生命科学に関する知識の不足だけではなく,科学的なものの見方そのものが,一般社会にほとんど浸透していないことである.

“科学的にものを見る”とはどういうことか.それを縷々論じるには紙幅が足りないが,なかでも私がもっとも大切な一つだと思っていることは,対照,コントロールの取り方という点である.サイエンスは基本,比較の上に成り立っている.何かと何かを比較し,比較対象に較べて,試験対象がどの程度違っているか.その比較が特に実験科学ではポイントである.その時,比較の対象として,何を持ってくるか.すなわちコントロールをどう取るかは,実験のデザインでもっとも急所となるところである.コントロールが正しく取られていない実験結果は,当然のことながら如何なる評価にも耐えうるものではない.

今回のコロナ禍でのさまざまの情報のなかで,私は某知事によるイソジンなどの嗽(うがい)薬の効果についての発表に大いに驚かされた.調査件数の少なさや,対照群の年齢,性別などの情報が示されなかったことは論外だが,「イソジンうがい群」は「非うがい群」に較べてPCR陽性率が顕著に減少したということから,イソジンの効果が強調されていた.この比較が意味をなさないことは,この欄の読者にはわざわざ述べる必要はないだろう.この発表に唖然とした私は,この発表のあと,全国の薬局でたちまちイソジンが売り切れたという,笑うに笑えない笑い話に衝撃を受けたものである.いかに,科学的な思考や判断が一般社会に共有されていないかを端的に示すものであろう.

これは今回のコロナ問題だけでなく,日々,テレビや新聞などを通じて,一般社会へ垂れ流しのように流布されているコマーシャルなどにも顕著にみられることである.健康増進のサプリから,皺や肌のケアまで,日々おびただしい量のCMが流れ,どれもが使ってよかった,よく効いたという体験者のコメント付きである.しかし,それが厳密な比較実験によるデータを以て示されることはほとんどない.にもかかわらず,人々はそれを買い求める.効いた,効かないをどのように判断するのか,この一点だけでも一般社会にサイエンス集団の基本的考え方が共有されるべきである.

私は研究室の学生たちに,コントロールにだけは慎重になるよう口をすっぱくして言ってきた.経験から言うと,コントロールをうまく取れない学生は,いつまで経っても伸びないものだ.結論に至るまでに,どのような対照実験をデザインできるかは,研究者としてやっていくための必須の条件でもあるし,また往々にして,対照実験から発した予期せぬ不合理こそが,新たな発見の糸口にもなったりするものだ.もう詳細を述べる余裕はないが,ささやかな経験ながら,私の発見したコラーゲン特異的分子シャペロンHsp47は,まさにそのような対照実験を繰り返すなかで,当初の思惑とまったく相容れない結果が出て,その考察から見出された熱ショックタンパク質なのであった.

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