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公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 93(5): 593-595 (2021)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2021.930593

特集:緒言特集:緒言

生命を支える超硫黄分子の代謝と革新的な計測技術Supersulfides as essential biomolecules emerging from innovation of measurement technology

1東北大学加齢医学研究所遺伝子発現制御分野Institute of Development, Aging and Cancer, Tohoku University ◇ 〒980–8575 宮城県仙台市青葉区星陵町4–1 ◇ 4–1 Seiryo-cho, Aoba-ku, Sendai, Miyagi 980–8575, Japan

2東北大学大学院医学系研究科環境医学分野Department of Environmental Medicine and Molecular Toxicology, Tohoku University Graduate School of Medicine ◇ 〒980–8575 仙台市青葉区星陵町2–1 ◇ 2–1 Seiryo-machi, Aoba-ku, Sendai, Miyagi 980–8575, Japan

発行日:2021年10月25日Published: October 25, 2021
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硫黄は,太古の海で生命が誕生して以来,地球の生命の歴史を牽引してきた元素である.地球に最初に誕生した生物は,現代も深海底にみられる熱水噴出孔のような火山性地熱活動に伴い発生する無機物を利用した化学反応によりエネルギーを得ていたと考えられている1).とりわけ,30~40億年前に生命が誕生したころ,地球は酸素のない嫌気的な環境であったため,硫化水素などの硫黄分子が電子供与体として重要なエネルギー源であったと推察されている.現在の地球は,酸素に富む大気に包まれており,我々人間を含めて酸素呼吸を営む生物の繁栄の場となっている.これらの生物でも硫黄は,生体内のさまざまな酸化還元反応を触媒する酵素の活性中心やレドックスセンサーに利用されている.

硫黄も酸素も周期表の第16族元素に属する元素であるが,硫黄は酸素よりも電子を放出しやすく,かつ,受容しやすいという特徴がある2).第一イオン化ポテンシャルは,原子から電子を一つ取り出すのに必要なエネルギーであり,酸素より硫黄の方が小さいことから,硫黄の方が電子を放出しやすい.また,電子親和力は,原子に電子を与える場合に放出されるエネルギーであり,酸素より硫黄の方が大きいことから,硫黄の方が電子を受け取ってより安定化する,すなわち電子を受け取りやすい.さらに,硫黄と酸素の電子軌道を比較すると,いずれも6個の価電子を有するものの,硫黄の価電子の方がより外側の原子殻にあることから核電荷の影響が小さく,硫黄の方が,価電子を取り出したり,電子を加えたりすることが容易であるといえる.このように,硫黄は原始的な生物にとって酸化還元反応に利用しやすい元素であったであろう.たとえば,未熟な光合成システムを持つ緑色硫黄細菌は硫化水素を用いて還元力を得るが,これは,硫化水素を使うことにより水に比較して小さなエネルギーで電子をとり出すことができるからであり,30数億年前の嫌気的な地球環境においても同様の硫黄依存型光合成が営まれていたと推察されている.一方,地球が好気的環境になり生物が酸素を利用するようになると,酸素を最終的な電子受容体にすることで,より効率的なエネルギー代謝ができるようになり,地球上に高等な多細胞生物が出現し繁栄してきたものと考えられている.それでは,エネルギー代謝に酸素を利用できるようになった生物にとって,硫黄は本当に不要になったのだろうか? ミトコンドリアの酸素呼吸における鉄硫黄クラスターの必要性は広く認識されていたが,長らくそれ以上の理解が進むことはなかった.

硫黄は多様な化学構造や形状で自然界に広く存在している.各種化合物中で硫黄原子はプラスにもマイナスにもチャージし,酸化数は,−2から+6まで多様な酸化還元状態をとることができ,また,金属イオンの強力な配位子(リガンド)として鉄硫黄クラスターに代表されるような複雑な錯体形成をする.そして,何よりも硫黄に固有の特性は,自然界において単独元素が一次元のポリマー(カテネーション:同じ原子が長鎖状に連結すること)を作ることが知られている唯一の物質であるということである.たとえば,硫黄には多数の同素体が存在しており,環状の同素体S8硫黄の他,多数の硫黄原子が連結したゴム状硫黄(Sn)などがある.生体に存在する硫黄代謝物としては,有機物としてアミノ酸であるシステインやメチオニンとその代謝物やペプチド,タンパク質,無機物として硫化水素や硫酸,亜硫酸などが存在するとされてきた.しかし,硫黄の大きな特徴であるカテネーションを形成した代謝物が生体内に存在するのかどうかは不明であった.

