N-型糖鎖を紐解いた研究者,木幡陽先生を悼む
1 埼玉医科大学総合医療センター
2 (元)公益財団法人佐々木研究所
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本会名誉会員の木幡陽先生が2026年2月23日に急逝されました.92歳でしたが,66歳まで東京都老人総合研所の所長を務められ,その後は公益財団法人・野口研究所の顧問として最後まで糖鎖研究の発展にご尽力されてきました.今年の賀状も端麗な文字で綴られており,お元気な様子が伺われていただけに訃報をにわかに信じられませんでした.
先生は1956年に東京大学医学部薬学科を卒業,1958年に同大学院化学系研究科(薬学修士)を修了されました(指導教官・浮田忠之進先生).その後,武田製薬工業株式会社に入社し,時代的に乳児栄養という観点から母乳の成分の研究を行われ,そこにヌクレオチドに糖が二つ三つ結合した新規糖ヌクレオチドが含まれていることを見いだされました.この発見により1962年に東京大学から薬学博士を授与されています.1967年に同社を退職し,NIHのVictor Ginsburg博士(GDP-Fucの発見)の下で客員研究員として研究に従事され,母乳中のオリゴ糖にA,B,H(O)やLea,Lebなどのヒト血液型物質を見いだされ,その生合成経路を酵素学的に世界に先駆けて明らかにされました.その後1971年に神戸大学医学部(生化学第一講座)の教授として帰国され,人乳オリゴ糖のパイオニア的な研究を進められる傍ら,タンパク質に結合したN-型(Asn-型)糖鎖の構造と機能の解明へと乗り出されました.当時,N-型糖鎖の機能への関心が高まる中,その構造を知る術が確立していませんでした.先生はタンパク質から糖鎖を外すエンドグリコシダーゼを探索しつつ,かつ化学的遊離法を試みられました.苦慮の末,無水ヒドラジンでAsnに結合した糖鎖を切り出し,遊離した糖鎖の還元末端をNaB[3H]4で標識する手法を考案されました.この[3H]標識オリゴ糖の非還元末端をガラクトシダーゼをはじめとする種々のエキソグリコシダーゼで逐次消化し,その消化産物をBio-Gel P-4ゲルろ過カラムで回収し遊離単糖の数をかぞえて配列を推定し,メチル化分析で結合位置を決定するという,画期的な微量解析法を編み出しました.この手法の確立によって糖鎖生物学の幕開けが訪れ,1985年東レ科学技術賞を受賞されました.1982年には東京大学医科学研究所の教授として大学院時代の古巣に戻られました.N-型糖鎖の構造解析技術は時代の要求と一致し,これに魅了された大学院生はじめ産学官から俊英たちが木幡研究室に集い,それぞれ固有の試料の構造を解析し,その機能の解明を試みました.エリスロポエチン,インターフェロンβ1,血液凝固因子をはじめとする組換え体タンパク質,フィブロネクチンやラミニンなどのマトリクスタンパク質,インテグリン,CD11/18,CD36,CD45などの細胞膜タンパク質,ペプチドホルモン,免疫グロブリンGをはじめとする血清糖タンパク質などで糖鎖の構造と機能の一端が明らかになりました.そこから糖鎖の構造には種特異性,臓器特異性,ミクロ不均一性などが存在することも明らかになりました.さらに個体の発生分化,種々の疾病で糖鎖の構造が変化することを見いだしました.一例をあげると神戸大学医学部産婦人科学教室との交流から始まり医科研退官まで続いたヒト絨毛性ゴナドトロピン(hCG)の共同研究では,健常妊婦,胞状奇胎、破壊奇胎、絨毛がん患者由来のhCGの糖鎖構造に明瞭な差異があることを見いだされ,診断法の開発へと繋げられました.この研究により,ホルモンの活性発現および標的細胞への結合にホルモンに結合した糖鎖が重要であることが明らかとなりました.
こうした幅広い業績を讃えて,先生は1992年に米国化学会Claude S. Hudson賞,日本学士院賞,日本薬学会学術賞を受賞されました.特にHudson賞受賞は日本人で初めてで,先生は盾に描かれたハチドリが一滴の水を運ぶ姿の言われをよく口にされながら弟子を育てていました.ここで巣立った方々はそれぞれの場でリーダーシップを発揮し,先生は図らずも優れた教育者としての一面も持たれていました.この間,1985~1987年には栄誉あるFogarty 研究員としてNIHに滞在し,1990~1992年には医科研所長として組織運営に尽力されました.退官後は,1993~2000年まで東京都老人総合研究所所長を務められました.また国内外の学会,各種審議会の評議員,顧問をされ,日本の糖鎖研究の方向を定められ,その発展に指導的な役割を果たされました.こうした長年の貢献に対し2008年には瑞宝中綬章を受章されています.
振り返ると木幡研究室には血液型の研究で著名なElvin A. Kabat博士やWinifred M. Watkins博士をはじめ実に多くの外国人研究者が訪れ,頻繁にセミナーが開催されました.スタッフはその準備とおもてなしに駆り出されたのも,今となっては懐かしい思い出です.中には研究室に数か月滞在し,実験の傍らテニスや登山でさらに親睦を深めた研究者もおられました.一方で、研究室では飲み会が頻繁に行われ,先生は学生,研究生,訪問者と好んで議論を重ねておられました.酒豪で闊達な先生との話が興に入り,数回の飲み会で並んだビールの空き缶が大きなセミナー室の内周を一周するのも教室の風景の一つでした.先生とこうした素晴らしき研究生活を共に過ごすことができたことを神戸と白金台の地に集った仲間と共に感謝し,ご冥福をお祈り申し上げます.
埼玉医科大学総合医療センター 古川 清
(元)公益財団法人佐々木研究所 山下克子
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