科学研究の評価について
東北大学大学院医学系研究科医化学分野教授,東北メディカル・メガバンク機構機構長
© 2021 公益社団法人日本生化学会© 2021 The Japanese Biochemical Society
科学論文数が世界的に増加しており,10年前と較べて本邦発の論文数は同水準であるにもかかわらず,その世界シェアは6.3%から4.1%に低下しているとのことである.最近の科学新聞(2021年8月20日号)の1面に「注目論文数日本10位に後退」というセンセーショナルな見出しがあり,科学技術・学術政策研究所の調査結果公表を受けての科学研究における我が国の国際的競争力の低下が報じられていた.調査は単純な論文数や,被引用数から見たトップ10%論文数,さらに,特許と論文引用との関係など,多岐にわたっており,それなりに現在の状況を反映しているものと思われるが,実際の研究現場から見ると,この報道については若干複雑な感想を持たざるを得ない.
確かに国際的に論文数は増えているが,それにはオンライン出版社による簡便な論文出版の爆発的増加が大きな要因となっており,科学の裾野が大きく広がったことに起因するものではないと考える.これらの出版社は,かつての雑誌の売り上げにより収入を得る出版モデルから,論文著者からの投稿料徴収により収入を得る出版モデルにシフトしており,そのために簡便な論文審査で膨大な数の論文を出版している.実際に,会員の皆様にも毎日辟易するほどの論文査読依頼が舞い込んできているのではないだろうか.科学界では,長い時間をかけてピアレビュー制度を作り上げてきたが,それがこのようなビジネスモデルに都合よく利用されているように感じられる.多くの論文査読に携わってきた身から見ると,論文の質の低下は顕著である.
それでは,論文被引用数は客観的な指標になり得るのだろうか.そこで気になるのは,最近,多くの論文が基本的な発見を報じた原著論文を引用していないことである.発見を行なった主たる研究者以外の者が書いた手頃な総説論文を引用してお茶を濁しているケースが多い.ましてや,上述の簡便なオンライン出版論文などでは,本邦でなされた発見の原著論文など,全く引用されていないことが多い.この事態の改善に向けて,「国際共著論文」を増やすことの重要性が言われている.確かに,国際共同研究を行うことは我が国の研究の認知度を向上させるので,それを応援する制度の整備は重要である.合わせて,自らの研究領域の礎を築いた研究者をリスペクトし,研究領域を創世した原著論文を引用すること,それを励行・徹底することは,科学者養成の基本に直結しているのではないだろうか.筆者は,大学院に入って科学研究の道に踏み込んで以来,新規で独創的な研究成果を挙げるようにと厳しく指導され,また,そのように努めてきた.そこには,短期間の論文数や被引用数では測れないものがあると思う.我が国学術の国際競争力低下という調査結果や報道は残念なことであるが,科学研究の上で保つべき規範を,それを理由に曲げるわけにはいかないと感じている.
一方で,周囲を見渡すと国際競争力の低下に繋がっているのではないかと思う別の事象にそれなりに気がつく.一例を挙げると,研究の主力である大学院博士課程の学生数が激減している.これは筆者の所属する研究科や研究分野に限ったことではなさそうである.博士課程に進学することなく,修士として産業界に就職することを選択した学生に聞くと,奨学金返済の不安を訴えられることがある.現在の制度では,特に優秀な学生は大学院修了時に(日本学生支援機構の)奨学金返済は免除になるが,大部分の学生は社会に出るとすぐにその返済が始まる.即ち,博士課程に進むことは社会に出てすぐに大きな負債を背負うことと同義になる.筆者がお世話になった「(日本育英会)奨学金」では,博士課程での研鑽を活かして大学や公的機関で働くことで奨学金返済が免除された(免除職)ので,研究が好きな普通の家庭出身の子供たちにも機会が与えられていた.この制度は,我が国学術の発展を支えていた一つの要因だったように思う.この免除職をもう一度復活することはできないものだろうか.
筆者は,「知的好奇心の輝く科学技術立国」こそが,我が国の進むべき方向であることを信じて疑わない.このために,大学院に科学研究の好きな学生を惹きつけること,彼女/彼らと協力して最先端研究に取り組むこと,そして,堅牢な業績評価の方法を構築して学術を支援すること,の重要性を痛感している.日本生化学会の活動を通して,これらの点に少しでも貢献したい.
This page was created on 2021-09-17T10:15:48.795+09:00
This page was last modified on 2021-09-29T13:29:56.000+09:00
このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。