
研究人生を振り返って
1 大阪大学免疫学フロンティア研究センター自然免疫学研究室特任教授
2 兵庫医科大学名誉教授
3 大阪大学名誉教授
4 栄誉教授
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良い研究をするためにはどのようにすればいいか,いつも考えながら研究してきた.いい研究成果を生むためには,運と努力が必要なことはいうまでもない.これまでの自分の研究の軌跡を振り返りながら,どのような出来事が自分の研究人生に大きな影響を与えたか述べてみたい.医学部に入って臨床内科医を数年やっているうちに,研究をしてみたいという願望がでて卒後三年目に大阪大学の臨床系の大学院,岸本忠三教授の研究室(当時の第三内科)に入った.その当時はよもやどっぷりと基礎研究者になるとは思っていなかった.大学院生になるまでの学生時代は学術書や論文を読んで最新の知識を得ていた.しかしある時,ある先生からあまり知識だけがありすぎると研究者としては大成しないと言われショックを受けた.その当時は論文だけを読んで全面的にそれを信じていた.今はこの言われた意味がよくわかる.もともとはT–B細胞の相互作用の研究をやりたいと思って入学したが,4月1日に岸本教授に当時本庶佑教授が主宰されていた大阪大学遺伝学教室に連れて行かれた.自分の希望とは異なったが,このことがその後の私の研究人生に大きな影響を与えた.全く分子遺伝学の知識がなかったが最先端のラボで最新の分子生物学に触れることができた.2年間出向し,免疫グロブリン遺伝子の再構成の研究を行った.卒後はその研究の続きで当時カリフォルニア大学バークレー校の坂野仁教授のラボに留学し,VDJ結合にかかわる研究をした.留学して2年たった頃,岸本教授から大阪大学細胞工学センターの助手のポジションをオファーされた.帰国後は,IL-6の転写とシグナル伝達経路の研究を行い,転写因子NF-IL6(C/EBPβ)とSTAT3をクローニングすることができた.細胞工学センターでは自由に楽しんで研究していたが,気づくと助手生活10年になろうとしていた.その後,何回か大阪大学の教授職に応募したが落選,最後に兵庫医科大学からお誘いがあり行くことに決めた.しかしこの転出は私にとって好機であった.私のもとで研究をしていた竹田潔君(現在大阪大学免疫学フロンティア研究センター拠点長)以下5名の大学院生がついてきてくれた.さらにその同じ時期にCRESTのグラントができ毎年1億円の研究費が獲得できた.独立するまでは所属するラボで良い業績を上げること,独立したらその研究は継続せず自分自身のオリジナルの研究テーマを見出すことに決めていた.新たなテーマを見つけるためノックアウトマウスを使ったテーマ探しを行った.これまでの研究と関連する分子をかたっぱしからノックアウトし,面白い表現型が出たらその分子機構をさらに調べていく.その過程でMyD88遺伝子(STAT3の下流で誘導されてくる遺伝子)のノックアウトマウスがエンドトキシンに反応しないことが偶然見つかり,それがきっかけとなりトル様受容体(TLR)の発見につながり,さらに当時未開拓の自然免疫の分野に進むことができた.またTLRシグナル伝達の全貌もあきらかにした.その後TLRシグナルの下流で誘導されてくる分子群の機能解析を行い,その中でRegnase-1分子に出会った.Regnase-1は各種mRNAの3′非翻訳領域に結合し分解する,炎症,免疫,代謝に重要なendoribonucleaseである.これまで自分の強い意志で研究対象を決めていたわけではないが,いつもその時の状況で自分に最も適切な研究対象を選んできた.常に新しいテーマにチャレンジし,最もホットな領域に身を置きたいと願ってきた.新しいテクニックを最大限に導入した.オプティミストな気持ちをいつも大事にし,やるかやらないか迷ったら後悔しないためにやってみた.一番の幸運は,最高の指導者と優秀な弟子に恵まれたことであると思う.残りの限られた研究生活でこれまでの基礎研究の成果から創薬につながる研究ができたらと考えている.
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