
日本生化学会のセンテニアルに夢みることForeword
1 京都大学名誉教授
2 京都大学複合原子力科学研究所 特任教授
© 2025 公益社団法人日本生化学会© 2025 The Japanese Biochemical Society
私が最初に生化学に出会ったのは,学部学生時に科学英語の勉強を兼ねて独学した『ハーパーの生化学』を通してでした.その内容に圧倒されると同時に,生命現象を化学の言葉で解き明かす学問に魅了されました.その後,大学院に進学した年に日本生化学会の大会に初めて参加し,この学問分野の裾野に加わって,その最前線を見聞できることが心から嬉しかったことを今でも鮮明に記憶しています.爾来,日本生化学会100年の歴史の後半半世紀を見てきました.この間,生化学は次々と技術革新と生命現象のパラダイムシフトが加速度的に進展する極めて刺激的で楽しい分野であり,この時代を研究者として過ごせたことは本当に幸せな経験でした.また,生化学会は医学・歯学・薬学・理学・工学・農学分野の研究者を包含する扇の要のような学会であり,異分野の研究者が“生命をつかさどる化学の解明”の旗印のもとに集い交流する場が会員に提供されてきました.私も,生化学会で計り知れない恩恵を受け,そのことに感慨と深い感謝の念を持っています.そのような生化学会の今後の役割については,「生命現象を理解する研究は,いまだとば口に立ったばかりであり,空間軸と時間軸で変化する場のなかで物質の相互作用を介して営まれるロバストで複雑なシステムの解明には,より高度化した生化学的なアプローチが益々重要になってくる.生化学は依然として他の分野の研究と連動して発展する“同時代性”を持つ生き生きとした学問分野であり続ける.」と考えています.しかし,その一方で明るい未来に影を落とす,気になる事柄が二つあります.
一つは,最近10年ほど,生化学はブレークスルーが生み出されにくいピークを過ぎた分野で,生命の真理の探究で果たす役割が,以前ほどは大きくはないとみなす風潮が漂っていることです.そして,生化学会の正会員の数もピーク時の6割ほどに減少しました.このように元気をなくしているように見えるのは,実は,生化学会に限ったことではありません.現在日本では,科学全般で研究力の凋落が進行しており,その根っこにはアカデミアのSTEM分野に共通する深刻な問題が存在しています.端的にいえば,実質的な研究費の目減りと過度な「選択と集中」の予算配分,偏った論文至上主義による評価,重い事務作業の負担による研究時間の減少,過度の任期制の導入による若手研究者の雇用の不安定化が日本のアカデミアや研究機関における研究環境を悪化させています.これらが,多くの研究者の研究生活と人生設計の両面に深刻な影を落とし,長期的な研究戦略を重視した基礎研究にじっくりと取り組む余裕や活力を持てなくさせています.そして,その現状をつぶさに見ている若手の多くはアカデミアの研究職を目指さなくなっています.国と大学はこれらの問題を抜本的に解決する取り組みを,加速度的に進めるべきです.
二つ目の事柄は,学会における女性研究者の活躍と寄与です.女性の参入は人材の確保と同義であり,女性が持つ膨大な才能やイノベーションが科学の発展にもたらす寄与は計り知れません.しかし,日本の科学技術分野には,国際的にみて特異といってもいいほど極端なジェンダーギャップが存在しています.生化学会も例外ではありません.1990年代頃までは大会会場で女性発表者が珍しがられ,懇親会の会場ではコンパニオンに間違われる(!?)ほど,女性会員が極端に少ない有様でした.現在はさすがにそのようなことはなくなりましたが,正会員の女性比率はパリテ(均等)からは程遠い25%,これまでの歴代会長は全員男性,大会の会頭も女性はこれまでにわずか3名,理事と代議員の女性比率は12%と13%,依然としてジェンダー不均衡な状態です.現在,学生会員の女性比率が47%ですから,生化学会は近い将来にパリテを実現することが可能な学会です.学会での女性正会員の増加と活躍のため,少なくともシンポジウムのオーガナイザー,講演者,各種委員会の委員,役職者の女性比率を正会員の女性比率以上にする取り組みが学会には望まれます.
ジェンダーの不均衡が遠い昔話となり,多様な人材が憧れるような研究環境の中でエキサイティングな発見が次々と生み出されるような風景を,バイセンテニアルを盛大に祝う100年後の日本生化学会に夢みています.
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