硫黄カテネーションを有する化合物が存在することは20世紀初頭に記述されている3).一方,硫黄代謝物は測定時の操作の中で簡単に分解したり酸化されたりして変化してしまい,生体内の硫黄代謝物の全貌はなかなか明らかにならず,その多くが見落とされていた.2014年に我々は生体内硫黄計測法を独自に開発したことを契機に4),生体内に硫黄カテネーションを有する低分子代謝物やタンパク質が豊富に存在することを証明した.さらに,カテネーションにより活性化した一連の硫黄分子がこれまで未知の多彩な生理機能を発揮することを認知するにおよび,カテネーション型活性硫黄分子と関連代謝物を「超硫黄(スーパースルフィド,supersulfide)」と総称して,その分子情報と生物活性の解明に取り組んでいる.実際,この超硫黄の生物学的カテネーションの再発見を契機に,本特集号で紹介されているさまざまな生命現象において,超硫黄が普遍的生命素子として多彩な生理機能を発揮することが解明されつつある.このような最新の研究の一端として,地球上で酸素利用ができるようになってからも生物は決して硫黄の利用をやめてはいなかったということがわかってきた.すなわち,最終的な電子受容体として酸素を利用する酸素呼吸において,超硫黄分子が,生化学の教科書に記載のある電子伝達系と共役する超硫黄電子伝達系を形成し,ミトコンドリアの膜電位形成に必須の役割を果たしていることが証明された5).つまり,超硫黄分子が電子供与体としても電子受容体としても機能しながら,いわば,バロック音楽の通奏低音のようにミトコンドリアの酸素呼吸を支える「硫黄呼吸」の巧妙な役割が浮かび上がってきた.そして,超硫黄による硫黄呼吸が効率よく機能するためには,超硫黄の溜まり込みを防ぐために酸素や親電子性代謝物などを使った硫黄と電子の動的なミトコンドリア外放出(extra-mitochondrial efflux)が必須であることも明らかとなってきた(赤池・本橋の項を参照).

本特集では,超硫黄分子の発見の経緯とその化学的性質と代謝,生物学的意義,さらに超硫黄分子の発見を支えた新しい計測技術とそのさらなる展開について,最新の知見を16名の研究者が紹介する.超硫黄の発見とその化学的特性や生成機構については赤池が,生体における硫黄の有機化学の視点から超硫黄分子の化学的特性を中川が解説する.超硫黄分子を認識することにより解き明かされつつあるさまざまな生命現象として,ミトコンドリアtRNAの硫黄修飾についてが,光合成制御における硫黄代謝について石丸が,タンパク質の品質管理をささえる小胞体のレドックス制御について潮田が,酸化ストレス応答と硫黄代謝制御の関係について本橋が,タンパク質のシステインリン酸化について三木がそれぞれ概説する.また,細菌における硫化水素や超硫黄分子のシグナルセンシングについて増田が最新の知見を紹介する.さらに,酸素や硫黄と同様に第16族に属する元素であるセレンと超硫黄と類似性の視点からセレンが制御する超硫黄分子代謝について,斎藤が議論する.高次生命現象との関わりとしては,老化と寿命における超硫黄分子の役割について西村が,超硫黄分子が有する抗炎症作用についてが,心筋の機能維持における貢献について西田が,薬物の血行性デリバリに重要な血清アルブミンの超硫黄化について異島が,それぞれ多様な切り口から超硫黄の醍醐味を論ずる.

こうした新たな硫黄生物学の黎明を拓き,発展を支えているのは,超硫黄分子の計測技術である.現在最も信頼性が高い超硫黄分子の定性・定量技術は質量分析装置による方法である.しかし,質量分析装置を用いる計測全般の悩みとして装置・施設ごとあるいは測定ごとの変動するイオン化補正やデータの標準化が難しいという問題があり,解決には至っていない.しかし,超硫黄計測では,測定対象となる代謝物に必ず硫黄原子が含まれているので,これを安定同位体で標識すること,また,超硫黄保護試薬と反応・誘導体化して測定するため超硫黄保護試薬自体を同位体標識することで内部標準を作製できるので,質量分析による超硫黄の定量的評価は容易である.このため,超硫黄代謝解析すなわち超硫黄オミックスにあっては,通常のメタボロームやプロテオームでは困難であった定量解析と世界標準化が効率よくまた機動的に展開できるという強みがある.本特集では,このような質量分析装置を用いた測定技術のフロンティアについて,居原赤池がそれぞれの視点から概説する.また,ラマン分光法を応用した新しい超硫黄計測技術について中林が,さらに,質量分析やレーザーラマン分光法などの特殊な装置がなくても簡便に超硫黄を検出する蛍光プローブについて花岡が,それぞれ技術開発状況を紹介する.

