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公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 94(4): 477 (2022)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2022.940477

アトモスフィアAtmosphere

データベース時代のネーミング考

奈良国立大学機構理事,京都大学名誉教授,甲南大学名誉教授,日本生化学会名誉会員,American Society of Plant Biologists名誉会員

発行日:2022年8月25日Published: August 25, 2022
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日本生化学会は3年後に設立100周年を迎える.生化学会は,学部時代に初めて入った学会であり,本学会の後半の歴史は筆者の研究のあゆみと重なる.この間の筆者の2つの失敗に触れながら,「女性研究者の著者名」と「遺伝子の命名」について,データベース時代の今,考えることを記してみたい.

第4期中期目標・中期計画では,多くの国立大学が,女性教員比率向上を目標として掲げている.日本生化学会の女性会員比率は23.3%(2022年)であり,科研費応募者の女性比率20%弱(2021年)に見合っている.興味深いのは,本学会の学生会員の女性比率の高さ(42%)である.「次世代を担う女性研究者のたまご」が学会を活躍の場としていることがうかがえる.彼女たちに期待したいと考えるのは筆者だけではないはずである.

京都大学在職中に主催した相談事業では,ハラスメントを含む多様な相談があったが,その中に,若手女性研究者からの「論文の著者名」に関する相談があった.「旧姓で既に論文を発表しているが,結婚後の論文の著者名をどのようにすれば良いか」というものである.この相談は,件数としては少ないが,個人にとっては重要なものと考え,筆者自身の失敗に触れつつ取り上げさせていただきたい.

日本学術振興会・学術システム研究機構の副所長時代に,科研費審査システム改革があり,応募者の業績は,researchmapを参照することとなった.データベース社会では,個人を特定する名前は,その人の活動を正しく理解するために重要である.著者名は,ペンネームということで好きに決めることができるが,中途の改名は活動実績(業績)の分断を招くことを十分考慮してほしい.

筆者の場合,結婚前は,原いくこ/HARA, Ikukoとして活動し,結婚後は,西村いくこ/NISHIMURA, Ikuko(国内活動)とHARA-NISHIMURA, Ikuko(論文,国際会議)としたため,和名2種類と英名3種類をもつ身となった.ここで,Hara-Nishimura, Ikukoを公的に証明してくれるものは何もない.海外からDr. Hara-Nishimura宛に送付された航空券や原稿執筆料は厄介である.余談ではあるが,唯一変わらないものはFirst nameのみで,筆者は,研究室でも植物系の学会でもFirst nameで呼ばれている.

旧姓での論文発表(学位論文も)や学会発表がある場合は,旧姓を継続使用することを勧めたい.これから結婚される方には許していただくとして,旧姓の継続使用により,離婚時の再改名という事態を避けることもできる.相談事業では,婚家に配慮したいというケースもあった.婚氏を入れるのであれば,婚氏をハイフンで繋ぐのではなく,ミドルネームとすることを強く勧める.筆者(旧姓HARA)の場合は,Ikuko HARA-NISHIMURAではなく,Ikuko Nishimura HARAとすべきであった.これにより「姓(Hara)」の改変を避けることができる.これから研究者として自立しようとする女性研究者へのアドバイスとして参考にしていただけると幸いである.

2つ目のデータベース時代考に移る.学位取得後の筆者は,競争を避けて,当時あまり注目されていなかった「植物細胞社会のゴミ捨て場である液胞」の研究に打ち込んだ.この過程で,(i)ゴルジ体をバイパスする液胞タンパク質輸送経路,(ii)液胞選別輸送レセプターVSR(Vacuolar Sorting Receptor),(iii)液胞プロセシング酵素VPE(Vacuolar Processing Enzyme)の3つの発見があった.この内,動物細胞や酵母で報告がなかったゴルジ体非依存的輸送経路は受け入れられるまで長い年月を要した.当時,動物細胞や酵母の分子生物学研究は圧倒的で,植物科学研究が,これらの成果に振り回されることに抵抗を感じていた.

一方,液胞プロセシング酵素VPEの研究は,植物の細胞死という意外な方向に発展した.ウイルス感染した細胞では,VPEが液胞膜崩壊を誘導して分解酵素を放出することで,ウイルスを攻撃する.それぞれの細胞が自力で対処しようとする植物の自立本願的な生き方は,動物の「感染したら免疫細胞に任せておけばよい」という他力本願的な生き方とは対照的で面白い.その後,植物から動物の世界へと一歩踏み込み,VPEホモログのノックアウトマウスを作出した.この成果を論文にする時に,遺伝子名として,VPEを捨てて,AEP(Asparaginyl Endopeptidase)とした.これが混乱を招いた.植物の側から動物の研究に橋をかけることで,双方の学問の壁を取り払いたいという願望を自ら潰してしまったことにも後悔が残る.

生物学の分野では,ゲノムという共通言語を用いて多様な研究分野の融合が進んできている.研究に携わる個人もORCIDなどのIDをもち,データベース化されている.データサイエンスの流れの中で,正しく適切な情報を与えることに目を向けていただければと反省をこめて拙文を寄稿させていただいた.

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