60年間の研究から得た教訓:するべきこと,してはいけないこと.
筑波大学生命科学動物資源センター
© 2017 公益社団法人日本生化学会© 2017 The Japanese Biochemical Society
昨年仙台で開催された年会で,年会長の山本雅之先生から,Meet the Expertのセッションで,研究成果の内容より一般的な話を,とのことで講演を依頼され,このようなタイトルで話をさせていただいた.若手の研究者の参考になればと思い,同じ内容で執筆することにした.45分の講演を全て書くことはできないが,重要な点を抜粋した.
東京大学大学院生時代(1960~1965)に所属した,応用微生物研究所第5研究室(現分子細胞生物学研究所)のテーマは,タンパク質生合成機構の解明だった.斬新なテーマだったが,いかんせん成果は上がらなかった.私はアミラーゼの生合成研究の過程で,枯草菌が菌体外にRNaseを排出することを見つけた.研究報告の時,副次的な話として述べたところ,赤堀四郎先生から,もっと続けたらとのコメントをいただいた.これが契機で博士の主論文となる枯草菌の菌体外RNaseの同定につながった.
1970年代,大腸菌tRNAから修飾ヌクレオシドQを見つけ,生化学会年会で発表したが,反響はイマイチだった.しばらくして,江上不二夫先生から電話をいただき,大変に面白いと褒めていただき,朝日賞に推薦いただいた.大いに元気付けられた次第である.
私の場合はこの点大変幸運だった.研究などはいわば徒弟奉公のようなもので,自然と先生の良い面を学ぶとともに,マイナスの面もまねをするようになるものである.
これは単に論文の共著者にするとか,感謝すれば済むものではない.
国立がんセンター研究所を定年退官する際に,どこかの国立研究所の所長の可能性もあったが,自分は万有製薬つくば研究所の所長職を選んだ.それは既存の組織の代表でなく,自分の裁量で研究所全体の研究を推進できるからであった.
当時の国立がんセンター研究所総長の杉村隆先生に相談したところ,大いに賛成していただき,定年前でも行く方が良い,80人の研究所など話がうますぎる.しかし,たとえ30人でもOK,と元気付けていただいたのを思い出す.
研究者はともすれば小さな子供である.欲しいものがあるとどうしても欲しくなる.それが過ぎると他人のものまで欲しくなる.特に自分が第一人者と考えている領域で,他の研究者に先行されると,いてもたってもいられなくなる.それが高じると,不正とも思われる方法で,あたかも自分が先にまたは同時に論文を発表するように工作する(国内外に多くの事例がある).表向きはそれで済むが,知る人は知るである.結局は本人の評価を落とし,また真の友人関係が失われる.
研究が軌道にのると,毎年,学会などで招待講演をしたり,シンポジウムオーガナイザーになるようになる.しかし,いつも研究が進むわけではなく,それで無理をするようになり,成果を強調するため,over speculationをするようになる.データがでない時は,じっくり仕事を続けることである.
自分自身は,研究者として確立するのは,あくまで自分の研究成果によると考えている.勿論,学会活動に貢献するのも研究者の評価の一面だが.(自分の先生のDr. Gobind H Koranaのスタンス.)
日々の研究を進める力は,人各々の性分のようなもので,自分は手先を動かすことが好きで,未だに毎日自分でHPLCを動かしている.
今の時代に合わないかもしれないが,何十万といる研究者に先んずるには,よほど頑張らないと難しい.研究は人のためでなく自分のためで,指導者に言われてすることではない.昔,面白いデータが出たのも年末年始の時だった.私は今でも,朝8時頃から午後4時頃まで,他に用事がなければ研究室に出かけている.これが可能なのも妻の理解があってのことだが,そのような伴侶にめぐりあえたことは幸いだと思っている.
研究室内で揉めることは避けよう.言いたいことは主張しても,相手のことも考える.揉めていては,お互いに元気も出ない.
This page was created on 2017-08-24T09:28:05.816+09:00
This page was last modified on 2017-10-17T13:40:52.88+09:00
このサイトは(株)国際文献社によって運用されています。