
第96回日本生化学会大会(2023年福岡)のこと~生命を化学すること,科学的に探究すること,あるいはデモクラシーについて~Learning from the history—2023 Fukuoka
1 九州大学名誉教授
2 中村学園大学栄養科学部特任教授
3 久留米大学医学部客員教授
© 2026 公益社団法人日本生化学会© 2026 The Japanese Biochemical Society
「日本生化学会」の発足100周年ならびに「生化学」誌の創刊100周年を,心よりお慶び申し上げます.
私が生化学会大会に初めて参加したのは1982年(大阪で開催された第55回大会),大学院1年生の時でした.今から44年前のことです.参加して分かりました.生化学会は,当時としては珍しい学際的な学会,「いわゆる理系の全ての学部から,しかも多くの研究者・大学院生が参加している学会」だったのです.それは大変幸運なことでした.学部(研究科)の垣根を超えて,多くの優れた発表を聞き,多くの知己を得る機会に恵まれたからです.そしてそれは,生化学・生命科学研究の「広さ」と「奥行き」を実感する場でもありました.「生命を化学する」研究テーマが実に多様であり,研究方法が実に多彩で高度だったのです.そう,生命に関するどのようなテーマにでも果敢にトライする(できる)のが生化学の強みの一つです.一方,私自身はと言えば,大会に参加する度に,自らの拙さを思い知らされたり,時に励まされたりしながら,結果として曲がりなりにも研究を続けることができました.このように,生化学会に育ててもらった訳ですが,それを多少とも認識したのは齢を重ねてからのことでした.そこで,どの角度から見ても己の力不足は十分承知していましたのでかなり逡巡しましたが(推薦いただいた当時の菊池章会長を随分困らせたことと思います),第96回日本生化学会大会(2023年)の会頭をお引き受けした次第です.
第96回日本生化学会大会は,2023年10月31日~11月2日の3日間,福岡市博多区の福岡国際会議場とマリンメッセ福岡で開催しました(図).福岡での開催は,2012年の第85回大会[会頭:藤木幸夫(九州大学)]以来11年ぶりのことでした.大会のテーマは「生き物は不思議だ!生化学は楽しい!」としました.「生化学」を合言葉に,しかし拘泥せず,生命科学の原点(「生き物は不思議だ!」)に立ち返る機会になれば,と思ったからです.そして,これから本格的に研究に打ち込む学生たちにとって,また,新たな方向を模索する若き研究者にとって,示唆に富んだ大会となることを願ったものでした.
「生き物あるいは生命の不思議を理解したい」というのは,おそらく人間にとって,自然な欲求でもあり,状況によっては喫緊の課題でもありました.そのために人類は様々な試みを積み重ねてきました.そして,物質としては分子(化学物質)を,現象としては分子の存在様式の変化(化学反応を含む)を中心に捉え,生命を「科学的に探究する」ことが極めて有効だと知るに至ります.そのような現代生命科学のパラダイムの中に私達はいます.敢えてパラダイムと称したのは,ここでの「分子の構造」が(精密化がさらに進んだとしても)厳密には「分子モデル」であること,量子力学的なミクロな世界を(多くの場合)古典論的・近似的な枠組みで扱っていることを,分子のプロたる生化学者は忘れてはいけないように思うからです.とはいえ,何と素晴らしいモデルなのでしょう(!),だからこそ,日々の生化学的な実験で得られるささやかな発見でも,生命の新しい面を垣間見せてくれます.それは「不思議で楽しい!」ことです.自分自身の研究が行き詰まっている時でも,他の生命科学者の新しい知見を聞いた時の新鮮な驚き,これも「楽しい!」.この「楽しさ」を次の世代にうまく伝えられるかどうかが,未来への鍵なのかもしれません.
また,「科学的に探究する」ための必要条件の一つは,『自由』です(他の条件については後の『科学的に探究すること,あるいはデモクラシーについて』の項で少し述べます).生化学会は昔から自由な学会として知られていました.例えば,学生から大先生まで,お互いを「さん付け」で呼ぶのが当たり前でした.そこで,プログラム集の会頭挨拶では,以下のように提案しました:原点に帰って,第96回日本生化学会大会では,「さん付け」でディスカッションしましょう.最初は若い人は恥ずかしいかもしれませんので,ここはまず,経験の多い方(年配の方)から学生さんに若い方に「さん付け」で話しかけて下さい.そうしたら,学生さんも「さん付け」で返しましょう.
