生化学 SEIKAGAKU
Journal of Japanese Biochemical Society

Online ISSN: 2189-0544 Print ISSN: 0037-1017
公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
〒113-0033 東京都文京区本郷5-25-16 石川ビル3階 Ishikawa Building 3F, 5-25-26 Hongo, Bunkyo-ku Tokyo 113-0033, Japan
Journal of Japanese Biochemical Society 94(2): 151 (2022)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2022.940151

アトモスフィアAtmosphere

グローバルデータシェアリング新型コロナからの教訓

慶應義塾大学医学部医化学教室教授

発行日:2022年4月25日Published: April 25, 2022
HTMLPDFEPUB3

2014年10月末,政府が翌年4月から発足させる日本医療研究開発機構(AMED)を率いる重責を拝命した.日本の医療研究開発のしくみにはすでに領域ごとの構造的課題が多数山積していた.数ある課題のうち,「一向に進まないInternational peer reviewの導入」,「研究者が一人ではどうすることもできないデータサイエンス基盤の医療への展開」,「2000年に入ってから地球上で頻繁に起こりつつあった新興感染症への対応」の三つは喫緊の課題であった.特に三つ目は単なる免疫学や公衆衛生学の専門家では対応できるはずもなく,情報の収集と提供をグローバルに展開できる力が求められた.このため戦略推進部長(MD)や顧問など,理事長として決めることのできた主要の役職は迷わず感染症の専門家を招聘した.機構の開設後,理事長として最初に訪問したのは国立感染症研究所(以下,感染研)であった.競争的研究資金に間接経費が付かないので,病原体や実験動物の居住環境には光熱費が使えても研究者の居住環境には使えない.資金はあってもなぜかポスドクが雇用できないなど,到底理解不能な仕組みに驚愕した.国立研究所はそういうものなのだと皆が現状を飲み込んでいた.間接経費問題は後に一応解決できたものの,これが国民の生命と財産を守るための枢要な機関なのかとの思いを禁じ得なかった.

ウイルス感染症のように人の思惑とは関係なく,検疫などの防御の虚を突いて容易く侵入し,さらに宿主を変えて劇的に進化する病原体を追跡するためには,国内一極集中のデータベース構築は意味をなさない.国際的なデータシェアを可能とし,大学病院のネットワークを利用することにより「データを供給した者が平等にデータベースを利用することによって全体像を科学的に把握できる協力体制」が必要であった.病原体のゲノム情報だけを多数集めても,本質は,検体を採取した日時,場所,検査を受けた方々の症状,重症度や転機などの臨床タグ情報にあるからである.

当時パンデミックのない平時に,広域に点在する医療機関で情報をデータベースに共有し,医療課題を持った個々の医師や研究者が情報を利活用できる仕組みの成功例を研究者や患者さんのコミュニティに短期の間に提示することが喫緊の課題であった.そのため2015年7月に難病未診断疾患プログラム(IRUD)を組織し1),国際難病研究コンソシアム(IRDiRC)への加盟,GA4GHなどゲノム研究の国際連携2)の枠組みを拡大しつつ,グローバルデータシェアリングができる環境を整えた.国内では400超の医療機関が参加してくださり,ゲノム情報と表現型の共有によって多くの確定診断を得て国際的にも評価された.このプログラムが成功を収めたのは何よりも「患者さんのために正確な診断を届けたい」という現場の医師たちの願いがあったからに他ならない.

残念ながら,「情報を広域に共有し,個々の分散した情報を統合的に利用する」という目論見を新型コロナのパンデミックに見舞われた局面で生かすことができなかったのは痛恨の極みである.2020年の第1波はロックダウンによって武漢株を殲滅することができた.しかし第2波以降感染研はしばらく変異株の情報を国際データベース(GISAID)に公開しなかった.国のしくみとは関係なく,先んじて私たちの機関を含む有志の機関が変異株の最新情報を国際データベースにuploadした.ようやく2020年12月にGISAIDに公開された感染研からのデータは,「毎月一日に,採取地はJapan」としてuploadされていた3).他国では日付と都市名は最低限のアイテムとされていた.これらのデータが正しく公開されていれば,Go-to-Travelの功罪に関する不毛な議論もせずに,「何処から何処に特定の変異株が移動したか?」「それが航空便旅客の公開情報とどのような相関があったか?」などが即答できたはずである4)

今思えば,第2波は第5波,第6波に比べて小規模であったものの,当時国内産の変異株は複数存在し,現在低分子医薬の重要な分子標的であるメインプロテアーゼには従来のβ-coronavirusでは保存されていたP108S変異(機能減弱型)が確認された3).さらに2020年12月以降海外から瞬く間に外来変異株が「入国」し,一方で日本から「輸出」された株も存在した.いまだに感染研・保健所・地方衛生研究所の方々にはそれ以外の凄まじい行政業務が山積しているはずでご苦労が偲ばれるが,国内変異株のサーベイランス体制は脆弱である.感染者データの集計方法は地方自治体ごとに異なっているのも一因である.一方で健康医療を統括していた一部官僚の「想像力のない創造力:思いつき」によって,無計画に資金と機材がばら撒かれる一方,データ共有を阻む規制が見直されないために,現場の課題解決ができない現状がある.これを打破し,研究者が自由な発想で未知の敵と対峙し,課題を解決する体制が次のパンデミックが襲来する前に構築されることを願ってやまない.

This page was created on 2022-03-09T11:03:10.893+09:00
This page was last modified on 2022-04-05T10:47:12.000+09:00


このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。