中嶋暉躬先生を偲んで
国立健康危機管理研究機構国立感染症研究所
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日本生化学会 名誉会員の中嶋暉躬先生におかれましては,2025年1月4日に逝去されました.91歳でした.
中嶋先生は生化学,分析化学,天然物化学の領域を縦横自在に往来し,ライフワークとなされた“小動物が産生する生物活生物質の探索と構造解明,作用機序の研究”に多大な業績をあげられ,この分野の知見の拡充に著しい貢献をなされました.“小動物”と書きましたが,先生の研究対象はクラゲ,ハチ,クモ,カエル,ヘビ等々と多彩であり,これらの生き物に関しての驚くほどの博学と自由な発想で,時にはユニークなアッセイ法を考案されて,研究を進められました.構造決定なさった新規物質は,ペプチド,ステロイド,β-カルボリン関連化合物,ポリアミン関連化合物などと幅広く,“生き物ってこんな面白い物質を作っているのか,へぇー”と,私たちを引き込んでしまう世界を示してくださりました.また,ご在職になられた東京大学,広島大学,東京医科歯科大学(現・東京科学大学),サントリー生物有機科学研究所,星薬科大学の多くの学生・後進を,ご研究を通してご教導くださりました.
中嶋先生は「動植物が好きだったので理学部に進学しようとも思った」(以後,かぎ括弧内は先生のお言葉等から引用)そうですが,薬学部へ進学されました.当時の東大・薬学部では,学部4年生時と大学院とでは異なる研究室を選ぶことも少なからず,先生も4年生では生薬学教室にて,大学院からは薬品分析化学教室で学ばれています.先生が天然物化学と分析化学の両分野でご活躍された背景に,二つの研究室でのご研鑽があろうことは想像に難くありません.薬品分析化学教室で,教室の研究を引き継いでハチ毒成分の分析に携わっていた時に,毒の中にセロトニン,ヒスタミンなどの活性アミンやブラジキニンが含まれることを見つけ,さらに「全くの偶然」から,カエルの皮膚にも同じようにブラジキニン,セロトニン,ヒスタミンなどが含まれることを発見されました.“ブラジキニンはカリクレイン−キニン系により産生される血圧降下物質である”という当時の常識から外れる発見に,「目から鱗が落ちた気がした」と明かされています.
広島大へ異動後は,カエル皮膚の活性ペプチドの探索・構造解明を精力的に進められて,哺乳類のbrain-gutpeptides(脳−腸管ペプチド)の多くが予想もしなかったことにカエル皮膚にも存在することを突き止められ,生き物の不思議を示されました.また,肥満細胞を脱顆粒させる作用がスズメバチ毒にあることを見つけ,その本体が新規ペプチド(マストパランと命名)であることを明らかにしました.14残基の疎水性および塩基性アミノ酸からなるマストパランはペプチドの生物化学研究の格好のモデルとなり,東大・理学部・生物化学教室との共同研究から,“両親媒性ペプチド”の先駆け的な概念,あるいはマストパランが(細胞膜上の受容体を介さずに)Gタンパク質(Go)に直接結合してGDP-GTP交換反応を促すことなどを明らかにされています.
この頃にご執筆の“陸棲小動物毒の化学的検索”と題する著作において,先生は「動物毒成分の単離と化学的解明に関する問題は,…(中略)…未知の活性物質に対する微量解析手段の開発の場としても重要なテーマを提供している.」と書いていらっしゃいます.ご卓見のとおり,先生は蛍光分析法や当時の先端機器だったHPLCを積極的に採り入れて,ペプチド,アミノ酸,生物活性アミン類の高感度分析法の開発・改良に力を注がれました.高感度分析法の開発・改良は先生のご功績の一つであり,前述の数々のペプチドの発見・構造解明に結びついています.
その後,東京医科歯科大を経て東大へ戻られ,新規の強心ステロイド,白血球走化性ペプチド,抗菌ペプチド,などを単離して,化学構造を次々に解明されました.さらに,この時期に始めたクモ毒成分の研究が,研究のご関心を更に広げました.当時,興奮性神経のグルタミン酸受容体(GluR)のcDNAクローニングは未だ成功しておらず,GluRは専ら作動薬(アゴニスト)の薬理学的な応答の違いによって幾つかのタイプに分類されていましたが,分類の検証のために阻害薬の開発が切望されていました.東京都神経科学総合研究所の先生がジョロウグモ科(Nephilidae)のクモの毒にGluRの阻害物質が含まれることを見出されており,共同研究が始まって活性画分をアミノ酸分析にかけたところ,ペプチドとは思えない! 同様のクモ毒素の構造解明をロシアや英国でも進めているという情報が聞こえてくる中,先生も自ら,構造未知の毒素のNMRスペクトルの解釈に没頭なされました.ご自宅で二次元NMRスペクトルを広げて夢中になっていたら,「先生が試験前の学生さんみたいですね,なんて(御奥様に)言われてしまったよ」とユーモラスに語ってくださったことを懐かしく思い出します.競い合いの末に海外研究者と同時に構造解明した毒素(JSTX)は,ヒドロキシフェニル酢酸,アスパラギン,ポリアミンがアミド結合によって直鎖状に繋がった,全く新規の分子でした.さて,構造解明を果たし,化学合成した一連の類縁体の構造活性相関を調べて“これで落着”と思いきや,先生には“終わりが始まり”であり,サントリー生有研へ移られた先生は,研究所の質量分析研究を見た途端に「それまでは質量分析は天然物の構造証明の後付けに使うくらいの認識しかなかったが,すっかり虜になった」とのこと.精鋭研究陣とともに,質量分析法によるクモやハチの毒液中の化合物の分析に挑戦されました.その成果を単独著者の総説としてまとめられており[Proc. Jpn. Acad., Ser. B 82, 297‒310 (2006)],先生の探究心にあらためて感銘を受けました.
中嶋先生の門弟は,廊下や研究室で先生にお会いすると,歯切れ良く「(実験結果は)どうなりましたか?」と尋ねられることが日常でした.「どうなりましたか?」という恩師の軽快なお声が思い出されます.
多くのご指導をどうもありがとうございました.謹んで安らかなご永眠をお祈り申し上げます.
国立健康危機管理研究機構国立感染症研究所 萩原健一
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