高井義美先生を偲んで
大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授
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生化学会名誉会員の高井義美先生が,令和7年11月18日に享年77歳でご逝去されました.高井先生は,タンパク質リン酸化酵素C(PKC)と低分子量GTP結合タンパク質(Gタンパク質)を介した細胞内シグナル伝達機構並びに細胞間接着と細胞骨格の新たな制御機構の解明を通じて,腫瘍生物学や神経科学等の研究領域に顕著な業績を挙げられました.また,後進の育成に格別の情熱を注がれ,多くの研究者ならびに医療人を育てられるとともに,全国の大学に多数の教授を輩出されました.高井門下生の一人として,ここに先生のご業績を紹介し,衷心より哀悼の意を捧げます.
高井先生は,昭和23年兵庫県加西市にお生まれになり,昭和49年神戸大学医学部をご卒業後,直ちに西塚泰美教授が主宰されていた神戸大学医学部生化学第2講座に大学院生として入学されました.西塚研究室ではPKCの発見に尽力され,その活性化機構と機能の解明に大きな功績を挙げられました.昭和59年に36歳の若さで神戸大学医学部生化学第1講座の教授に就任され,独立後はGタンパク質に関する研究を本格的に開始されました.当時,発がん遺伝子産物として注目され始めていたRasと共にRasと類似した分子量約2万のGタンパク質を多数精製し(Rap1,Rab3,Rho等),これら一群のGタンパク質を低分子量Gタンパク質と命名され,その活性化機構と機能を明らかにされました.例えば,Rab3の活性制御タンパク質や標的タンパク質を同定し,これら一連のRab3とその関連タンパク質が神経終末からの神経伝達物質の放出を制御することを証明されました.また,Rhoの精製タンパク質やcDNAを腸管平滑筋や培養細胞に導入することにより,Rhoがアクチン‒ミオシンの収縮機構に関与することも見いだされました.さらに,Rab3とRap1,RhoのC末端にゲラニルゲラニル基が結合しており,この脂質修飾がこれらの低分子量Gタンパク質とその活性制御タンパク質であるRab GDI(GDP Dissociation Inhibitor)やRho GDIとの結合に必須であることを示されました.
私が高井先生と出会いましたのは,神戸大学医学部3年生の時,西塚教授の研究室で実験を始めた昭和53年頃でした.当時私は,助教授の山村博平先生のご指導の下,「ヒト血小板からのカゼインキナーゼの精製と性状解析」に関する研究に取り組んでいました.高井先生は学部学生の私に対しても容赦なく質問を投げかけ,答えに窮していると厳しく叱責されましたので,こんな厳しい先生とは将来一緒に研究することはないだろうと思っていました.私は卒業後内科に入局し,大学院で神経内分泌に関する研究に取り組んでいました.ところが,教授に就任された高井先生から一緒に研究しないかとお誘いを頂いたことから,先生と共に研究を行うことになりました.昭和59年の暮れ頃のことでした.当初は2年ほど高井研究室で実験を行い内科に戻るつもりでいました.しかし,私は高井研究室の最初の大学院生として,上述した低分子量Gタンパク質研究の黎明期に深く関わることとなり,その後内科医局を辞して,高井研究室の助手となりました.当時,高井先生はPKCに変わる新たな研究課題を模索して,低分子量Gタンパク質に関する研究に着手することを決断されました.その気迫は,後に私が独立する際の研究方向の決定の仕方に大きな影響を与えました.平成4年に米国での研究を開始するまでの高井研究室での約7年間は,私の人生にとって最も濃密な毎日だったと思います.「時間依存性,用量依存性,Stoichiometry」に基づく実験系を構築すること,そして再現性のない実験を排除することを徹底的に叩き込まれました.それらを学び,自らのものとできたことが,その後の私の研究姿勢の基礎となりました.
高井先生は平成6年に大阪大学医学部分子生理化学講座へ異動後,細胞間接着と細胞骨格制御の研究を飛躍的に発展させました.また,ERATO高井生体時系プロジェクトを率い,細胞間接着,細胞極性形成,シナプス形成,細胞骨格再編成に関わる分子ネットワークの統合的理解を目指した先導的研究を推進されました.本プロジェクトにおいて,新規細胞間接着分子ネクチンとアファディンからなる新しい接着装置を発見し,それがカドヘリンによる細胞間接着を制御することを明らかにされ,細胞接着制御の新しい概念を確立されました.さらに,ノックアウトマウスを用いた個体レベルの解析により,その生理的意義を実証されました.また,酵母モデルを用いた保存的制御機構の解析も進め,Rhoファミリー低分子量Gタンパク質の活性制御と作用機構を解明し,フォルミンを介したアクチン細胞骨格再編成機構を提唱されました.
平成20年に神戸大学大学院医学研究科生化学・分子生物学講座教授に異動されると,異種細胞間接着機構の解明に着手され,ネクチンがこれらの異種細胞間接着を制御することを明らかにされました.さらに,ネクチンとアファディンが記憶・学習に必須の神経シナプスの形成と機能に関与していることも解明されました.平成25年に定年退職された後も,エーザイ共同研究講座特命教授として研究を継続されていましたが,令和5年に倒れられ,2年に及ぶ闘病の末,ついに帰らぬ人となられました.
武道や芸事などの「道」における師弟関係のあり方や修行の過程に「守・破・離」という概念があります.高井研究室で私は高井先生からから教えていただいた型を理解し,自分のものとするように徹底的に務めました.これは「守る」に相当すると思います.一方で,高井先生とは異なる道を歩むことも考え,米国に異動することを決めました.それは,「破る」になるのかもしれません.米国でも私は低分子量Gタンパク質に関する研究を継続していましたが,平成7年に自身の研究室を主宰するようになった際に,低分子量Gタンパク質とは異なる「Wntシグナル」に関する研究を開始することにしました.高井先生とは「離れる」こととなり,「守・破・離」を全うしたことになりました.このため,高井先生とは研究上の接点がなくなり,連絡はほとんどなくなりました.時は流れ,令和4年3月の私の定年退職時に研究室のメンバーが退任記念誌の作成を計画してくれましたので,久しぶりに高井先生に連絡を取り,私の退職に際してのメッセ―ジのご寄稿をお願いしたところ,ご快諾をいただきました.その文章の最後は次のように結んで下さいました.
「独立した際,研究者たる者,自分の仕事は全くゼロの状態から新たに立ち上げるべきであるというのが,私の研究に対する信条ですが,菊池君もまた,研究者としての道を歩むにおいて,私から学んだその信条を実践してくれました.それまで私の研究室で行っていたことにはこだわらず,全く新しいプロジェクトを独力で一から立ち上げたその姿勢は,研究者として実に立派であり,元指導者としてよくやったと褒めたく思います.西塚研で,やはり私が見染めただけのことはある,と誇らしくも思っています.」
高井先生の研究に対する揺るぎない情熱と真摯な実践,ならびに自由闊達な討論の精神は,多くの後進を鼓舞し,その影響のもとに数多くの研究者が育ちました.高井先生との出会いは,私の人生において重要な出来事であり,高井義美先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます.
大阪大学感染症総合教育研究拠点特任教授(常勤) 菊池 章
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