Online ISSN: 2189-0544 Print ISSN: 0037-1017
公益社団法人日本生化学会 The Japanese Biochemical Society
Journal of Japanese Biochemical Society 94(5): 645 (2022)
doi:10.14952/SEIKAGAKU.2022.940645

アトモスフィアAtmosphere

転んでもただでは起きない失敗から学ぶ

大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授,第91回(2018年)日本生化学会大会会頭,2020・2021年度日本生化学会会長

発行日:2022年10月25日Published: October 25, 2022
HTMLPDFEPUB3

生化学会会員の務めとして,アトモスフィアを書かなければいけないと思っていましたが,これまでに寄稿された先生方のような高邁な提言や主張が浮かんできませんでした.私は2022年の3月に定年退職しましたが,沢山の失敗と小さな成功体験の繰り返しにより,研究を継続してきました.世に出ることのない失敗談をご紹介することで,生化学会会員の皆様に何かをお伝えできればと考えました.

1988年に医学部生化学教室の助手になった私は,低分子量GTP結合タンパク質(低分子量Gタンパク質)の活性制御に関する実験をデザインしていました.Gタンパク質はGDPが解離してGTPが結合すると活性型となることから,GDPの解離を促進するタンパク質が活性化因子となります.他のGタンパク質であるタンパク質合成の開始因子や伸長因子,あるいは受容体連結型三量体Gタンパク質には活性化因子が存在していましたので,低分子量Gタンパク質にも類似タンパク質が存在すると考えました.低分子量Gタンパク質の一種であるRab3A(私共が精製した新規タンパク質で,当時はsmg p25と呼んでいました)からGDPの解離を促進するタンパク質を同定するために,Rab3Aを[3H]GDPで標識し,ウシ大脳可溶性画分とインキュベーションした後に,メンブランフィルター上に[3H]GDP-Rab3Aを吸着させ,アイソトープ量を測定しました.メンブランフィルター上の[3H]GDP量が減れば,Rab3AからGDPが解離されたことになります.ウシ大脳可溶性画分に本活性が認められ,熱処理やトリプシン処理によりその活性が消失したので,Rab3AのGDP解離促進タンパク質(GDP dissociation stimulator:GDS)が存在すると確信し,分子量67,000のGDS活性を有するタンパク質を精製しました.GDSは当然Rab3AへのGTPの結合を促進すると考え,Rab3AとGTPγ[35S],GDSを同時にインキュベートしましたが,メンブランフィルター上のGTPγ[35S]量は減少しました.この結果は意外でしたが,この時には,精製したRab3A GDSがRab3AからGDPもGTPも解離する活性を有していると考えました.そして,本論文を投稿し,採択されました.低分子量Gタンパク質に対する初めてのGDPとGTPの交換制御タンパク質を“取れた”と思い,意気揚揚でした.

論文採択後,別会社のメンブランフィルターを用いて実験をするようになりました.Gタンパク質のGDPやGTPの結合活性そのものについては以前の会社のメンブランフィルターと変わらない結果でしたが,GDS活性には衝撃的な違いが出ました.別会社のメンブランフィルターを用いると、GDSにRab3Aから[3H]GDPの解離を促進する活性が認められなくなりました.いくつかの実験の結果,私達がもともと使用していた会社のメンブランフィルターには[3H]GDP-Rab3AとGTPγ[35S]-Rab3Aが吸着するのですが,[3H]GDP-Rab3AまたはGTPγ[35S]-Rab3AとGDSが複合体を形成すると,そのメンブランフィルターを通り抜けてしまっていたのでした.この結果は,精製したタンパク質にはGDS活性がないことを示したもので,採択された論文が間違っていることが決定的となりました.直ちに教授に報告し,教授は論文の撤回の手続きを行ってくださいました.1989年のことですので,採択されても論文内容はタイトルも含めてすぐには発表されていませんでしたので,レフェリー以外に知られることなく撤回されました.もともと考えていた自分の結論は完全に否定されましたが,私の手元には精製したGDSと名づけた精製タンパク質がありました.よくデータを見てみると,GDSは低分子量Gタンパク質からのGDPの解離を促進しませんでしたが,少し阻害する様子が認められました.そこで,Rab3AからのGDPの解離を強く促進する条件でGDSを加えると,GDPの解離が抑制されることが分かりました.自分が取りたいと思ったタンパク質と逆の作用を持つタンパク質,すなわちGDP解離抑制タンパク質(GDP dissociation inhibitor:GDI)が精製できていたのです.さらに,Rab3A GDIの存在下ではRab3AとGTPγ[35S]の結合が抑制されることも示され,GDIはRab3AからのGDPの解離を抑制する結果,GTPの結合を阻害するという,ストンと腑に落ちるデータを得ました.現在,GDIはRabファミリーやRhoファミリーの広範な低分子量Gタンパク質からのGDPの解離を抑制するとともに,低分子量Gタンパク質の脂質修飾を認識することにより,その細胞内局在を制御することも明らかになり,大変重要な働きをするタンパク質(Rab GDI, Rho GDI)であると位置づけられています.また,低分子量Gタンパク質に対してGDS活性を有するタンパク質が存在することも,多くの研究者により明らかにされました.

実験をしている本人が考えもしなかったタンパク質を精製したのですから,GDIの新規性は高いものです.当時(1990年頃)はSerendipityという言葉は知らず,「真面目にデータに向き合っていると,神様は見捨てないんだな」と思っていました.勿論,GDS活性を測定する際にデータの解釈をもっと慎重に行うべきだったと反省点もありますが,この大失敗とその後の立ち直りと展開を経験したことにより,多くのことを学び,研究に対してさらに慎重に謙虚に向き合うようになりました.皆様の周りには,思いもかけないデータはありませんか?

This page was created on 2022-09-09T11:43:40.592+09:00
This page was last modified on 2022-10-14T14:39:03.000+09:00


このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。