追悼:竹縄先生の思い出
京都大学大学院工学研究科
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2025年3月30日,竹縄忠臣先生が肺炎でご逝去されました.80歳でした.竹縄先生は脂質生化学の研究で非常にご高名であり,イノシトールリン脂質PI(4,5)P2を加水分解する酵素ホスホリパーゼC(PLC)の研究,細胞膜受容体活性化によるシグナル伝達の研究,PI(4,5)P2の結合によるタンパク質の機能調節の研究,アクチン細胞骨格の動的再構成と細胞膜構造の変化の研究,など脂質や生体膜の機能・構造に関わる幅広い分野で大きな貢献をされました.ここに謹んで哀悼の意を表します.
「PLCで有名な竹縄先生が医科研に来られることになったよ.院で行けるから会いに行ってみたら?」
1992年の春,ショウジョウバエPLCδの遺伝子クローニングをテーマとした卒業研究をご指導してくださっていた榎森康文先生(当時,東京大学理学部生物化学科助教授)のこのお言葉が,私のその後の人生を決定付けることとなりました.当時,老人研と言われていた東京都老人総合研究所を訪れたところ,竹縄先生はPLCのお話ではなく,PNAS誌に採択されたばかりのシグナル伝達分子ASH(Abundant Src Homology)クローニングの論文原稿を私に見せ,SH2/SH3ドメインのみから成る小さなアダプター分子の話をされました.学術論文などほとんど読んだこともなかった私にはあまりよく理解できませんでしたが,最新の研究成果を誇らし気に語る竹縄先生の姿は私にとって面白く映り,大学院はここにしようと思いました.
翌年4月から,東京大学医科学研究所のとても古びた2号館4階にあった癌生物学研究部で,M1の大学院生として竹縄先生のご指導を受けることになりました.老人研から共に移られた深見希代子先生や三浦賢司先生の他に,中国からの留学生の劉さん・庾さん,日本女子大学から卒研生として派遣されてきた杉田さん・高橋さん,また留学準備中だった加藤裕之先生がときどき顔を出されるだけの小さな研究室でした.
竹縄先生は時間が空くと研究室を歩き回り,「獲物」を見つけてはいろいろと話し込まれていました.毎日のように長々と話されていたので,そういう状況でよく仕事ができたものだなあと思います.
「Sue Goo RheeにPLCのクローニング競争で負けてなかったら,もっと偉くなれてただろうなあ,まあ人生なんてそんなもんだよな,はははは!」
竹縄先生がお話しされたことで,最も強く印象に残っているコメントです.先生が学生に言うことだろうかという気がしないでもありませんが,もしかすると「どんなに独創的な研究であったとしても,競争から逃れることはできない」という戒めだったのかもしれません.当時の私にとっては,こういう現実的で人間味のある竹縄先生のコメントを聞くのはとても愉快でしたし,またM1の学生を対等の話し相手として見てくれているのだなとも感じていました.
1994年の春には,まさにそのPLCクローニング競争の勝者であるRhee先生(当時,米国NIH研究部長)が来日され,2週間ほど竹縄研に滞在されました.競争に勝ち負けはあるけれども,良きライバルをもつことの重要性を学ぶ機会にもなりました.
「You’re the eldest son in the lab, so you have to work hard.」
Rhee先生とのマンツーマンのミーティングで,自分の研究についてたどたどしい英語で説明し,なんとかご理解していただいた後,立ち去り際にいただいたお言葉です.儒教の国である韓国ご出身のRhee先生らしい励ましと受け止めました.僭越ながらも,この追悼文をお引き受けしたのはこれが一番の理由です.
その後,研究室にはたくさんの学生が集まるようになり,竹縄研は大いに発展してゆきました.私は勝手なことをやってさっさと家を出て行った放蕩息子のような立場ではありますが,最初に学位を取るということで長子としての最低限の義務は果たすことができたと思っています.Rhee先生に言われたことは,ずっと竹縄先生にお伝えすることがありませんでした.きっと「三木君がいようがいまいが大差はないよ!」と嬉しそうな嫌味で返してくださっただろうなあ,と思います.もうそれを聞くことができなくなったのはとても残念です.
最後に,竹縄先生の書かれた東京大学の学内広報誌『淡青』(No. 1290)の記事「2流の研究の勧め」からの抜粋です.
「一流の研究は競争が激しく生き残るのが精いっぱい,なかなか超一流にはなれない.しかし2流の研究はほとんどが2流のままだが,まれに超一流に化ける.」
流行に飛びついたり,長いものに巻かれたりするのはやめて,自分の研究と言えるものに取り組みなさい,という竹縄先生の勧めと捉えています.なお,この記事は決して「2流でいいや」という開き直りではなく,意外なことに「チャレンジ=ギャンブルしよう」という言葉で締めくくられています.「なんだかよく分からないけれども,面白そうな新しい先生」のところに飛び込んだことが,私にとっての最初の小さなチャレンジだったのかもしれません.ご指導ありがとうございました.ご冥福をお祈り申し上げます.
京都大学大学院工学研究科 教授 三木裕明
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