学術の発展の陰には,独創的かつ機微で精緻な技術開発があり,また,ユニークな技術開発を支えるものも学術である.学術と技術は常に密接に関連しながら発展していることは論を待たない.これまで計測できなかった超硫黄分子が計測でき,みえるようになったことで,これまでまったく認識されてこなかった超硫黄分子の生体における重要な役割が理解されるようになり,超硫黄研究が世界中で急速に展開し始めている.一方で,細胞・組織のタンパク質調製やプロテオームにおいて汎用される試薬が超硫黄分子を速やかに分解し,硫黄カテネーションを削り込んでバラバラに分解しまう特性があることもわかっている6).すなわち,超硫黄は生命活動に必須の生体分子でありながら,多くの研究室でルーチンに採用されてきた分析方法ではそのほとんどが見落とされてきた.そこで,超硫黄の生体内代謝動態を正しく理解するために,このような予想もしなかった技術的な欠陥を解消することで,より高精度の解析手法を確立することが喫緊で重要な課題になっている6).また,これまでガス状メディエーターとして注目されてきた硫化水素の生体内検出や生理活性の多くは,超硫黄分子に由来する測定時の人工的な分解産物によるアーチファクトである可能性が示唆されており,その真の生理機能の解釈を改訂しなくてはならない6).これまでの技術や生命現象を,超硫黄を考慮した新しい視点で見直し,その基本概念を再構築する時がきたといえる.本特集から,今まさに展開しようとしている新しい生命科学研究の息吹を感じていただけると確信している.

《用語の解説》

カテネーション(catenation)

カテネーションとは,同種元素の原子が直鎖状に結合することを指す用語.硫黄はカテネーションを生じやすく,単一原子からなるカテネーションを形成する唯一の元素である.詳細は序論および赤池らの項を参照.

サルフェン硫黄(sulfane sulfur)

共有結合によって硫黄原子にのみ結合している硫黄.サルフェン硫黄については津々木らの項を参照.

ポリスルフィド(polysulfide)

硫黄原子がカテネーションにより複数結合した分子.サルフェン硫黄を含有している.無機ポリスルフィドS8(cyclo-octasulfur)やグルタチオンポリスルフィド(GSnG, n>2)など.末端が還元型のチオール基の場合,ヒドロポリスルフィド(hydropolysulfide)と呼ぶ.

ヒドロパースルフィド(hydropersulfide)

硫黄カテネーションによりチオールに硫黄が1原子結合した分子.接頭語の“ヒドロ”はしばしば省略され,単にパースルフィドと呼ばれることが多い.その場合,分子式をつけて区別する[例:システインパースルフィド(CysSSH)やグルタチオンパースルフィド(GSSH)など].

超硫黄分子(supersufide)

ポリスルフィド構造を分子内に有する硫黄代謝物の総称.カテネーション・ポリスルフィド構造により,求核性と求電子性を併せ持ち,多彩な生物活性を示す.活性硫黄分子種も超硫黄分子に含まれる.詳細は序論および赤池らの項を参照.

活性硫黄種(reactive sulfur species)

チオール化合物(SH基,sulfhydryl含有化合物)と比べて,硫黄カテネーションによりヒドロパースルフィドやヒドロポリスルフィドの求核性や還元力が顕著に高まり,より強力な抗酸化活性を示すことから,活性硫黄種と呼ばれる.

ポリスルフィド化(polysulfidation)

硫黄カテネーションにより,分子内にポリスルフィド構造が導入されること.硫黄が1原子付加されるパースルフィド化(persulfidation)を含む[例:タンパク質パースルフィド化(protein persulfidation)].

パーチオ酸化物

ヒドロポリスルフィドの還元末端が酸化されたもの.パーチオスルフェン酸(perthiosulfenic acid;RSSOH),パーチオスルフィン酸(perthiosulfinic acid;RSS(O)OH),パーチオスルホン酸(perthiosulfonic acid;RSS(O)2OH)など.

(澤 智裕)

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