第96回大会の幹事・プログラム委員には,オーガナイザーとしてシンポジウムを企画・運営することをお願いいたしました.多くの魅力的なシンポジウムを開いていただき深く感謝しています.一方で,所謂「雑用」はお願いしないようにして,プログラム関連の他のことはプログラム委員長の仕事を含め全て私が一人で行いました.特別講演者についても,数名の先生に電話で多少の相談をした程度で,全て私が決定し私自身で直接講演を依頼しました.それまでの大会での特別講演の位置付け(そしてその後の大会での位置付け)とは少し違っており,様々なご批判があったのだろうと推察しますが,その責任は幹事・プログラム委員にはなく,全て私の判断によるものです.さて,まず考えたのは,できるだけ若い方に特別講演をしてもらおう,ということでした.基準としては,私(当時65歳)より若い人ということにしました.また,旅費がかからない九州の方に複数お願いして,講演者数を増やすことにしました.一方,2022年秋の時点でコロナはかなり落ち着いていましたが,まだまだ先が読めない面も多く,外国からの招待は断念しました.
特別講演をお願いしたのは,私よりも若く(64歳以下:50歳前後のお二人を含む),生命の不思議について,生化学そのものあるいは少し離れた視点から独創的な研究を展開しておられ,かつ広い見識をお持ちの方々です.分子細胞生物学の後藤由季子さん(東京大学),硫黄代謝の赤池孝章さん(東北大学),理論生物学の望月敦史さん(京都大学),構造生物学の神田大輔さん(九州大学),ゲノム科学の伊藤隆司さん(九州大学),理論生物学の三浦岳さん(九州大学).皆さん快くお引き受けいただき,本当に感謝しています.皆さんに一つだけお願いしたのは,これから本格的に研究に打ち込む学生たちや新たな方向を模索している若き研究者のためにも,「こういうワクワクするテーマがまだまだ手付かずに残っている」といった話もたくさん交えてくださいということでした.そして,いずれの講演も圧巻で,多くの参加者から絶賛のお言葉を頂きました.
一方で,「先輩方の話をじっくり聞く」というシンポジウムも企画していただきました.一つは,日本生化学会の前会長で第91回大会(2018年京都)会頭を務められた菊池章さん(大阪大学)オーガナイズのシンポジウム“先輩からのメッセージ”で,菊池さんに加えて,長田重一さん(大阪大学),西村いくこさん(奈良国立大学),中野明彦さん(理化学研究所)がシンポジスト.もう一つは,第85回大会(2012年福岡)の会頭を務められた藤木幸夫さん(九州大学)オーガナイズのシンポジウム“生化学の先輩・先達から聞く「生化学の面白さ・楽しさ」”です.ここでは藤木さんに加えて,大隅良典さん(東京工業大学),永田和宏さん(JT生命誌館),吉田賢右さん(京都産業大学),伊藤維昭さん(JT生命誌館)がシンポジストとして話して下さいました.いずれのシンポジウムも大好評でした.全くの手弁当でお願いしたのですが,有難いことに,皆さん快く引き受けて下さいました.せめてもと考え,二つのシンポジウム合同のスピンオフ懇親会を企画したところ,全員に参加していただきました(写真).
[前列左から]長田重一さん(大阪大学),吉田賢右さん(京都産業大学),大隅良典さん(東京工業大学),伊藤維昭さん(JT生命誌館),中野明彦さん(理化学研究所).[後列左から]藤木幸夫さん(九州大学),西村いくこさん(奈良国立大学),永田和宏さん(JT生命誌館),菊池章さん(大阪大学),筆者.
また,幹事の方,プログラム委員の方々が頑張ってくださったおかげで,最前線のシンポジウム,興味深いシンポジウムが満載でした.紙面の都合上全てに触れることはできませんが,例えば,コロナウイルス研究で世界をリードした日本の基礎研究者たち・河岡義裕さん(国際医療研究センター)をはじめオールキャストによるシンポジウム,魚が先導する生化学研究,in vivo生化学に資する新技術,液液相分離,バイオデータベース,微生物共生,タンパク質立体構造予測AlphaFold,形態形成の数理,等々.熱気溢れる学会にしていただき深く感謝しています.また,オーガナイザーの方々に無理を言って,全てのシンポジウムの最初に10分間以上を使って「イントロダクション」を行ってもらいました.シンポジウムのテーマに関して,その研究の歴史,生命科学(生化学)における位置付け,現状,および今後チャレンジすべき課題について,他分野の研究者・大学院生にも分かるように解説してもらいました.「イントロダクション」は,この大会での新しい試みだったのですが,とても好評でした.快くお引き受けいただき魅力的な「イントロダクション」をしてくださったオーガナイザーの方々に謝意を表します.
何とか無事に閉会できたのは,ひとえに生化学会事務局の渡辺恵子さんのお陰です.全てが遅れ気味の私を,常に優しく的確に支えてくださいました.深く感謝申し上げます.また,暖かく見守ってくださった一條秀憲さん(当時の日本生化学会会長)にも改めてお礼を申し上げます.
先に「科学的に探究する」ための必要条件の一つは『自由』であると記しました.米国の卓越した数学者/論理学者/哲学者(そしてソシュールと並んで記号論の祖でもある)チャールズ・パース(Charles Peirce)は,科学的創造の源は演繹的推論でも帰納的推論でもなく仮説形成的推論(アブダクションabduction)であることを示した人ですが(今やコンピューター科学の分野でも高く評価されています),そのパースは,科学の探究が常に自由で可謬的であることを重視すると共に,その検証(合意形成)は探究者の共同体に委ねるのが「科学のスタイル」であると述べています.後に,欧州の科学哲学者カール・ポパー(Karl Popper)は「科学者が行う科学的発信(言明)の真偽・妥当性(“科学の客観性”)については,その検証と判断を,社会的・公共的に組織された場に委ねるしか方法がない」と表現しました(社会的・公共的に組織された場が学会や学術誌などにあたります).そして,パースの流れを汲み20世紀の米国で最も敬愛された哲学者のひとりジョン・デューイ(John Dewey)は,このような知的探究のスタイルのことをデモクラシー(democracy)と呼びました.近現代の政治制度としてのデモクラシー(こちらは制度としての危機を叫ばれて久しく,特にこの数年は世界的に著しく劣化しているようです)とはやや趣を異にして,より直接民主制に近いニュアンスだと思います.確かに,検証可能な仮説を創り発表するプロセスは『個人の自由』に委ね,その検証あるいは承認のプロセスは『長期に渡る(不断の)共同体の営み』に委ねる,という「科学のスタイル」は,デモクラシーそのものだと言えましょう.このように科学とは,個人の喜び(不思議だ!楽しい!)であるとともに,共同体での作業を重ねる喜びでもあります.若い世代に科学研究離れが進んでいるとしたら,この二重の喜びが説得力をなくしているのか(先行する世代の伝え方が悪いのか),あるいは,科学がデモクラシーから逸脱しつつあるからなのかもしれません.昨今のグローバリズムという名の過度の商業主義が,それに拍車をかけている可能性もあります.デモクラシーを取り戻さなくてはならないのかもしれません.蛇足ながら,研究費配分や教育研究組織再編の場で聞かれる「選択と集中」という発想は,そろそろ考え直す時ではないでしょうか.逆に「薄く広く」,これこそがデモクラシーの基本だと私は思います.
この困難な時代にあって,日本生化学会が,若い世代にとって魅力的であり続けますよう願ってやみません.
実は,第96回日本生化学会大会のポスターはプロに頼んだものではなく,私の自作です.自作と言いましても,既に存在したものをペタペタ貼り付けただけのものですが…….あの大会だけポスターの出来が格段に悪かった,と思っておられた方は成程と得心されたのではないでしょうか.気持ちとしては,生き物を前面に分子を背景として,「生き物は不思議だ!生化学は楽しい!」を表現してみました.皆さんで自由に想像を膨らませていただくのが一番ですが,個々の図柄について興味がおありの方は,大会ウェブサイトの「ポスター&ポスター解説」(https://www2.aeplan.co.jp/jbs2023/poster/)や当時の日本生化学会会長の一條秀憲さんの「会長便り第4号(https://www.jbsoc.or.jp/letter/4th_2023-05-01.html)」をご参照いただけますと幸いです.
This page was created on 2026-05-13T15:12:23.284+09:00
This page was last modified on 2026-06-16T11:05:07.000+09:00
このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。